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532.そう、男性は女性をほめる。女性は男性をほめるんだ~褒め言葉研究会②

※531.「お金も愛も出世も誉め言葉に吸引されるんだよ~誉め言葉研究会①」よりの続き(一応、読み切り、一話完結)

1.豚さんだって木に登れるんだよ~


豚もおだてりゃあ木に登る~

coucouさんはね、ことわざ通り木に登った~
でもね、真っ逆さまにその木から落ちた~

当たり前だよね~
豚さんは、豚さんなんだもの…。
木に登れるわけがない…。

coucouさんは、豊澤会長に初対面で褒められて宙に舞い上がったんだ~
そして、豊澤会長の前座を務めた…。

生れてはじめての講演会、前座とはいえ成城にある区民センターには100名以上の観客がいた。

みんな真剣な眼差し。

そうだよね、高いお金を払ってきているんだものね。
参加者名簿を見たら日本全国から集まってきている。遠方の人はホテル代だって支払っている…。

うわ~

重い~

coucouさんはたくさんの人前で生れてはじめてマイクを握る~
間違っちゃいけないので恥ずかしくとも台本を読みながら、資料を交えて説明に入る。資料を準備したのは、みんなの目線が資料に向くからなんだ。苦肉の策のデビュー戦だったんだよ~
(真っ青なcoucouさんを見ないでほしい…)

わずか30分なのに数時間の重苦しさな雰囲気だった…。

次は、豊澤会長の講演だ~

言葉一言一言に、みんな真剣に耳を傾ける。
メモを取る者もいる。
coucouさんも豊澤会長の言葉に魅了される。
ゆっくりと笑顔で語り続ける。
その内容は応援と励ましだ。

そう、豊澤会長は神さまだ~
だけれど、この静まり返る、会場が一つになる、まるでライブ会場のような気がする。

彼の話は発明の話だけれど、アイデアや発想法、そして次々とヒントが出される。(coucouさんには人生の話に聞こえた)

そして、発明は一部の発明家のものではなくて、すべての人が自由に考える、自由に創作する権利のあるものだと力説。
そして、高額な費用のかかる知的財産権(特許権、実用新案権、商標権、意匠権、著作権)などを専門家に任せず、自らが出願することで愛着も湧くし、何よりも低額で申請することが出来る。発明やアイデアは大衆のものだ、と言い続ける。

そう、心酔するよね~
だって、大衆の味方なんだもの~

そして、この豊澤門下生は全国に数百万人という数に膨れ上がっていく。
coucouさんはその中のほんの一部に過ぎない…。

そして、個人で出願を勧める講座やセミナー、売り込み方の教室、体験発表などを全国の支部にまで広がっていった。

だけど、当然、敵は増え続ける…。

それは、その知的財産権を生業にしている者たちからすれば、当然、面白くない…。みんなが自分で出願ができるようになると、自分たちの既得権を失う国家資格者たちの存在だった。

そして、自分で出願することに対する裁判にまで発展していく。
でも、自分が考えたアイデアや発明を自分で出願することは何ら違法行為じゃあない。違法なのは国家資格のない者が代理で出願を行い、収益を得ることが違法なんだ~

ただし、申請書類のお手伝いや、作成業務のお手伝いは違法ではない。
後は本人が自分自身で申請すれば良いのだからね。

だけど、豊澤会長がこの世を去るまでこの戦いは続いた…。

そう、発明やアイデアを大衆のものなんだと~


そう、coucouさんはその神さまに褒められ続けて講演やセミナーを続けていった。もう数百回を超えたかも知れない、いや、25年で1000回以上の気がする。どんな下手でも、どんな豚さんでも1000回続けば簡単に木が登れるようになる。

もちろん、落ちたのはその数倍以上だけどね…。


coucuさんを相変わらず褒め続ける豊澤会長~
ある日、一緒の仲間や、着物姿の似合う事務員さんがcoucouさんにいう…。

「coucouさん、会長はね、補聴器を付けているけれどほとんど耳が聞こえないのよ…」

え~
coucouさんは驚いた~

「でも、ちやんとcoucouさんの言葉に対して頷いているし、ちゃんと会話が成立していると思うのですが?」

「でも、聞こえていないのよ…」

あれ~
coucouさんは話すのが上手い、大したもんだって褒めていてくれたはずなのに…。

あれ~
今振り返れば、彼はcoucouさんの表情だけ見て判断をしていたような気がする。読唇術?テレパシー能力?人の心が見える霊能者?それとも超人なの?

