マガジンのカバー画像

トウキョウ百景

51
東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
運営しているクリエイター

#スキしてみて

京王永山駅のラーメン屋で後輩が言ってくれたこと

京王永山駅のラーメン屋で後輩が言ってくれたこと

社会人になってから、一度だけボランティアサークルに入っていたことがある。ただ仕事でパワハラを受けた時期と重なってしまったり、それに伴って転職したり、なんかバタバタしてしまって、数回参加しただけで辞めてしまった。

なのでそこでの人間関係はほぼ出来なかったけれど、1人だけ、原山くんという大学生の男の子とは、連絡を取り合う仲になった。
原山くんは日本映画が好きで、愛嬌があって、ただ少し斜に構えた感じも

もっとみる
品川シーサイドの公園で、同級生のヤンキーがかけてくれた言葉

品川シーサイドの公園で、同級生のヤンキーがかけてくれた言葉

「あ、やめろーーー!」
と思いっきり叫んだけれど、時すでに遅しだった。
クラスメイトの寺田が壁に投げつけた僕のスクールバッグの中身を見ると、友だちから借りたばかりのORANGE RANGEのロコローションのCDがパキッと割れていた。

寺田は中学で出会った同級生のヤンキーで、入学直後から目立ちまくっていた破天荒なやつだった。
自分の衝動を押さえることができず、相手がクラスメイトでも先輩でもたとえ先

もっとみる
青空の下、永福町の公園で思ったこと

青空の下、永福町の公園で思ったこと

6年前の夏の終わり。
パワハラにあって、自主退職に追い込まれた。
一時期は無職になってしまうかと思われたけれど、なんとかギリギリのところで次の転職先が決まった。

その転職先で働き始める、前日のことである。
初出勤日が近づけば近づくほど、僕は超不安になっていた。

ひょっとすると、転職先にも同じような気質の上司がいて、まためちゃくちゃに否定される毎日が待ち受けているのではないか。
食事が喉を通らな

もっとみる
練馬の環状8号線でチャリに乗っていた高校生は高円寺に行かないそうです

練馬の環状8号線でチャリに乗っていた高校生は高円寺に行かないそうです

環状8号線を走っていて練馬あたりを通るとむずむずする。それは高校生の頃の恥ずかしい記憶がいまだにちらつくからである。

私は高校生の頃、本格的に古着文化が好きだと自覚した。そして、古着を買うためにいろいろな街に繰り出すようになった。練馬あたりに住んでいた私は、古着屋の多い高円寺にチャリで行くようになったのだった。

しかし、中学生のころと打って変わって古着が好きだとしっかりと自覚すると、雑誌を読ん

もっとみる
駒場東大前の高校のグラウンドには、投げ捨てたすね当てがまだ転がっていた

駒場東大前の高校のグラウンドには、投げ捨てたすね当てがまだ転がっていた

高校2年生の10月、もうすぐ秋の公式戦が始まろうとしていた頃のことだ。
サッカー部に所属していた僕は、ちょっとした怪我が続いていた。
練習中に思いっきり腕を打ちつけてしまったり、もともと持病があった腰が痛くなったり。
練習を途中で切り上げるようなこともあって、先発とベンチスタートを行ったり来たりしていた。

そんな時期に、駒場東大前から少し歩いたところにある高校で、練習試合があった。
都内のサッカ

もっとみる
「羽田空港行き」を見て思い出すこと

「羽田空港行き」を見て思い出すこと

実家から羽田空港へのアクセスが良かったこともあって、小さい頃は空港に遊びに行くことがあった。
乗り物全般が好きだったので、空港の屋上のような場所に、離着陸する飛行機を眺めに行った。
ポケモンジェットが話題になった時にも、観に行った記憶がある。
羽田空港に遊びに行こうか?と言われると、心が弾んだ。
ただ、色濃く残っている記憶が二つあって、それらは飛行機のことではなかったりする。 

一つは、ラーメン

もっとみる
下北沢駅前の居酒屋チェーンで

下北沢駅前の居酒屋チェーンで

大学3年生の春、就活の影が見え隠れするようになってきた頃の話だ。
ティーンの頃から音楽が大好きで、その音楽を仕事にできたら幸せだろうなあ、と漠然と考え始めたタイミングで、当時よく読んでいた音楽雑誌が「音楽業界で働くとは?働くには?」という内容の講座を開くというお知らせをたまたま見つけた。
「ここに行けば夢が叶うかも」と少し興奮してすぐに申し込み、月に数回下北沢に通うことになった。

講座には、僕と

もっとみる