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『東京大学言語学論集 第44号』が公開されました

東京大学・言語学研究室では『東京大学言語学論集 (TULIP)』という雑誌を毎年出版しています。

今年度も10月に第44号が刊行されました。

この号には研究室の大学院生をはじめとする言語学者の論考が収録されています。

今回はその『東京大学言語学論集 第44号』に収録された諸隈夕子さん、吉田樹生くん、林真衣さん、水石すみれさんの論文をご紹介したいと思います。

それを通して、言語学研究室でどのような研究をしているのかをお伝えしたいと思います。

『東京大学言語学論集』とは?

『東京大学言語学論集 (TULIP)』とは東京大学・言語学研究室が発行する言語学に関する学術雑誌です。

毎年秋に言語学研究室の大学院生を中心とした研究者の論考をまとめて発表しています。

略称は英語名の Tokyo University Linguistic Papers から TULIP と呼ばれています。

『東京大学言語学論集』の第1号は、当時、言語学研究室の教授であった柴田武先生の定年退官記念に1979年2月に発行されたもののようです。岩波新書の『日本の方言』などで知られるあの柴田先生です。

その後、ほぼ毎年発行され今年で第44号を迎えることができました。

発行形態としては、冊子として紙でも読める TULIP と、紙の冊子がない電子媒体だけの eTULIP の二つがあります。

TULIP も eTULIP も、第30号以降についてはすべて東京大学学術機関リポジトリで公開しているので、誰でもダウンロードして読むことが可能です。

ぜひパラパラと目次を見て、そのなかで気になるものを読んでみてください。

指導学生の論文も収録されています

『東京大学言語学論集 第44号』には今年もさまざまな研究論文が掲載されています。

内容の面では個別言語の記述的研究から比較言語学、認知言語学、文献学、翻訳論、さらにはアクセント資料まであります。多彩ですね。

たとえば、『実例が語る前置詞』などの英語に関する研究で知られる平沢慎也先生も "「自分で」を表す for oneself: 「自分のためになる」の意味を含むというのは本当か" という論文を発表しています。本当なんでしょうか? 気になります。

さらに、分析対象となっている言語もさまざまです。

日本語や英語はもちろん、タガログ語、エウェン語、ドマリ語、アルメニア語、日本手話、甲府市方言、ケチュア語、延辺朝鮮語、中国語、シンハラ語から、与那国方言、カムチベット語、シベ語、ベトナム語、サンスクリット語、高知市方言までが扱われています。

世界各地の言語が分析されています。こちらも多様ですね。

そんな『東京大学言語学論集 第44号』ですが、私の指導学生も論文を投稿しています。

  • 諸隈夕子さん「ケチュア語アヤクーチョ方言の言語類型論的特徴」

  • 吉田樹生くん「シンハラ語における借用語の基礎調査」

  • 林真衣さん「タガログ語の sarili の記述的研究」

  • 水石すみれさん「山梨県甲府市方言における終助詞「さ」の機能について」

というわけで、以下ではそれぞれの論文について紹介したいと思います。

諸隈夕子「ケチュア語アヤクーチョ方言の言語類型論的特徴」

諸隈夕子さんは博士3年生です。南アメリカの主要言語ケチュア語のなかでもアヤクーチョ方言を研究しています。

学部のときに南米の音楽であるフォルクローレを演奏していたことから、ケチュア語の言語学的研究を始め、現在までこの言語について積極的に研究を発表しています。

東京外国語大学オープンアカデミーでもケチュア語を教えています

趣味は園芸だそうです。

そんな諸隈夕子さんが研究するケチュア語アヤクーチョ方言について、その言語類型論的特徴をまとめたのが、TULIP 掲載論文「ケチュア語アヤクーチョ方言の言語類型論的特徴」です。

ケチュア語はインカ帝国の公用語として、あるいは日本語と似た文法的特徴を持つ言語として、日本ではよく知られています。

しかし、実際にその言語特徴となると、それをまとめた文献というのがあまりない状況です。

とても重要な言語ですから、その言語類型論的な特徴をまとめた論文を日本語で読みたいですよね。

そういう理由で書かれたのがこの論文です。ケチュア語の特徴がうまくまとまっています。

ケチュア語に興味があってもなくても是非読んでみてください。

実は、今年度出版される諸隈さんの論文はこの論文だけではありません。

日本言語学会のフラッグシップジャーナル『言語研究 163号』(2023年1月) に「ケチュア語アヤクーチョ方言の示差的目的語標示と情報構造」という論文が掲載される予定です。こちらもお楽しみに!

