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戦う勇気と逃げる勇気



 未だに夜道を散歩していると思い出す。

 幼き日の母との思い出だ。恐らくこの思い出が、僕が持っている親との思い出の中で一番好きなものだと思う。

「逃げることの大切さ」について親が教えてくれたことを、僕はまだ噛み締めながら生きている。

 戦うのは幸せのため、逃げるのも幸せのため。

 生きていく中で、逃げずに戦うべき局面と、戦わずに逃げるべき局面の二つがある。

 不器用で生真面目な人ほど壊れてしまうこの世の中で生きていくには、自分が今逃げるべきなのか、それとも戦うべきなのか、適切に見分ける必要がある。

「戦い続けるためには、自分を守らなくてはいけない」。

 これは、六歳のときに母が教えてくれたことだ。

 矛盾しているようだけれど、逃げずに戦う勇気は、いざというときに逃げる勇気があって成り立つものだ。

 不器用な僕達が自分を壊さないように、かつ大事な部分では勝負強くなるためには意図して戦うか逃げるかの判断をしなければならないと思う。

 今回は僕にしなやかに生きていく術を与えてくれた親との思い出を紹介しようと思う。凄く硬派な内容に聞こえてしまうかもしれないけれど、僕が六歳の頃の話だから肩の力を抜いて聞いてほしい。

 僕は六歳のときに空手を始めた。幼稚園の友達が、空手の道着を着て家にやって来たことがきっかけだ。

 親同士の用事があって彼は家にやって来たのだけれど、彼は空手帰りだったので、空手の道着を着たままだった。

 いつも幼稚園で会ってはいるけれど、全く見たことがない服を着ているし、何やら強そうに見える。

「そのかっこいい服何!?」と当時戦隊ものに夢中になっていた少年はこのかっこいい服に食いついた。

 マジレンジャーになれそうな服を、彼は身にまとっていた。

 僕も世間の男の子達と同じ、将来は戦隊もののレッドになるつもりだったのだ。道着は白だったけれど、凄く惹かれた。

 僕の食いつきっぷりを見た母が、友達が帰った後に「見学だけでも行ってみる?」と提案してきたのですぐに「行きたい!」と言った。

 そしてその3日後に、気が付いたら通うことになっていた。

 ただ、「強くなれそう」というふんわりした気持ちで空手を続けられるかと言えばそんなことは全くない。

 空手の道場では遅刻は絶対に許されないし、6歳と言えどきちんと自分で挨拶をしなければ師範にどつかれる。

 本来なら「小さい子供だから仕方がないよね」と許されるようなことが、絶対に許されない。

 おまけに、幼稚園から中学校三年生まで幅広い年齢層の人が道場にはいる。先生の年齢もばらばらだ。六歳の子供からしたら怖い巨人に見える。

 6歳の子供にとって、ありえないぐらいカオスな環境だった。

 普通に「かっこいい」だけで十数年も続けられるようなものではない。でも、性に合っていたのか結果的に今まで15年も続けている。

 そんな厳しい環境に身を置いているとつらく感じることもあった。一番よく覚えているのは小学校一年生のときの記憶だ。

 当時の学校の担任の先生も厳しい先生で、宿題の量が結構多かった。そして、提出しないとこっぴどく怒られる。

 しかし、遠い町に学校が終わった後に空手の練習に行って、夜帰ってきてから取り組んで終わる量ではなかった。

 そこで、本当に恥ずかしいんだけれど、泣きながら宿題をしていた。

 通い始めて1年経ったかどうかぐらいの空手と学校という2つの環境。どちらも自分にとっては大変な場所だった。

 泣きながら「終わらないよ……」と鼻をすすりながら漢字ドリルをやっている息子に親は上着を着せて「散歩に行くよ」と外に連れ出してくれた。

「担任の先生には連絡帳で事情を説明してあげるから、今日は何もしないで寝なさい」と言ってくれたのだ。

 そこから近所を20分ぐらいかけて散歩した。夜の涼しい風に吹かれながら、ゆっくりと近所を歩いて回った。

 その間、空手のことや学校のことなどいろいろ話して回った。「宿題がきついの?」「空手は大変?」といった内容だったと思う。

「きついんなら、逃げなさい」「どうせ今やったって何もできやしないんだから、ちょっと休みなさい」と母が言ってくれた。

 歩く度に自分の中ですーっと心が晴れていく感覚がした。

「今日は休んで良いのだ」という安心感が、体の内側からじんわりと湧き上がってきた。

 そして、自分に付きまとっていた負のオーラがすっと消えていった。そこから家に帰ってきて、すっと宿題が終わったのを未だに覚えている。

 今まであんなにとてつもない量に感じたのに、するすると手が進んで気が付いたら終わっていたのだ。

 自分が焦っているとき、きつい思いをしているときは自分本来の力の十分の一も出せていないことが多い。

 僕は六歳のときにこのことを母から経験的に教わった。

 ときには何もかも放り出して休んでみるのも、かえって近道になることもあるんだよ、ということを母が教えてくれたのだ。


 僕はこれまでに空手を13年間続けたり、夢に向けて受験勉強を5年間必死にやって大学へ入学したり、高校二年生で海外に飛び込んだり、空手道部で主将を務めたり、高校の文化祭で三学年を統括して行事を指揮したり、体育祭で空手の経験を活かして演武を盛り上げたり、韓国の高校との研究発表会の司会を英語でしたり、研究班のリーダー職をやったり、千二百人の全校生の前でのステージ発表を指揮したりと、いろいろなことに挑戦してきた。

