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459.人にね、勝手な期待や約束なんて,しちゃあいけないんだよね!

(20)人生を好転させる方法
how to turn your life around⑳

1.比較することで「違い」を知ること。


 
人って、みんな違う。
 
違うとわかっているのに人と同じでないと不安になる。
決して人と同じになれるわけがないのになろうとする。
 
いや、自分はそんなことはない、という人もいる。
 
でもね、
周りのみんな背が高い人ばかりだと背の低い人は肩身が狭くなる。
周りの人がみんな坊主頭だと、恥ずかしさを覚える。
太った人の中に痩せた人がいれば、その人は太りたいと思う。
痩せた人ばかりの中で太っていたら、痩せたいと思う。
年寄りは、若者に戻りたいと願う。
子どもたちは早く大人になって自由を得たがる。
 
どうしても人は人と比べたがる習性があるんだね。
 
子どもの頃、学校の先生が「人と人は比較してはいけません」と言っていたことを想い出した。それなのに、競争を求めさせ、成績なども優劣をつける。言葉とはまるで裏腹で「人と人は比較しなさい」と結果、教えていた。
 
それが正しいと教わった…。
 
それを思い込まされて、私たちは学ばされた。
 
だから「人と人の比較は大切」にする。
 
でも、本当の「比較」は並ばせて比べることでなく、比較することで「違い」を知ることだったよね。

その「人と人との違い」を教える教育がなかったために、
「みんなで赤信号を渡れば怖くない主義」
「みんながワクチンを打つから打つ」
「みんなが戦争を始めれば始める」
というようになってしまう、
 
いや、なってしまっているんだ。
 
人って、みんな違う!
 
だから、その人との違いを見つけて楽しむ、
面白がったっていいかもしれないね。

そう、教えてくれていたなら、coucouさんはこんなに人生の遠回りをしなくても済んだように思える。

©NPО japan copyright association Hiroaki



 4.期待と約束なんてしない


私たちって、ついつい、何かしらに「期待」をしてしまうよね。
でもね、その「期待」って、自分だけの勝手な都合の場合が多い気がする。
 
何をそんなに「期待」しているの?
そう、「期待」している人って、常に何かしらに期待続けているのさ。
 
別に「期待」って言葉は悪い言葉じゃあないよ。
coucouさんだっていつも宝くじを買うときは期待しているし、何かを食べるときだって、美味しそうって期待する。
(ただし、大部分は期待外れ…)

世の中みんな何かに期待、何かを期待して仕事や生活をしているのだから、良き言葉でもあるよね。
 
ただ、「期待しすぎる」ことに問題があるんだよ!
 
そもそも、「期待通り」「期待外れ」「期待しているよ!」「期待していたのに…」なんて勝手な言いがかり?勝手な相手の都合、勝手な相手の妄想、自分の生み出す幻想だもんね。
 
相手はそんなに期待していない場合もある。
 
そう、「期待なんて簡単に破られるもの」なんだよ!
だから「無用な期待は必要ない」ね。

だから、期待するのなら、他人ではなく、
頑張っている自分に期待する方が大切さ。
 
 
またね、「約束なんて破られるもの」
仕事や大切な人の場合は直接の被害はあるけれど、それ以外の約束、特にプライベートの約束は簡単に破られてしまう。

「あいつは、いつも約束を破る!」
「どうしても約束を守らない…」
「酷い奴だ…」と嘆くなら、つき合いを止めて縁をきればいい。
 
約束して簡単に破る人は意外と気にしていない、という証明。
もし、気にするような人であれば、約束を破ったりする訳がないのだからね。
 
だから、そんな人と約束する人が悪いし、約束なんてしなければいいのさ。

©NPО japan copyright association Hiroaki



 5.気が済まない人たち


 私たちの周りにたくさんの「気が済まない人たち」がいる。
 
気が済まないって、自分が何かしないと気が済まない、見ているだけではなくて何かしたい。これも悪い言葉ではないよ。
 
でもね、一歩誤ると、「自分の気が済まないから」と自分の都合、自分勝手な考え方を一方的に押し付けることになってしまう。
 
バレンタインデーにチョコレートをもらったから必ずお返ししなければ。
誕生日プレゼントをいただいたからその日に何が何でも渡さなければ。
こうしてもらったから、ああしてもらったから、こうしなければならない、という具合。
 
借りは返さないと気が済まない、という任侠の世界となる。

でも、相手が何も望んでいない場合もあり、返礼することによって嫌な印象や嫌な思いを与えてしまう場合があるんだよね?
 