吉田樹生「シンハラ語における借用語の基礎調査」

吉田樹生くんは修士2年生です。シンハラ語を中心とする南アジアの言語を研究しています。

学部3年生のときに私の授業「野外調査法」でシンハラ語に出会ってからシンハラ語の研究を始め、学部4年生のときには日本言語学会第161回大会における口頭発表「シンハラ語における数標示の形態論的有標性と頻度」で大会発表賞を受賞しました。

さらに、修士1年生のときにはアメリカ言語学会でポスター発表をするなど破竹の勢いで研究を続けています。

そんな吉田樹生くんが書いた論文が「シンハラ語における借用語の基礎調査」です。

この論文はタイトルの通りシンハラ語の借用語 (ポルトガル語、オランダ語、英語などの単語がシンハラ語の単語として使われているもの) についてその借用方法を調べたものです。

特に、先行研究で提案されていた以下の二つの仮説を吟味します。

供給言語と品詞の対応仮説
ポルトガル語とオランダ語からの借用語は名詞に限られ、英語からの借用語には動詞なども存在する

供給言語と数標示方法の対応仮説
ポルトガル語とオランダ語から借用された名詞は固有語と同様の数標示がなされ、英語から借用された名詞は異なる標示方法がとられる

https://doi.org/10.15083/0002005838 

吉田くんの調査の結果、どちらの仮説も支持されるのでしょうか? あるいは支持されないのでしょうか? 気になりますね。

そんな方は是非、吉田くんの論文を読んでみてください。

実は、こちらの論文は現在鋭意執筆中の吉田くんの修士論文の基礎をなす研究でもあります。修士論文についてもいずれここに書く機会があると思いますが、そちらもお楽しみに!

林真衣「タガログ語の sarili の記述的研究」

林真衣さんは修士1年生です。タガログ語を含むフィリピンの諸言語を研究しています。

東京外国語大学言語文化学部フィリピン語専攻の出身で、デラサール大学フィリピン大学に留学していたこともあり、タガログ語もとても上手です!

そんな林さんが書いたのが「タガログ語の sarili の記述的研究」という論文です。

林さんの研究するタガログ語には sarili と呼ばれる不思議な語があります。この語には大きく再帰と所有の用法があります。

再帰の sarili
Nakita ni Maria ang sarili niya sa salamin.
「Maria は自分自身を鏡で見た」

所有の sarili
Ginamit ni Maria ang sarili niyang pera.
「Maria は自分のお金を使った。」

タガログ語

しかし、知られていたのはそこまでで、sarili が実際にどのように使用されているのか、どのような統語的位置で出現するのか、といったことについてはまったくわかっていませんでした。

そのような sarili という語の特徴をコーパス (電子化された言語資料) を使って丹念に観察したのがこの論文です (なお、このような論文を言語学では記述的研究と言います)。

たとえば、この論文では上に示した sarili の用法と統語的位置に相関があることを明らかにしました。

私もタガログ語を長らく教えていますが、実は sarili がどのように使われているのかについてはほとんど知りませんでした。

このようにタガログ語を勉強している方にとって「そうだったんだ!」という気づきがある論文です。是非読んでみてください。

この論文からもわかるように、林真衣さんが得意とするのはコーパスを使用したタガログ語の研究です。

2022年12月には Word order variation and change in Tagalog noun phrases というタイトルで国際学会で発表する予定です。

すでに国際学会で何度か発表している林さんですが、単独対面発表は初めてです。そちらの方もお楽しみに。

水石すみれ「山梨県甲府市方言における終助詞「さ」の機能について」

水石すみれさんは2022年3月に本学文学部を卒業した卒業生です。

優秀な成績で言語学研究室を卒業して、現在は一般企業で働いています。

そんな水石さんが卒業論文として提出したのが、「山梨県甲府市方言における終助詞「さ」の機能について」という論文です。

この論文は山梨県甲府市方言で使用される二つの「さ」の用法を扱ったものです。具体的には以下の二つの「さ」です。

提示用法
なんかすごい褒められちゃった

確信用法
A「これ燃えるゴミでいい?」
B「いい

https://doi.org/10.15083/0002005832 

提示用法では話し手のエピソードをそれを知らない聞き手に提示していますが、確信用法では話し手が当然だと確信している内容を聞き手に伝えています。

「さ」という終助詞自体は共通方言にも存在しますが、この「さ」の使い方は共通方言にはありませんよね。

そして、水石さんが言うように、自分の経験やエピソードなどの情報を「聞き手が知らないだろう」と考えて提示する提示用法と、「それは当然のことである」と考えて情報を提示する確信用法とでは、用法が全く異なるようにみえます。

それにも関わらず同じ「さ」です。

どうしてなんでしょう? 気になります。

そもそも、提示用法や確信用法とはどんな用法なのでしょうか? どんな形態統語論的・意味的・語用論的特徴があるのでしょうか? 両者の共通点と相違点は何でしょうか? 両者は同じ「さ」なのでしょうか?

そのような面白い問いにこの論文は答えています。是非読んでみてください!

学生たちの研究にこれからも期待してください

この記事では『東京大学言語学論集 第44号』に掲載された論考をまとめて紹介しました。

どれも面白そうな論文ですね。

学生たちの研究によってこの世に存在する言語学の不思議の一端が解明されましたね。

このように東京大学・言語学研究室では世界の言語について探究を続けていきます。

これからも学生たちの素晴らしい研究にご期待ください!

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