日記_

僕の鬱病療養日記②

※このnoteは、小中高大と全てで不登校を経験。その後、教育系のNPOで活動するなどしていたが、2019年3月末頃より、鬱病を再発した僕の療養生活を記録しているものです。
 とりとめもない療養生活の日常の記録とともに、この期間を利用して読んでいる本や、見た映画など、芸術と思われるものについての紹介をしています。
 僕と同じように鬱や引きこもりで悩んでいる方、またその身近にいる方々、もしくはそこまでではなくとも、心が疲れているなという方々に読んでいただければ幸いです。

日常

2019年11月23日(土)朝7:00

 今日は朝の4:00に目が覚めてしまい、そこから眠れなくなってしまったので、起きて活動している。最近早寝早起きに切り替えて生活リズムを整えようとしてはいるものの、いくらなんでも早すぎる。現時点でかなり眠たいので、おそらくこのあとどこかで昼寝をすることになるだろう。とはいえ、昨日は23:00前には布団に入ったため、5時間は睡眠を取っているので、足りていないわけではない。

 僕は夜中に急に目が覚めてしまうことがよくある。今日は布団の中で目が覚めてしまったしまった後、そのままもう一度寝ようとしたけれど、なぜか妙に体が熱く、喉もカラカラだったため、もういっそ超早起きと思って起きてしまおうと考えた。ここ最近になって急激に寒くなり、冬を感じる季節となっているのにも関わらずなぜあんなに暑かったのか。睡眠時に口呼吸をしてしまう癖を治そうと思っているのだけれど、どうにもうまくいっていない様子。

 朝、目が覚めてからは、いつものとおりに、食パンとコーヒーで朝食を取った。その後は読書を1時間ほどして、ちょうど夜が明け始めたので、日光を浴びに近くの公園を散歩してきた。そして家に帰ってきて、とりあえずと思いnoteを書いているのが今になる。なんて気持ちのいい朝。基本夜型の生活をしてしまってはいるけれど、充実した朝を過ごせるととても気持ちがよく、なんとか朝型生活をしたい。

 公園を散歩していると、鬱蒼とした木々は紅葉で色付いていて、すぐ近くにもこんなにも見どころがあったのかと少し驚いた。一昨日には嵐山まで紅葉を見に行っていたが、美しさだけではこちらの公園も負けてはいないじゃないか。そうしてまわりの木々に目を向けている最中にふと、「こんなに美しい色に染まっているのに、あと数日もすれば、枯れていくのか」と思うと猛烈な寂しさを感じた。冬は寒くて外にも出にくくなるし、自然を感じる緑も少なくなると思うとやや悲しい。ただ、冬の澄んだ空気、そこに広がる吐息の白さ、夜空に見える星は大好きだ。秋の木々が真っ赤に紅葉する理由は詳しく知らないけれど、枯れてしまう直前のその様子は、命を燃やしているようにも思える。誰かが言っていそうな月並みな表現ではあるけれど。寂しくなる冬を前に、「この景色を目に焼き付けておけよ!」と言われているような気分にもなる。

ここまでとりとめもなく、朝の時間のことを書いてみた。

 この鬱病療養日記は今回が2回目。2019年3月末以降にも数回だけ「うつ、闘病日記」として更新していたけれど、こちらは結局しんどさのはけ口のような、叩きつける文章になってしまっていたし、結局たったの4回しか書かなかった。11月に入ってからは、精神・肉体を含めた体調が急激に回復をしてきたため、「闘病」ではなくあくまで「療養」として、もっともっと気楽に文章を書いてみたいと思い、新たに名前を変更して更新をすることに決めた。闘うというほどのものではなく、ただただ、のんびり、自分が心地の良い時間を過ごしながら回復を目指すという意味を込めて。「うつ」という文字をひらがなから漢字に変換した理由としては、「鬱」と漢字表記をするといかにも病気的に感じるため、なんとなく柔らかいひらがなの方がいいと思っていたのだけれど、やっぱり鬱は「鬱」として、漢字表記のほうがしっくり来たからだ。

 もともと僕は、鬱になる前も、なった後も、毎朝パソコンを開きWordに向かって1000~2000字ほど、自分のためだけの文章を書いていたため、それを今回はnoteでやってみた。そうすると、変に「さあ、書くぞ」と気負うこともなく、自然体のままで、あっという間に文章を書くことが出来ている。今後も朝に記録として書いていければと思う。 

こうした何でもないようにただ療養生活の日常を文章にして表現してみようと思ったのには、今読んでいる本に影響されているところもある。それは鬱になった以降に北海道の友人から読んでみるといいよと紹介してもらった「坂口恭平躁鬱日記」という本である。(僕の鬱病療養日記という名も安易ではあるけれど、ここから取らせてもらった。)

