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ヨーロッパ一人旅

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旅には何があるのか、いや何もないのか。そんなことを日々振り返りながら綴っていきます。
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記事一覧

美術に救われる(ドイツ・ドレスデン)

美術に救われる(ドイツ・ドレスデン)

ドレスデン編プラハを出てドイツ入り。ヨーロッパ一の経済他国だ。街中ではタッチパネルの案内地図、ビル、スーツを着た人(この旅で初めて見た)が歩いていたり、それを物語っていた。また移民を大量に受け入れているだけあって、人種も多種多様でこれも今まで見られなかった光景である。

ドレスデンはWWⅡ時に空襲(ドレスデン空襲)に遭い、壊滅的な状態から復興した街。

中心街にそびえ立つ聖母教会は復興のシンボルで

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旅のはじまりはじまり〜
楽しみ:不安=4:6

旅から学んだこと

お久しぶりです。
日々の刺激に情報過多になって頭が疲弊してしまい、投稿をお休みしておりました。(他の都市について投稿するかは現段階では未定です。)

本日2019/12/12をもって、僕の70日間のヨーロッパ旅は終わります。遺書ではないですが、帰国して心が変わらないうちに、旅の最終日に僕が70日間「何を学んだか」を中心に綴っていこうと思います。

※あくまで社会的意義を何も為していない一学生が感じ

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旅も2ヶ月目に差し掛かったところで、絶え間ない刺激に情報処理が追いつかず、脳が疲弊している状況です。頭を冷やすために少しの間、記事投稿をお休みします。
代わりに写真を投稿していこうかしら🙄

カスレに抱かれて(フランス・トゥールーズ、カルカッソンヌ)

カスレに抱かれて(フランス・トゥールーズ、カルカッソンヌ)

カルカッソンヌ・トゥールーズ編ルーブル美術館の2回目の見学が終わり、その足で南仏のトゥールーズ・カルカッソンヌへ。
以前トゥールーズで食したカスレの味が忘れられず、カスレの3大都市「トゥールーズ・カルカッソンヌ・カステルノーダリ」で食べ比べする予定。それぞれ調理法が違うらしく、「自分たちのカスレこそが本物だ」と張り合っているらしい。(時間の都合でカステルノーダリは行けず…)

パリから列車で5時間

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ルーブル美術館、再訪(フランス・パリ)

ルーブル美術館、再訪(フランス・パリ)

グラナダから25時間かけて急いでパリに戻った。その理由は、2019/10/24〜2020/2/24にルーブル美術館にて開催されている「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」に行くため。それだけ。

わざわざそこまでしてこの展示会に行きたかった理由は2つある。

1つ目は、アンボワーズでたまたまレオナルドが眠る城と出会ったことで、ある種の運命を感じ、彼に対する興味が湧き出でてきたため。
レオナルドが晩年住ん

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自分だけのアルハンブラ物語を紡ぐ(スペイン・グラナダ)

自分だけのアルハンブラ物語を紡ぐ(スペイン・グラナダ)

グラナダ編グラナダと言えば1492年のグラナダ陥落。親の名前より聞いたフレーズ。キリスト教によるイスラム勢力からの国土回復運動のレコンキスタが完了した出来事である。

世界史旅をしている僕が、こんな重要な歴史を抱える街に行かないわけがない。グラナダ陥落を象徴するアルハンブラ宮殿へ向かった。

アルハンブラ宮殿イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝によって建てられた宮殿である。今まで宗教が混

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後ルドバ(スペイン・コルドバ)

後ルドバ(スペイン・コルドバ)

コルドバ編コルドバを訪れた理由は一つ。8世紀に興ったイスラムの王朝、後ウマイヤ朝の首都がここに置かれ、受験勉強で思い入れがあったから。このように、衝動に身を任せて行動できるのも一人旅の面白いところ。

コルドバの地を踏むことだけが目的だったが、調べてみると、後ウマイヤ朝の最盛期の王であるアブド=アッラフマーン3世が建てたザフラー宮殿があることを知った。気分は一気に高揚した。

