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旅は行く先の「文化」を味わってこそ。

旅は国内外に関わらず、その国や土地の文化に触れられる。
気候や宗教、歴史や言い伝えなど、色々な事情で独自のスタイルが確立していく郷土料理や建築や芸術、そこに住む人の考え方。同じ国でも、繁栄した時代が違うために街の雰囲気が違う、ということも結構ある。


日本から出れば、日本人の私からすると驚くような文化もあるし、理由を聞いても「なんで?」と思うことにも遭遇するのだ。



例えば、ドイツの鼻事情。
ドイツでは鼻をすすることはマナー違反となる一方で、人前で鼻をかむのはOKだったりする。これは歴史とか言い伝えがあるわけではなく、「鼻をすする音がドイツの人には不快な音だから」という理由らしい。

私も、目の前でずっとズルズルと鼻をすすられていたら「大丈夫?」と声をかけるけれど、不快にはならないしさほど気にしない。
逆に目の前で音を立てて鼻をかまれ続けるほうが気になるのだが、そっちのほうが気にならないのがドイツ文化らしい。(まあドイツの人の性質的に、花粉症でもない限り、風邪を引いたらすぐ家で休みそうではある)

不思議だなあと思いつつも、私は基本的にそういうルールみたいなものは受け入れるし守る。
そういう文化を知って自分も倣ってみたり経験をしてみたりするのも、旅の面白さだと思っているからだ。


ビーチリゾートのような、ゆっくりと海を見ながらのんびりする「THE バカンス」を選ぶ人でない限り(それでも異文化にふれる機会はあると思っているけれど)、旅をする人はその土地の文化を味わうことを楽しむものなのだと思っていた。
しかし先日の旅で、そうじゃない人も結構いることを知った。


ミュンヘンでも最大級のビアホール「Hofbräuhaus(ホフブロイハウス)」

それはこの前のドイツ国内旅行で、ミュンヘンへ行ったときのこと。
ミュンヘンは「 オクトーバーフェスト 」と呼ばれる、いわゆるビール祭りで有名な街だ。街の中心部にはミュンヘンの中でも有数のビール醸造所が「Bräuhausブロイハウス」といういわゆるビアホールを出店している。

中には州が運営しているビール醸造所のビアホールもあって、そこの客席数は1フロアだけで1000席以上。観光地化しているため、平日に行っても午後以降はずっと満員で、夕方に行った私たちはたくさんのテーブルを見て回りながら、なんとか席につくことができるレベルだった。
(ちなみに席の予約もできる。予約なしの場合は座る場所は自分で空いている席を探して座るのがこのブラウハウスのルールらしい)


私たちがついたテーブルは4:4で最大8人くらい座れるもので、先に黒人ペアと白人ペアの男女2組が座っていた。どちらのペアも対面じゃなく横並びに座っていて、私と夫だけが対面という配列の中、夫の隣に座った黒人ペアの女性が英語で話しかけてくれた。


「どこから来たの?」
「日本からだよ(今住んでるのはドイツなどというとややこしいから大半はこれで通す)。あなた達は?」
「私たちはステイツから来たよ」


(ステイツ……?)
私は騒音のせいで聞き取れなかったのかと思ったけれど、アメリカの人は自国のことを「The States」とだけ言うことがあるらしい。
アメリカ出身の黒人ペアは、先にこのテーブルにいた彼らが対面している白人ペアに話しかける。私の隣に座る白人ペアは、キリル文字を使う東ヨーロッパの方々らしかった。
私は途中からそのやり取りを見たので、出身国が分からなかったけれど、どうやら彼らは母国語と少しドイツ語を話すのみで、私たち以上に英語が通じないようだった。

それもそうだ。
ヨーロッパにはEU加盟国だけでも24の公用語があるという。(参考サイト
その中で英語を母国語として話す国はアイルランドとマルタ共和国のみ。それに近隣でEUに加盟していない東ヨーロッパにもたくさんの言語がある。
ドイツは東ヨーロッパとも近いことを考えると、英語を話さない観光客も多いのは自明の理だろう。

でも、アメリカから来た2人にとっては、ウェイターの女性とアジア人の夫にしかほとんど英語が通じないこのテーブルがカルチャーショックだったらしく、最初は明るく「一緒に写真を撮ってよ!」などと盛り上がっていたのに、次第に言葉数が少なくなっていった。


そんな冷めゆく雰囲気の中、夫の前に注文した料理が届いた。
それは「ヴァイスブルスト(白いソーセージ)」というミュンヘンを代表する郷土料理だ。

これが「Weißwurst(ヴァイスブルスト)」
白いポットに入ってお湯に浸かった状態で提供され、
右上の甘いマスタードと食べるのが一般的。
大体プレッツェル(ドイツでは「ブレーツェル」という)がついてくる。