もちろん、相手の気持ちよりも自分の気持ちが優先だから「気が済まない」のだから、そんな結果になってしまう。

つまり、本当はね、「好意」で差し上げたものは「返礼」を望まない場合が多いんだ。私たちって、何かをいただいたらすぐさまお返しを考えてしまうよね。
 
そうなると、その「好意」は薄れてしまう場合もあるんだ。
 
返礼することによって単なる儀礼、
単なる礼儀的なおつきあい(仕方なく)。
 
でもね、それでも「世間なんてそんなものじゃあない!人様に何かをもらったら必ずお返しするべきだ」という人たちが大半なのかもしれないよね。
 
ならば、金銭的な寄付の場合はどうなの?
寄付をする人のほとんどは返礼などもとめていませんね。

それは返礼などさせたら寄付の意味がなくなるんだもの。
あくまでも「好意」の何物でもない純粋な気持ちだからさ。
 
こう考えれば、「好意」として差し上げたものなのか?単なる儀礼、挨拶なのか?ということが良くわかる気がする。
 
だから、気が済まないからと、プレゼントすればいいものではないし、何でも気が済まないからお返しすればいいというものではない気がするよ。
 
意味のある「純粋な贈り物」が本当のプレゼントだからさ。

©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

みんなが読んでくれてうれしい~
これがcoucouさんをパワーアップさせている気がする。

coucouさんはね、つい最近まで気が済まないタイプの人間だったんだ。
何が気が済まないかと言うと、人さまに何かをしてあげることは苦にならないのだけれど、自分が人に何かされると、申し訳ないという気が強くなるんだ。

別に、当たり前のことなんだけれど、胸が痛みだす。
長い間、とても長い間、この気が済まないとい病に陥っていて、かなりの重症患者だったような気がする。

この原因は何だろう?どうしてこんなに胸が痛んで、罪悪感が残るんだろう?そんなことをいつも考えて来たんだ。
そしてね、わかったことがあった。
それはね、coucouさんの父や母と同じだったんだ。

父や母は、時代背景もあるけれど、人さまの世話になったことがない。いや、世話になりたくとも誰も世話をしてくれないし、誰も助けてはくれる余裕がない時代だったのかもしれない。
ましてや、得体のしれない樺太帰り、戦争帰りの日本人。

戦争が終わっても帰る場所がないんだ。

生まれ育った樺太はソ連に占領されてすべての財産(土地、建物、畑)を取られてしまったし、祖母のいた満州も中国人にすべてを取られ、何もないまま戦後を迎えた。
兄弟姉妹も全国にバラバラに住んでいたが、どこにも行く場所などない。

そこで、軍隊仲間の家に居候することになり、そこでcoucouさんは生まれた。(その前に長男が死産。coucouさんはね、本当は次男なんだ。弟は三男ということになる)

coucouさんはなぜか板張りの映画に出てくるような洋風の建物で生まれた。
父は米軍基地で働くようになり、これもまたアメリカナイズされた世界。
考えて見たら、ラジオからアメリカの音楽やジャズ、カントリーが流され続け、このcoucouさんのnoteの音楽の紹介は、coucouさんが子どもの頃に耳にしたわずかな記憶を頼りに、その曲をあえて、しばらく取り上げ続けている。
(当時はフランス映画やシャンソン、音楽なども放送されていた。夢見るシャンソン人形なんて有名だね)

