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いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ③ part.7

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


昨日は久しぶりに疲れてしまい、そのことを記事にすると、共感してくださるお声が多くて嬉しかったです。

コメント欄でも「お疲れさま」と言い合える関係に、憧れます。


このままさくさく読み進めましょう

「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」

の日です。

いろいろな解釈の仕方、感じる部分があるかと思います。

少しでも自分の感じたことが、みなさんの中にも共有され、誰かの支えになれれば嬉しいです。


それでは、参ります。


読み進めていく書籍は、

イルセ・サン
「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」 
2016年,株式会社ディスカヴァー・トゥウェンティーワン

です。


「前回って、どんな話題だったっけ?」な方に向けて、前の記事を貼っておきます。


また「バックナンバーが見たいです!」な方に向けても、マガジンを貼り付けますので、好きな記事をご覧ください。

ナンバリングが続いていますが、原則1記事完結で読めるように書いていますので、よろしければご覧ください。

「HSP関連」の記事を収納しているマガジン↓



💟

はじめに


最初にお断りしておきます。


この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、

レビューではありません。


この連載の構成は、

・読んだ部分の「感想」
・読んで「学んだこと」
・学んだことを「自分にどのようにいかすか」

という

個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに

「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」

という「表現」を、共有させていただく記事です。


ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、

何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」

と感じられた時は、

ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。


ですので、

「HSP本の、それぞれの評価が知りたい」
「HSP本で、どれが読みやすいか、わかりやすいかを知りたい」
「HSP本の、本の中身を教えて欲しい」

という方は、申し訳ないですが、

・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト

・出版社のホームページ

で、お探しください。


以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、

よろしくお願いいたします。


標記説明ついて:
【】の中にある題名部分が、当記事のメインとなります。



💟

【感想:第2章 恐怖心を感じ、憂鬱になりやすい 「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」(3)】


恐怖を感じること、私には普通のことだったけれど、周囲のみんなは違ったようだ。

自分の中で感じた恐怖を何度も確かめているところで「まだ?」という言葉を拾ってしまうと、途端、自分の感性が凍り付く。

はじめは凍ってしまうことが嫌だった。

でも、次第に「みんなに仲間外れにされる」方が怖くなった。

自分にはどうしてもできないことを、恥をかいてでも、出来ないことを影でこそこそ言われても、せめてしているように、考えているように頑張らないといけないのが辛かった。


ある人が言うかもしれない。

「どうしてその時に意見を言わなかったのか?自分の好きに夢中になれなかったのか」

そうかもしれない。

でも、周囲の友人はもちろん、ましてや、自分が感じる「恐怖」に対して、理解しようとしてくれたり、共感してくれようとしてくれる大人がいない場合、どうなる?

自分の恐怖を感じるこころを貫いたとして、それが元となって、大人から子どもまでの、いじめの対象になったら?

「考え過ぎだろう」

どうしてそんなことが言える?

その考えすぎが現実に起こっていて、一人で命を絶つ人がどれだけいるのか、その人が感じている恐怖を知っているのか。


「恐怖」は、恐怖を意識的に感じ取ろうとする人達でさえも、それをはっきり誰かに示すことはできないだろうと思う。

一人ひとりが持つ「恐怖」の概念さえ、違う。

一人ひとりの、それぞれの恐怖が寄り添い、共にいることができるから、人に優しくしたり、支えられる余裕が生まれる。

私が誰かの「怖い」を知ろうとする一方で、別の所で、あなたが私の感じる「怖い」を受け入れ支えてくれている。


だから「恐怖」や「怖い」を持ちつつも、手放せる場所は必要なんだ。

その場所は、単に命がつながる場所だけではないから。

自分が誰かの恐怖を支え、別の誰かに恐怖を支えてもらえる場所なのだ。



💟

【学んだこと】


HSPと恐怖、この組み合わせも、話の結論や終わりが見えないですね。

むしろ、結論や終わりが見える方が、怖い状態かもしれません。


サン博士も本の中で紹介されていますが、HSP気質の人は、想像力が豊か、独創性があることの実生活の例として、

身近な生活圏で、さまざま危険を予測することに長けていて、物事が進むだろうあらゆる可能性を考えられる

と、言われています。

しかし、その恐怖が、身体的な影響として出て来る人もいます。

サン博士の元にカウンセリングに訪れる方も、以下のような症状に悩まされるようですが、みなさんはいかがでしょうか。

激しい鼓動 心臓の圧迫感 呼吸困難 震え 発汗 うまく立てない
めまい 飲み込むときに喉が痛む 神経質になる そわそわする     心配になる 不安になる なかなかリラックスできなくなる       すぐに心が乱れる