ヴァイスブルストは、もともとは朝食と昼食の間に食べるスナック的なものだったらしい。「ソーセージをスナックとして食べる」ということも驚きだけれど、ヴァイスブルストはほかにも色々面白い話がある。

ヴァイスブルストがあまり日持ちしない食べ物であることから、冷蔵庫のなかった時代は仕込んだ朝からお昼前までしか食べられなかった。
「ヴァイスブルストに12時の鐘を聞かせるな」という言い伝えみたいなものもあるくらいで、今もその伝統を守って午後2時くらいまでしか注文できないお店もある。
そういう色々な話も含めてミュンヘンでは有名な食べ物なのだ。


ヴァイスブルストは、色々な話がある割に見た目はシンプルだ。
でもこのソーセージには、ちょっと変わった伝統的な食べ方がある。
それはソーセージの皮を剥くこと。

中の肉の鮮度を保つために少し固めの腸を使っていて、食べられなくはないけれど食べづらいため、腸を剥いで食べるのが伝統的な食べ方らしい。


そんな情報を「地球の歩き方」などで知っていた夫は、早速ポットから取り出したヴァイスブルストの皮をナイフとフォークを使いながら剥いて食べ始める。
その食べ方を知っていたので私は気にもとめていなかったのだけれど、夫の隣のアメリカ人女性は……まさにドン引きという顔でそれを見ていた。

どうやらヴァイスブルストの食べ方を知らなかったらしい。
声を掛けることもなく信じられない物を見るような目を向けている。
それに気づいた私の隣の東ヨーロッパの白人ペアの男性は「ヴァイスブルストだね!」などとカタコトのドイツ語で話しかけてくれたけれど、ドイツ語の分からないアメリカ人女性は呆然としたままだった。(笑)


ミュンヘンの観光情報を読んだら、割と序盤に書いてあるようなものだけれど、どうやらほとんどこういう情報を調べずにドイツに来ているらしい。
会った日の朝にアメリカからドイツに来たと言っていたので、きっとドイツに来て初めてくらいのカルチャーショックだったのだろう。


そんなドイツ初心者らしきアメリカ人女性は、私のもとに届いた料理にさらなる衝撃を受けることになる。


私が頼んだ料理は「アイスバイン」。
豚のすね肉を香味野菜やスパイスなどで煮込んだ料理で、茹でたじゃがいもとザワークラウトが添えられた「これぞドイツ料理!」みたいな取り合わせのメニューだ。

ミュンヘンの料理は総じて大きい!

本当はベルリンの名物らしいのだけれど、まだドイツに来てから食べたことがなかったので注文してみたのだ。


もちろんこれにもアメリカ人女性はドン引き。(笑)
しまいには「これは調理済のものなの?」と夫に聞く始末で、これを美味しそうに食べる私に、冗談抜きに冷めた目を向けていた。


そして、私にこのメニューの名前を聞いた後、アメリカ人ペアはアイスバイン以外のメニューを注文した。


たしかに「アイスバイン」は印象的な見た目ではある。
日本には「豚足」とか「モツ(やホルモン)」のような、一般的な肉らしい形状じゃない部分を食べる料理があるし、私はそんなに気にならない。

実際このアイスバインはとても美味しく、添えられていたホースラディッシュの千切りと一緒に食べると、ピリッとした辛味が煮込まれてトロトロになった豚の皮とお肉とよく合って、この大きさをあっさり食べられてしまったくらいだ。
しかしそんなことを知る由もないアメリカ人の女性は、こちらを見ることすらしなくなっていた。



その後、アメリカ人ペアは注文した豚肉のザワークラウト煮込みなどを食べ始めた。どうやら好みの味ではないらしく、食べる手がどんどん遅くなっていく。
ドイツ料理は全体的に塩味が強いことが多いので、そういう意味でも受け入れづらかったのかもしれない。しょっぱいからビールがすすむ、という呑兵衛的な感覚で私は受け入れているのだけれど(あと添えられたもので塩味を薄める)、彼らにとってはそういう話で片付けられるレベルの塩分濃度ではなかった可能性もある。

結局彼らは料理を残し、ビールも残してこちらに挨拶もせずにその席を立った。挨拶もしないしほとんど食事を残していたので、向かいにいた白人ペアは席を後にしたことに気づかないほどだった。
序盤のこのテーブルで話の中心でいようとしていた姿から比べると、驚くくらい静かな退店だった。

夕方のブロイハウスは大混雑! 
大忙しでビールや料理を運ぶウェイターは、
通路で席を探す客を大声でどかしながら歩いていく。
ウェイターは担当テーブルが決まっていて、持ち場以外の注文は受けないので注意。


