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中村彝と『ルカ福音書』のザカリア

中村彝の未刊行の葉書(多湖宛、大正10年8月2日着)に『ルカ福音書』の一節に関連した箇所があることが分かった。
もともと聖書の一節に関連した言葉かと察せられたが、はっきりとは分からなかった。それは彼の葉書のこんな文脈の中に書かれていた。

「僕ハ大によくない。去年の暮から臥たきりだ。…それでもどうにか生きてだけハ居る。たゞ生きてるといふだけだ。昔日の元気ハ全くない。毎日眠いばかりで睡(ネム)ってばかり居る。時々喀血もする。この喀血もこの頃ハ平気なもんだ。熱も出る。熱も慣れっこになったせいか丸で御湯にでも入ってる様で寧(ムシ)ろ快感だ。時々世の中が嫌になる。怠倦した生は堪へられなくなる。然しこうした冬眠ニも苦しい生の中ニも大なる神の慈悲と力だけは矢張り働いて居るのだらうと思って自棄することだけは慎んで居る。今の僕に取っては古い過去の思ひ出だけが楽しくなつかしい。最近五ケ年の思ひ出は僕を絶望させる。若し君が来られる位よいならば會いたいと思ふ。然し僕はこの頃声が出なくなって終ったから會っても愉快には話せない。(まことをは語らん日まで黙せよと神の教かわれ声立たず)」

つまり、彼が「この頃声が出なくなってしまった」ということに関連して出てくる「まことをは語らん日まで黙(もだ)せよと神の教かわれ声立たず」という葉書における括弧内の言葉である。これが『ルカ福音書』に関連した言葉であることに最近やっと気付いた。
それに気付くことができたのは、『木星』(大正14年2月号)に掲載されている「疑の心をもて神を語るは神をけがす也」と「問うことを止めよ爾が道は一條なり」と題される詩文を読み、その中に「サガリア」の文字があることがヒントになったからである。
「サガリア」とは「ザカリア」に相違なく、洗礼者ヨハネを産んだエリサベツの夫である司祭だ。
ザカリアは、大天使ガブリエルが言った言葉、すなわちエリサベツがヨハネを産むという言葉がにわかには信じられなかったのだ。

「どうしてそんなことが、私にわかるでしょうか。私は老人ですし、妻も年をとっています。」

するとガブリエルが言った。「時が来れば成就する私の言葉を信じなかったから、あなたはおしになり、このことの起こる日まで、ものが言えなくなる」。

この聖書の一節から中村彝は先の2つの詩文中でこう書いていたのである。

「神の声を聞きつつ猶も疑へる
サガリアの如くわれ声たたず」

そして、まさに葉書の言葉が続く。

「『まこと』をば語らん日まで黙せよと
神の教がわれ声たたず」
(※「神の教が」は、「神の教か」の間違いだろう。そうでないと意味が通らない。)

また、もう一つの彝の詩文にはこうある。

「吃(ママ、※おそらく啞の書き違いだろう)となりて祈りくらせしサガリアの
心をおのが心ともがな」

以上の通りであるから、サガリアはザカリアのことであり、彝の葉書に出てくる「(まことをは語らん日まで黙(もだ)せよと神の教かわれ声立たず)」の言葉は『ルカ福音書』におけるザカリアが、ヨハネが生まれるまで声が出せなくなってしまったという記述に関連した言葉であることが確実だろう。

中村彝にとって、先の大正10年8月の葉書が多湖に出されるまでの5年間は、俊子との恋愛をめぐっては最も辛い、聖書のザカリアのように声が出なくなるような苦しみの5年間でもあったのだ。特に大正10年は木村博士から死期が宣告され、その上、思いがけなく中原悌二郎が亡くなるなど、精神的ショックがきわめて大きかった。彼は病状の急転を案じて中村春二に遺書を認めたりしており、病状が相当に悪い年でもあった。

「最近五ケ年の思ひ出は僕を絶望させる。若し君が来られる位よいならば會いたいと思ふ。然し僕はこの頃声が出なくなって終ったから會っても愉快には話せない。(まことをは語らん日まで黙せよと神の教かわれ声立たず)」

人は実際強いストレスがかかると声を失うということが知られている。いわゆる心因性の失声症である。彝は、これと似た体験を一時的にもせよあるいはしたのかもしれない。

おそらくは、この葉書の括弧内の言葉、親友の多湖ならば、彝がまさにザカリアのように声が出なくなってしまった苦しみを理解できるだろうと思い、かなり率直に書いたものではなかろうか。


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