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【目印を見つけるノート】1344. 小林秀雄の『本居宣長』についての講座を聴きました

今日はきのう伺ってきた講座と鼎談のことを書きます。

ここです。

神奈川近代文学館で開かれた『小林秀雄は永遠に新しい!vol.2』を受講してきました。こちらは小林秀雄さんの没後40年記念連続講演のひとつで、タイトルで分かるように2回目です。
初回は芸術評論を取り上げ、今回は小林秀雄著の『本居宣長』がテーマでした。

できるだけ平易に書きたいと思うのですが、それ以前に講座の内容をきちんと受け取っているかが不安です。「私はこう聞いた」ということですので(いつもそうですが)、その点ご留意ください。

【第一部】
日本大学・先崎彰容教授の『うた・詞・物語ー小林秀雄と本居宣長』の講演がありました。
まず小林秀雄の本の方の構成を解いてから、本居宣長の『もののあはれ』という考え方の基になった『源氏物語』について、『蛍の巻』を引用しつつお話がありました。この巻の蛍と源氏の語る場面のように、他者と言葉のやりとりをする中で生まれる「ものがたり」は遥か昔から存在していた。ものがたりを通じて世のありさまを知り人の心を知る、それが「もののあはれ」である。
「ものがたり」のありようを説いた宣長の源氏論を小林秀雄は近代文学の様相と比して、文学本来の面目を保つものだと評価している。
そのように、小林秀雄が宣長を吟味して至った文学の解釈についてお話をいただきました。

【第二部】
続いて愛知教育大学・前田勉名誉教授から、「二冊の『本居宣長』ーー村岡典嗣と小林秀雄」の講演がありました。
『本居宣長』という書物は小林秀雄よりかなり前の1911年に村岡典嗣によって書かれたものがあり、その書(著者)と小林秀雄のものを比較するという内容でお話がありました。村岡典嗣は東北帝国大学法文学部教授で日本の思想史学の創始者のひとりです。こちらの『本居宣長』は現在東洋文庫から出ているもので読むことができます。

村岡典嗣は宣長の説を「学」として検証し、その本質的意義を文献学としています。そして文学ではなく古道に帰結したことから、日本思想史の中に位置付けるものとしています。その点は小林秀雄があえて触れなかった部分。村岡典嗣の学としての位置付けと直感(直知)で宣長の肉声を聴こうとする小林秀雄の視点とは異なるものである。
村岡の立場に立つ研究者として、それぞれの持つ「くるわ」(囲い、制限された枠)から出て、外側から見ることも必要なのではないか。宣長は伊藤仁斎と荻生徂徠の流れで読み解くべきと思う。そこに新しい宣長研究が見いだせるのではないか。
また、生活人(凡人)という言葉の象徴するものについてのご説明もありました。

【第三部】
講座の後は登壇されたお二人に、コーディネーター(とお見受けしました)の文芸評論家・新保祐司氏が加わり、『批評と学問』という鼎談(ていだん)がありました。新保氏は小林秀雄の『本居宣長』が刊行当時たいへんな話題になったことや、なぜそのテーマを選んだのかというエピソードを挙げられた上で、「モーツアルトの芸術の評論などに比べると失敗だったかなと思う」とおっしゃいました。そして、講演者からも順に発言を受けて、音楽で言えば楽曲が学問で演奏が批評であると喩えられ、異なるものだとまとめのようにおっしゃられました。

伺った内容をまとめきれていませんが、このような感じでした。
実に知恵熱を出しそうなテーマでした。
なかなか書くのに難産だったのは、講演者のお話をまとめるというのももちろんありますが、それに対する自分の感想をどのように出したらいいのかと考えてしまったのが大きかったです。

小林秀雄の著書『本居宣長』を複数の視点で検証していましたが、
このテーマを考える視点はスライドのようにパタパタ変えられるなと思いました。
・小林秀雄の視点
・本居宣長の人生通しての視点
・『源氏物語』の視点
・江戸の学者の視点(儒学・朱子学など)
・国学者の視点
・歴史の視点
・学としての視点
・評論としての視点
・広義の文学としての視点
・宗教的な視点
・それらが現代にどのような示唆を与えているかという視点ーーなどです。

もちろん、私がそれらに通暁していないのは周知の事実ですから、どの立場というのはありません。学んだというだけなのですが、文学にしても学問にしても、それが現代にどのような意味を持っているのかということは考えました。答えはすぐに出せるものではありませんが、意味がないということは決してないと思うのです。

そのようなことで、テーマとして持っておきたいと考えながら横浜から帰ってきたのでした。

直近3回の講座を受けて、倭姫宮のこと、勝海舟と徳富蘇峰のこと、今回の小林秀雄と本居宣長のこと、全然別の内容だと思っていましたが実は深く繋がっているなと思いました。どの立場も異なりますし、見解もさまざまです。それをいったん飲み込むというか、客観的に受容して学んでいく必要を感じています。逆にいうと、これは私にとってだけではない、とてもとても大きなテーマなのかもしれません。

ところで、賀茂真淵が出てきませんでしたね。個人的に意外と好きなのですが😅あがたのうし。

次は『お城EXPO』を経て、伝統芸能の講座です。楽しみ😊

それでは、今日の曲です。

R.E.M『Stand』

今日書いていて知恵熱かぐらいになって、思い浮かんだのはこの曲です。武道館でもやっていたなあ(いつの話👀‼️)。

♪きみが生きている場所に立つんだ
 そう、北を向いて
 方向を考えるんだ
 なんで考えたことなかったんだ

という感じですか。単純で深いですね。
違いを客観的に受容しつつ、シンプルに考えるようにしようと思います。

それでは、お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 これがまとまれば次に行けます(ふう)。

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