 僕自身はこの本を読むまで、坂口恭平さんのことを全くと言っていいほど知らなかったのだが、躁鬱病でありながら、坂口恭平さんが過ごす日常を描いている様子に、不思議と元気をもらった。変に飾った文章でもなく、ありのままにただ目の前のことを記述し、その時感じたままに表現しているように僕は感じた。坂口恭平さんほどではないにしても、僕もまた毎日、日記をつけたり文章を書いてはいるので、同じように、肩肘張らず、とにかくあるがままにこうして文章を書いていくことが出来ればいいなと思う。とはいえ僕はとても飽き性ではあるし、しょっちゅう言ったこととやっていることが変わるので、次の更新がいつになるのか、またどうなるのかもわからないけれど、そのときはその時でいいや。気楽にきままになので、ここまで文章もあまり読み返していない。誤字脱字があるかもしれないがそれもまたご愛嬌ということで。添削しだすと変に恥ずかしくなったり、無駄に表現を凝ってしまいそうなのでそれはやりたくない。


読書と映画と、その他芸術と思われるものについて。

 ここまでで文章を終わらせてもいいかとも思ったけれど、もう少しだけ書いていたい気分なので、コーナーのようなものもやってみたい。

 鬱になって以降、読書量がものすごく増えた。もともと年間100冊ほど読んではいたけれど、最近は2日に1冊、多いときは1日1冊のペースで読んでいる。また映画も多く見るようになってきた。地域の図書館を改めて利用していると、思った以上に多くの本がおいてあるし、DVDも借り放題。こんなに本が揃っているのであれば買わなくてよかった本もいっぱいある。

 毎日毎日様々な本を読み、映画を見ているので、その中から良いと思った作品や、作中の言葉などを紹介していければいいと思う。他にも芸術っぽいことなら紹介するかも。

 ということで記念すべき初回は昨日見終わった映画「死ぬまでにしたい10のこと」

 簡単にこの映画の概略を説明すると、2002年に作成された映画で、若くして子どもを育てる母親が、ある日ガンであるということがわかり、残りの余命の中でやりたいことを決め、生きる様を描いている、というものである。

 正直に言って、僕はこの作品をあまりおもしろいとは思わなかったのだけれど、(記念すべき初回にそれを紹介するなという感じではあるが)作中で少し響く言葉があったのでそれを紹介しようと思う。

 それは、主人公の女性がガンの治療を拒み、やや自暴自棄になっていたときに、その主治医が彼女に言葉をかけるシーンでのセリフ。

「死ぬのは楽じゃない、だがそんなにいつも思いつめないで」

 「生きることは難しい」という言葉はよく耳にする。何度も鬱を繰り返し、精神のバランスを崩している僕自身とてもそう思うし、どうしてただ生きていくということだけがこんなにも難しいのだろうと思う。けれど、死ぬこともまた楽じゃないみたいだ。病気の場合は死ぬまでの身体の苦しみももちろんそうだとは思うが、それだけではなく死に向かうまでの心の整理や、残された人々に対する気持ちも含めて、様々に必要なことがあるのだろう。病気以外でも、自殺でもきっと難しい。僕は鬱になって以降これまで何度も死にたいと思ったし、実際に死のうとしたこともあるけれど、結局こうして生きている。飛び降りようにも、首を締めようにも、どれも痛みを伴う。死んだほうが楽だと思いながらも、それでも死ぬのは怖いし、痛いのも怖い。死ぬのは楽じゃない。けど一方で死ぬのが楽じゃないから、こうして生きることも出来るのだろうなと思う。もしも痛みもなく、死んだ後のことも考えずに済むというような楽な死に方があれば、こんなにも必死に生きることにしがみついたりすることもないだろう。きっと僕はとっくに命を落としている。それこそ、不登校だった中学生の頃に。

 中学生のときに読んだ小説に山田悠介さんの「スイッチを押すとき」という作品がある。

 こちらは、ボタンひとつ押すだけで自殺をすることが出来るスイッチをもたせて、極限状態に追い込めば人はどうなるか?ということを描いた、山田悠介ワールドを全開にしたような作品だけれど、「死にたい」と思ったときによくこの作品を思い出す。「こんなに簡単なら自分なら押してしまうわ」

 生きることさえ難しいのに、どうしてこんなに死ぬのも苦しいのかと、腹が立って仕方がない瞬間もあるけれど、簡単に死ねないから生きてるし、死ぬのが怖いから生きてる。そう思うと、死ぬのが楽じゃなくてよかったなと思わなくもない。

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