彼らからしたら英語が話せない白人ペアも、理解できないソーセージの食べ方をしたり、調理が終わっているように思えない肉を美味しそうに食べているアジア人ペアの私たちも異質で受け入れがたいものだったのだろう。
なんなら夫については、これが伝統的な食べ方という可能性を感じることすらなく「変な食べ方をするアジア人」と認識されている可能性もあるし、アイスバインを美味しそうに食べる私のことは「ゲテモノ食い」のように見えていた可能性すらある。
どんどんこちらを見なくなったのも「 拒絶 」のそれでしかなかった。



でも正直なところ、そのアメリカ人のペアにどう思われようと知ったことではない。
多少気になる視線を向けられていたとしても、私たちはブロイハウスという場で、ミュンヘンやドイツ料理を存分に味わっている。
むしろドイツを楽しんでいるのは、英語をあまり話さず(彼らにとって)異質な料理を味わう私たちなのだ。

実際、私の拙い英語とドイツ語でも、ウェイターの女性とうまくコミュニケーションがとれていたし、ビアホール内で定期的に行われる生演奏の度に白人ペアと乾杯するのもとても楽しかった。
これもブロイハウスの楽しみ方のひとつにほかならない。

私はミュンヘンの文化と食事を受け入れ、味わい、存分に楽しんだのだ。



おそらく彼らと私たちは、
「旅」に対する姿勢が根本的に違うのだと思う。

彼らには外国に来ながら、自分たちの生活する中に無いものを受け入れる、試してみるという気持ちがあまりにないように見えたし、自分たちの思いどおりにならないことや、自分たちの知らないものに対応しようとするマインドも感じられなかった。
自分たちの知らないものや思い通りにならない状況を、拒絶・排除するという選択をしたように私からは見えた。


彼らもかなりのカルチャーショックだったのだろうけれど、私からすると、そういう姿勢の人たちに旅先で出逢ったことがカルチャーショックだった。

私は自分たちと話す言葉も感覚も違う人や、そういう人達によって作られた歴史や食文化や芸術などに触れられることが、旅行の醍醐味だと信じて疑っていなかった。
外国に来れば異なる文化に出会うのは当然で、それをはなから拒絶してしまったら、逆に何を楽しむの?くらいに思っていたのだ。

もし私が彼らのように英語が話せていたら、そして彼らの序盤の態度くらいコミュニケーションを取る意思を持っていたら、迷わず「それは何?」と聞いていた。
カタコトでしか言葉が通じないのだとしても、少なくともその場に1人は英語を話せる人がいたのだし、仮に相手がカタコトだとしても少しでも料理を知ろうとしたと思う。
今や言葉の一部さえキャッチできれば大抵のものは検索できる時代で、その気さえあれば理解する方法はいくらでもあるのだ。


もちろんあまりにも感覚が違って理解しがたかったり、受け入れられなかったりすることもあるとは思う。
でも、そういう可能性も知っておくのが旅行前の下調べだ。今回のビアホールくらい有名な観光スポットなら調べさえすればいくらでも情報は出てくる。

本当に嫌なら自分たちがそこへ行かなければいいのだし、来ておいてほかの観光客に冷ややかな視線を向ける筋合いは無い。
それはキリスト教の教会へ行っておきながら、祭壇に向かって祈る人を見て「神を信じるなんて…」と思うのと同じくらい不可解な行動だと思う。

何も言わないとビールが1Lサイズが出てくるのも
ドイツ(ミュンヘン?)カルチャー。
オクトーバーフェストもこのサイズが標準とされている。


今回の件で思ったのは、「 知ろうとしないのは、もったいないこと 」ということだ。
知るチャンスはいくらでもあるのに、知ろうとしないほどもったいないことはない。今回のことが差別的だとかそういうことは思わない。(ヨーロッパにいる人全員が英語を話せて当然ではないぞ、とは思うけれど…)


知らないことを知るチャンスなのに、
それを棒に振っている感じがして、
ただただ「 もったいない 」と思った。


英語もドイツ語もまだまだボロボロだけれど、今持っている好奇心や知らない何かを知って理解したいと思う気持ちを持ち続けたい。
私にとっての旅は「文化」との出逢いを楽しむものなのだから。


*つぶやき*
ちなみにミュンヘンの飲食店でもう2組ほど英語圏(アクセント的に多分アメリカの人)が近くの席にいたことがあったのだけれど、総じて食事に不満を覚えている様子で、結構な量を残していた。
ミュンヘンの料理が多いのもあると思う。でも量はアメリカの料理も負けないだろうし、おそらく口に合ってない感じがしているのだが……。
何が合わないのか(塩味の強さなのか、風味とか食感とか、もっと別のものなのか)がとても気になっている。

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