私もいくつかあてはまるものがあります。

おそらくHSPでなくとも、個人それぞれに、恐怖を感じた時には、何らかの身体症状があるかと思います。


恐怖を感じることについて、サン博士は次のような言葉をくださいました。

ちっとも怖くないと言う人は、現実を真に理解していません。
人生とは危険なものです。
私たちには死が訪れますし、それがいつかはわかりません。

……(中略)……
でももし、恐怖心が人生の自由を妨げるのであれば、治療を受けるのもよいでしょう。

そうです、HSP気質の方は、いろいろな恐怖を感じますし、また恐怖の出現所をさまざまな場面から考えてしまうのです。


今、こうして文章を打っている最中も、

●立った瞬間にコンセントに足を引っかけて、畳ですりむく可能性もあれば、

●部屋の電気のカバーが外れて、頭を直撃する可能性も否定できません。

●あるいは、急に隕石の雨が私の家の周囲にだけ降ってきて、粉々にされてしまうかもしれません。

そうしたことを考えながらも、それでも何かしら動いて生きているのは、

具体的な事柄から抽象的な事柄を含んだ「恐怖」と向き合えているからですし、

そうなってしまった時の、覚悟が持てているからです。


とはいっても、その覚悟も、1日2日で醸成できるものではありません。

自分自身の問題だけではなく、周囲の環境や人間関係も重要なものになります。

博士からは、次の方法が提案されています。

・”憂鬱”の魔のループを小さな成功体験で断ち切る
 
・自分で思考をコントロールして、落ち込むような発想を避ける
 
・無理に楽観的にならなくていい


恐怖を感じることからによる憂鬱は、物事を否定的に考えるようになり、疲れてしまいます。

その疲れの中で、また更なる恐怖を見つけてしまうことが、悪循環となってしまう、というものです。

小さなことからでいいので、例えばですが、

「外が怖い」と思いに対して、「庭先にだけ出てみる」「玄関を開けて、扉を開けた先の景色だけ眺める」でも、小さな成功につながる

とされます。


自分の思考をコントロールすることについて、元は

感情は直接的にはコントロールできない

という観点から、提案してくださっているものです。

思考と感情が密接につながっていることからも、コントロールできない感情よりも、思考で自分に起こった恐怖について分析し、自分にとっての「恐怖」を感じる発想を避けることも、効果的だといわれてます。


HSPの恐怖を感じ取る感性は、個人的にはいいものだなぁと思っています。

自分の感覚に合った「安心」「安全」のセンサーが正常に運転してくれているからこそ、心置きなく触れることができます。

また、人によっては、私が使うものを「安心の水準」にしてものやことを選ぶ選択肢にされる人もいます。

見方によるのですが、その相手にも、楽観的ではない立場で「安心」「安全」の視点を提供できている、ともいえます。

最終的に何を選び取るのかは、個人の選択にかかってくるのですが、

HSP気質の人は、単に「怖い」だけ理由で、動けなかったり反応できないのではないことを、声を大にして言いたいです。


サン博士は、恐怖を感じることについて、

自分はHSP気質なだけだから、恐怖を敏感に感じ取ってしまうんだ!」というだけではなく、

本当に、何らかの精神疾患を抱えている可能性も示唆されています。

その判断は、素人には判断できませんので、自分の感覚にあったお医者様、あるいは専門家の方を探して頼ることが、堅い方法だろうかと思います。

HSPの人だって、精神疾患を抱えることはあります。
HSPであっても、精神疾患の治療を受けるのを拒否しないことが重要です。

と言われていることからも、恐怖心を考えることから、

HSPと精神疾患を、それぞれにに考えることはあってもいいけれど、完全に切り分けて考えるのは難しい

と考えます。



💟

【自分でどのようにいかすか】


人間の脳には、新しい脳と古い脳があると言われています。

特に、脳において恐怖や不安を司る部分を「扁桃体へんとうたい」といいますが。これは古い脳にあると言われています。

古い脳は、魚類、爬虫類、両生類の脳の大半を占めていて、それは生命維持の本能に関わるものです。

そんな部分も持ちつつ、今日まで生きています。

ここでの、脳についての詳しい説明は省きますが、この「古い脳」をフルに活用しない手はありません。


確かに、何度も恐怖をシミュレーションしたり、いろいろな可能性を探れてしまうことに対して、自分の気質を「ああ、うざったいなぁ…」と思ったことがあります。

もっと言えば、それが元となって、仲間外れにされたり、飽きられたり、悪口や陰口の対象になったことがあるからです。


でも、それでいいです。

この「恐怖」は、違う角度から言えば、

私が「心地良い」と感じられるもの・こと・人をよく知っていますし、心地良いものに深く反応します。

「恐怖」が教えてくれる「心地良い」は、一見「え、その方面から?」と疑いたくなる気持ちもありますが、私的HSP視点から語ると、

「あの”恐怖さんが”推してるもの・こと・人って何?!」

となります。

普段簡単に、ゴーサインを出さない恐怖さんからの推しなので、尚更興味が湧くのです。


その感度が合ったら、初めて人に声をかけたり、何かに取り組むための具体的な行動に移せるのだと思います。

スムーズにできることに越したことはないかもしれませんが、効率に頼りすぎるのは味気ない気がしますし、そもそも人間が、効率的に生活できるようにはつくられていないと思います。
(いや、できる人もいるのかもしれないですが、個人的には興味無いです。)


感情は、生きることに直結します。

生きることに直結するということは、それに従えば「生きる」方向にいくのではないだろうかと、考えます。

そのために、自分の中に眠る、人に合わせていない着飾っていない恐怖を、安心して放てることが、大切だと思うのです。



💟

みなさんからのスキに、元気を分けてもらえてるような感覚です。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさん、よきくつろぎ時間を。



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