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体験談2

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#日記

3.11を忘れる

被災していない人なんて、いない。

映画のような、街を津波が飲み込む光景。壊れたラジオのように毎回流れる同じCM。

余震がある度緊迫したスタジオに切り替わる画面、アナウンサーと点滅した日本地図。

同じ揺れを体感していなくても、誰もが7年前のあの日の鬱屈した日々を忘れることはない。東北に限らず、日本国民全員が被災者になった日だったと思う。

7年前の今日、わたしは茨城の実家にいた。現役で志望大学

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一度訪れただけでは何も知れなかったけれど、また行きたくなる場所だった、気仙沼旅行の話

一度訪れただけでは何も知れなかったけれど、また行きたくなる場所だった、気仙沼旅行の話

宮城県気仙沼市に、震災復興のボランティアに定期的に通っている友達がいる。その子が春休みを使って、気仙沼に長くいるというので、私も1泊2日で合流して、とっても充実していたし、お腹も満たされたという話。

私は仙台出身だけど、震災にかかわるボランティアや何かに関わったことは今までなくて、海沿いの「被災地」と呼ばれる地域に行くのは初めてだった。

震災当時は、私の住んでいる地域は、山沿いで被害は少なかっ

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福島が《FUKUSHIMA》になってから

福島が《FUKUSHIMA》になってから

私は、ある3月の日曜日に、神奈川県相模原市の大きな病院で生まれました。母の実家がそこにあったので。けれど、産声をあげてひと月も経たないうちに、私は「福島の子」になりました。

福島県福島市。福島県の真ん中の一番上にあって、人口は30万人にギリギリ満たない街です。県庁所在地なのにあの郡山市にはちょっと気後れしちゃう、かわいい街です。小学校の社会科の授業では、「福島市は猫の形をしているね」と教わります

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3.11から6年に思うこと

6年前、僕は大学3年生でした。21歳か。

東日本大震災が起こった時、僕は東京にいた。ただただ怖かった。

いろんな情報が錯綜して、放射能が東京まで来るという憶測が流れ、お世話になっている先輩が実家の大阪に帰る際に一緒に大阪に避難することにした。

群馬にいる親に伝えるとそんな必要はない、と怒られた。

テレビの情報だけじゃなくちゃんとネットでも情報を得てよ、と偉そうに説教垂れていた。

大阪に1

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震災の記憶

大雪の朝。車でいつもの道を走っていると、道の両側に連なる一面灰色がかった景色に、震災のときの記憶が重なった。全く違う場所だし、もちろん瓦礫なんてひとつもないのだが、あのとき目の当たりにし脳裏に焼き付いた、瓦礫の街並みの映像が浮かぶ。こういうことが時々起こる。震災の記憶以外にも、9.11のニュース映像から、交通事故の現場、漫画に出てくる残虐な場面が想起されることもある。これはなんという現象なのだろう

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はじめてノート

はじめてノート

写真は友達が撮った阿蘇の写真。
お気に入りすぎてすぐ保存。
雪景色と広大な自然が日本じゃないみたい。。素敵

記念すべきノート一回目

はじめたきっかけは資金集め。

突発的に何かしようと思ったとき、運命かのような導きで

動き出そうとしている。

あ、私運命とか奇跡とかすぐ信じてしまうタイプです。

でも信じてしまうタイプと言うか、本当に導かれやすい。導かれやすいのか、そこに導かれようとしている

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