豊澤会長はcoucouさんの話など一切、聴こえていなかったんだ…。

そのすべてが当てはまるから、カリスマなのかもしれない…。

③次回続く(読んでね~)


coucouさん撮影写真「美女たちに囲まれる豊澤会長」

2.豊澤会長の言葉より


ほめると損をするように思うが、そうではない、人をほめて一番得をするのは自分である。

私は師範学校のときから頭が悪かった、成績は、半分より上になったのはたった一度だけ。しかし卒業後、小学生の先生になってからは、自分がほめられたことがないので、せめて生徒はほめてやろうと思って、小さなことをみつけては、ほめて、おだてて、よろこばしていた。

それを校長が、あやまって「豊沢は教え方がうまい」とほめてくれた。

そのとき、とびあがるほど、うれしかった。

その一言で私は生徒をほめることがますます好きになった。

私が受持った生徒の入学試験は、いつも95%は合格していた。バレー監督になると、県下で優勝し、全国少年排球大会で優勝戦まで勝ちすすんだ。

田舎の貧乏な漁師町の子さえ、そうなった。

それはほめて、おだてて、生徒をまいあがらせたからである。自信をもたせたからである。

選手の中の一人に大松博文という子をほめて、おだてて、

「お前は二人パスを考えた。凄いぞ、今に日本一の選手になれる、しっかりやれ」

とほめた。すると子供の魂、百までといわれるように、後年、東洋の魔女といわれるバレー選手をつくる大監督になった。

オリンピックで優勝したとき、やってきて、

「先生には、ほめられ、おだてられました。私も選手をほめて、

おだてて自信をもたせました」という。

3.ほめておだてて、素晴らしい人間をつくる


私はほめ上手と認められて、当時、自由教育の本山と有名だった成城学園に招かれた。

ここでも、ほめておだてて、すばらしい人間をたくさんつくった。

いまは、発明家を指導しているが、そのほめ上手は日本一と思っている。

だから、私の弟子は、たいてい名もなき町の発明家や、下級工員だが、発明最高の勲章や褒章をもらった人は沢山いる。

それ等の人々が集まった、300名の褒章クラブは、代々、科学技術庁長官が顧問になるという有名な発明団体である。

その三分の一は、私の弟子の中から育っている。そのため私は、そこの最高顧問になっている。長官よりは私の方が世話をたくさんできるからである。

どんなに発明家がおちこんでいても、私は必ず長所をみつけて大いにほめてやるからである。

頭の悪い私だが、ただほめることが好きなだけで、こんなに有難いことになった。

それだけではない、近頃、頭がよくなったように思う。

それは、いろいろのアイディアが出るし、出たアイディアがみんなあたるからである。

その理由が最近わかった。そてはいまの大脳生理学から考えると、人をほめると、自分も気持ちがよくなるから、そのたびごとにβエンドルフィンという良薬ホルモンがたびたび出て脳がよくなっていたのである。

もちろん、むかしは、脳内革命などは知らないが、知らなくても、人をほめると良薬ホルモンは出ていたのである。

フランスの小学校の卒業式では全員表彰というのが、はやっているという。

「◯◯◯◯さんは笑顔が一番です」

「◯◯◯◯さんは掃除が一番です」

こうして、絵が一番、マラソン一番、というように、みんなに賞状をだしているという。

もしそれが、全国にはやったら、いまにフランスから世界一のものがたくさん生まれるだろう。

そこであなたも一つ、ほめるくせをつけてもらいたい。

4.男は女をほめる。女は男をほめる。


最近の雑誌につぎのようなことが書いてあった。

「美容院から帰った妻を見て、「きれいになったね」とほめ言葉が、かけられない亭主は、いくら心のうちで愛していても、よろこんではくれない、そして定年きたら退職金の半分もとられて離婚である」と。

わたしは思いあたること強く、いまは亡き妻に心からおわびをしている。

男は女をほめる。女は男をほめる。てれくさいなどは昔のこと。

ほめておれば、きたない貧乏な爺でも茶のみ友達ができるという。

老人で一番、大切なことは、枯れた性をよびおこすことだというが!

そのためには、金はなくても、相手をほめて、ほめてあげていれば必ず老いらくの恋が、できるという。

「ほめよう会」は、みんなの力で、てれくさいなどと言わないで、どんな小さなことでもほめあうためである。

③続く(次回も続くコラボ作品)25年ぶりに蘇る~


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夢も希望も失ったcoucouさん~
日々、何をしたらいいのかわからないcoucouさん~
きっと、あまりにも重苦しい現実から逃避した先が、この豊澤会長の場所だったような気がする。

そのcoucouさんを見抜いていたのかどうかは定かではないけれど、初対面なのに褒めまくってくれた。

その時のcoucouさんはね、神さまの声のように感じていたんだ。

なぜならね、元の場所に戻れば怒りと憎しみと罵声しかない。
そして日々、裁判、coucouさんのお金にならない仕事だったんだもの。

もし、あのとき、本屋で豊澤会長の本を開いていなかったら、今のcoucouさんではないという気がするんだ。

もし、あのとき、新大久保の事務所で豊澤会長と出会わなかったら…。
もし、あのとき、豊澤会長に褒められていなかったら…。

coucouさんは現在何をしていたのかな?
もちろん、このnoteとの出会いもない。
もちろん、本などを書いたりはしない。

だって、豊澤会長から褒められたんだもの…。



coucouさんのホームページだよ~みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru







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