ザブラー宮殿日本

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暗闇を泳ぐ 〜後編〜(ポーランド・クラクフ)

旧ゲットーを後にして現ユダヤ人居住区であるカジミェシュ地区へ移動した。現実に起こったことなのだが、移動中にポーランドで初めて太陽を拝めた。ユダヤ人の悲しみを背負ったゲットーの過去から、明るく陽気なカジミェシュの現在への変化を感じ、一気に高揚感が生まれた。

カジミェシュ地区は中世のカジミェシュ3世がユダヤ人街を作ったことに由来し、シナゴークがいくつかあり、珍しくユダヤ教徒でなくとも見学できる。

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アウシュビッツを訪れて 〜前編〜(ポーランド・クラクフ)

アウシュビッツを訪れて 〜前編〜(ポーランド・クラクフ)

僕は歴史好きの延長で、ナチス政権下に関する代表的な作品だけは触れた上でポーランドにやってきた。『アンネの日記』『夜と霧』『ヒトラー〜最期の12日間〜』『シンドラーのリスト』 (『帰ってきたヒトラー』←これはギャグ)

高校生の頃にはワシントンD.Cにあるホロコースト博物館にも足を運んだ。
(※ホロコースト…ナチスによるユダヤ人大量虐殺のこと。ギリシャ語で「焼かれた生贄」という意味で、ユダヤ教に

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暗闇を泳ぐ 〜前編〜(ポーランド・クラクフ)

暗闇を泳ぐ 〜前編〜(ポーランド・クラクフ)

クラクフでの生活も慣れてきた。3日目ともなると街や国民のことが多少は分かってくる。

カップルの多さ

これはポーランドに限った話では全くないが、男女で歩いている組が圧倒的で、至る所でチュッチュしてる。
改めて日本の街中で見かけるカップルの割合を思い返すと、その未来を悲観せざるを得ない。

みんな流暢に英語を話す

当然僕はポーランド語を話せないので、英語に頼るしかない。最初は英語が通じるか不

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理想と現実(ポーランド・クラクフ)

理想と現実(ポーランド・クラクフ)

クラクフ18時間かけて、ワルシャワ・ショパン空港に到着。

カタール航空のエコノミークラスは座席の幅が比較的広かったとはいえ、久々の長時間フライトには疲弊😇

ただそんなことよりも、長年夢見ていたヨーロッパの地を踏んでいる事実の高揚感が遥かに勝っている。理想の世界に飛び込める。そう思った。

しかし・・・

【第一の試練】ただ、到着早々に事件は起こる。入国手続きで70日間の滞在を怪しまれ、予約

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アウシュビッツを訪れて 〜後編〜(ポーランド・クラクフ)

アウシュビッツを訪れて 〜後編〜(ポーランド・クラクフ)

遥々訪れてわかったこと結論から言うと、シンプルにアウシュビッツ自体は過去の凄惨さを伝えるもの、というよりも未来永劫二度と同じ失敗を繰り返さないことを世界に発信するための遺産だと僕は感じた。勿論、凄惨さを伝える役割は担っているが、今の時代どこにいてもアウシュビッツ博物館について知ることが出来る。ただ、後者については現地に足を伸ばさなければ感じられない気がしている。

批判を受けるかも知れないが、アウ

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ハプスブルクを感じる(オーストリア・ウィーン)

ハプスブルクを感じる(オーストリア・ウィーン)

ウィーン編①クラクフから列車に乗ってウィーンへ移動した。″漠然と″ハプスブルクを感じたいがために。 (ハプスブルクは複雑なのでwipediaでどうぞ笑 )列車は謎の停止を繰り返すも時刻表通り正確に運行し、7時間で到着。

夜着のため宿で寝るだけのつもりだったが、寝るには早かったのでウィーン中心街を散歩した。歩きながら、「″漠然と″ハプスブルクを感じるためだけにウィーンに来たけど、物価も高いし失敗し

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