英語なんてわからなくとも、父が米軍から持ってくる本はすべて英語の雑誌類ばかり。
それでも不思議だけどその世界に入り込んでいた。

初期のミッキーマウスやドナルドダック、スーパーマンやバットマンたちだった。(英語字が読めない…)


この時代は、
そう、生きることだけが人生、日々の生活。
父や母は、冷たい世の中で、人の情けや、人のありがたみを二人で共有していつたのかもしれない。

だから、困っている人がいたら、たとえおせっかい、恨まれたとしても人のために生き続けてきた気がする。
なぜって、その人たちの姿が自分たちの姿に見えるからさ。

だって、ほとんどの人は他人を救う余裕もないし、救うことなんてできない時代だったからね。

そう、自分たちを救い続けてきたんだ。

ある時、coucouさんは、父や母に、どうしてそこまで面倒を見るの?
何度も何度も同じことを繰り返して、裏切られ、嘘をつかれ、約束も守らない、そんな人ばかり。
子どもながら面倒を見た相手の酷さに驚いていた。
だけど、父や母はそんなことはお構いなしに世話を続ける。

(どこかの宗教団体なのか?だけど家の中には、仏壇も経典もない。家の中が寂しいからと言って神棚を自分で作って丸鏡を置いたぐらい)

だから、coucouさんはね、その疑問をぶつけた。
すると、たった一言で終わってしまった…。

人として、
人として、ほっておくことはできない…。

coucouさんはね、何にも反論できなかった。


でも、そんな父や母にも大きな欠陥があった。
その欠陥はね、人のことは惜しみなく与え、面倒を見続けるのだけれど、自分が人にしてもらうことに弱い。人に何かを差し上げることは気にならないようだけれど、人から何かをもらうと異常に気にするんだ。
さらに、申し訳ない…、という気持ちになるんだ。

う~ん~

人に何かすることはできても、人から何かをしてもらったことがない、もらえなかった、何かの反動なのだろうか?
だから、人に何かをいただくと、父や母はまるで罪人のような暗い顔になる(異常な罪意識。だけど、そうしてもらった経験がなかったんだね)。

何も悪いことなんてしていないんだよ。

でも、恐縮して、申し訳なくなるんだ。

だから、coucouさんは驚いたことに、父や母は、何かをいただいたら、その人に倍返しをする。そうしないと気が済まないんだ。

文中でもまとめたけれど、気が済まないって、自分が何かしないと気が済まない、見ているだけではなくて何かしたい。これって、悪いことではないよね。
だけど、 一歩誤ると、「自分の気が済まないから」と自分の都合、自分勝手な考え方を一方的に押し付けることになってしまう場合だってある。

ただ、時代背景がそうさせたともいえる。


そして、おかしなことに、coucouさんの代になって、
coucouさんは父や母と同じ生き方をするようになった。

coucouさんの弟も同じ。
coucou一族ってみんなこうなの?

変だよね?

自分のことは我慢して、人さまを優先する。
一緒の食事でも父や母はみんなが箸をつけてから食べ始める。

coucouさんも自動的に無意識にそのことが染みついていた。

そして、もう一つの共通点は、当たり前となって、あんまり感謝はされない。もちろん、感謝など求めないし、求めるつもりもないから、自動的に当たり前になってしまうんだね。


でもね、人との付き合い方ってみんな、気がすむ、気が済まないという関係の様に見える。

そう、本人が気がすめばいいのだから、相手にお任せすればいいよね。

最近のoucouさんはね、極度に相手に対して申し訳ないと思わずに、心から感謝するようにしている。

そう、申し訳ない、すまない、すみません、なんて言葉なんてもう卒業~

全部、甘えて、いただいて、ありがとうしかない気がするんだ。

だから、もう、父や母にも申し訳ないなんて思わないよ。
coucouさんの素晴らしい弟にもね。
だって、みんな凄すぎるんだもの、人のことに対して。

だから、
ただ、ただ、みんなにも、ありがとうって、感謝しているんだ…。


人として、
as a person,

人として、ほっておくことはできない…。
As a person, I can't leave you alone...


AMAZING GRACE - Hayley Westenra


 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru







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