 挫折しても絶望しても、何とか立ち向かってきた。

 他の人と比べてどうこうというつもりは一切ないけれど、自分としてはしょぼいなりによく頑張ってきたなと思う。

 自分が出せる全力をその時その時で出して頑張っていた。振り返ってみると、とても充実していたと思う。

 でも、これは幼い頃に「いざというときは逃げる選択をとりなさい」と母に教えてもらっていたからこそ、動くときは思う存分行動し続けられていたんだと思う。

 自分がしんどい状況にいるときに、逃げる勇気はあなたにありますか? 

 罪悪感を感じながら対象に背を向けるようにして逃げるのではなく、自分をいたわりながらそっと一歩引くように逃げる勇気。

 僕は六歳のときに、逃げることの大切さを親からこうして学んだ。

 あなたも、何かきつい思いをすることがあるかもしれない。

 というか、普通に生きていれば相当タフな人でない限り、たくさんあるだろう。毎日が辛いという人の方が多いかもしれない。

 でも、そのときは嫌なことから少しそっと距離を置いてみるのも一つの有効な手なんだよと言いたい。

 落ち着く時間があるだけで、かなり良いことがある。
 これは、僕が保障する。説得力があるかどうかは分からないけれど。

 僕もそんなに強い人間ではないし、どちらかというと弱い人間だと思う。だけど、母が逃げることや休むことの大切さを教えてくれたからここまで頑張ることができた。

「たかが十九歳の小僧が少し頑張ったぐらいでなんだ」と、僕よりも努力や苦労をしている大人の人達には思われてしまうかもしれない。

「そんなに逃げてばかりいられるほど社会は甘くないぞ」と言われるだろう。

 でも、僕達は苦しむために生きているのだろうか。

 年を重ねていくと自動的に増えて聞く社会的な義務や大人としての責任を果たすためだけに生きていけるだろうか。

 なにも、嫌なことがあったら全て毎回放り出せと言っているわけではないし、第一僕もそんなことをしてきたわけじゃない。

 でも、力を出すべきところを適切に見極めて、上手く休んだり逃げたりすることは大切だ。

 僕も、何か力が入らないときや、しんどいなと思ったときには休むようにしている。夜散歩に出かけることもある。

 どうせ今やっていることが上手くいかなくたって、別に死にはしないし、そもそも人はそんな大層なことをするために生まれてきているわけではない、と気持ちを落ち着かせるようにしている。

 そうして少し休むと、また翌日には力が湧き上がってくるのだ。

 逃げることは悪いことではない。自分を取り戻すために、あえて対象から手を引く積極的分離期間は、私達には必要だ。

 変に無理して自分を壊してしまうのが、一番やってはいけないことだと、僕は思う。

 戦うのは幸せのため、逃げるのも幸せのため。

 僕はこの母が与えてくれた教えを皆にも伝えたい。

 日本人はよく休むのが下手だと言われる。ゆっくり落ち着いて、でも勝負時は凄い熱量で、生きていけたらいいなと思う。

 仮に自分が積極的に休んでいたって、「甘えている」だなんて言われないし、そんなことを言ってくる人とは関わらなければいい。

 自分を大切にできない人に、自分の大事な人を守ることなんてできない。 

 一度壊れてしまった人は、もう二度と元に戻ることはない。

 痛みや悲しみが人を美しくするとは言われているけれど、全員がすべての困難や辛い状況を乗り越えられる訳ではない。

 粘り強く頑張る力と、適度に限界を見定めて上手く逃げながらしなやかに生きていく力、両方が必要だなと本当に最近つくづく感じている。

「言うは易く行うは難し」と言われるように、逃げることは凄く勇気がいる。でも、せっかくこの世に生まれてきたのに、変に自分を追い詰めて苦しい思いをするならば人生の時間がもったいないではないか。

 別に、楽をして生きていくのが正義と言いたい訳ではない。でも、もう少し休む術が僕達には必要だ。

 どうせ自分一人では大したことはできないし、人間はそんなに高性能な生き物ではない。自分の感情を大切にして生きていきたい。

 心が折れてしまったら、「非生産的なもの」から始めていこう。

 どうせ人生は大したことなんてしなくてもいいのだから、自分が壊れてしまわないように充電することも大事だと思う。

 人生は超長距離走というか、決して短距離を全力で走るように生きていくものではないと思う。大切なのは戦い続けることなのだ。

 実際辛いことはたくさん起きると思うけれど、自分を労りながら生きていける人にとっては、社会は厳しくなんかないんじゃないかと思っている。






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