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「片言をいうまで」とフィールドワークの魔法の言葉

2022年10月から始まった A セメスターでは「野外調査法」という授業をしています。

この授業は、言語に関するフィールドワークの方法論について学ぶ授業です。

参加者の知らない言語の話者に教室に来ていただき、その方の言語を調査しながら実習形式で言語調査手法を学びます。

その授業で金田一京助先生の「片言をいうまで」という随筆を課題として読みました。

この随筆をきっかけに、言語調査の方法論、そして、「何」(what) という魔法の言葉について考えてみたいと思います。

「野外調査法」の授業

2022年10月から東京大学でも新学期 (A セメスター「秋学期」) が始まりました。

今学期は久しぶりに「野外調査法」という枠で言語調査の実習を始めました。

「野外調査法」というのはフィールドワークの方法論のことです。

言語学におけるフィールドワークは、一般的に、ある言語についてその言語が話されている自然な環境でデータを収集し分析する方法と定義されます。その歴史は古く、100年以上の歴史を持つ言語学で確立された方法論です。

たとえば、私は、インドネシアの小さな村に滞在し、そこで話されているラマホロット語と呼ばれる言語を調査していますが、その研究方法のことを野外調査法といいます。

その方法を実習形式で学ぶのが「野外調査法」の授業です。

ある言語の話者に教室に来ていただき、学生たちが言語調査をしながら、言語調査法を学びます。

このタイプの授業は、アメリカの大学院では言語学者になるための必須のトレーニングの一つと考えられており、東京大学文学部言語学研究室でも伝統的に授業が開講されてきました。

私も東京大学では林徹先生のサハ語の調査実習の授業に参加し、ライス大学では James N. Stanford 先生 (現・ダートマス大学言語学科教授) のベトナム語北部方言の授業に参加しました。

2回目までの基礎語彙調査で見つかった音について仮に表にしてみたものです。
もちろん欠けているところや間違っているところもあります😅

この実習形式の授業は、コロナのため2019年度を最後に行っていませんでしたが、今学期久しぶりに対面授業として開講しました。

今学期はフィリピンで話されるイロカノ語パンガシナン方言を教えていただいています。

10月は既に4回調査をし、この言語の基礎語彙を調べながら、この言語の音声や文法の仕組みを実習形式で調査しています。

新しい言語を勉強しているわけですから、毎回発見の連続で、とても楽しい授業です。

ちなみに、このような調査実習の授業は、東大以外でも日本言語学会2016年夏期講座で教えました。東京言語研究所理論言語学講座でも2018年に行いました。

金田一京助「片言をいうまで」

私の野外調査法の授業では実習に時間を割きたいので、座学の部分は課題論文を読んだり、私の作ったビデオ教材を視聴してもらったりする形式にしています。

先週、そんな課題論文の一つとして読んでもらったのが、金田一京助先生の「片言をいうまで」という有名な随筆です。『金田一京助全集 第14巻 文芸 1』(三省堂、1993年) におさめられています。

金田一京助先生は戦前、東京帝国大学言語学研究室の教授であった方で、アイヌ語の研究で著名な言語学者です。野外調査法の授業を受講している学生にとっては研究室の先輩ということになります。

その金田一京助先生の随筆「片言をいうまで」は、日露戦争後の明治40年 (1907年) に樺太に渡った金田一先生が、そこで樺太アイヌ語の調査を行った話です。

樺太アイヌ語の調査をしようと意気揚々と樺太を訪れた金田一先生ですが、最初の数日は、なかなか調査をすることができず途方に暮れてしまいます。

ところが、あることをきっかけに、

ヘマタ「何 (what)」

樺太アイヌ語

という語を教えてもらいました。

するとどうでしょう、この語を使えば、子どもも大人も金田一先生にさまざまな単語を教えてくれるではありませんか。

スマ「石」という語やムン「草」、ヘモイ「鱒」という語など、どんどん教えてもらうことができました。

ヘマタ「何」はまさに言語調査をする際の魔法の言葉だったというわけです。

このヘマタを使ってたくさんの語彙を収集することで、樺太アイヌの人々との交流も生まれ、そこから樺太アイヌ語の語彙や叙事詩を収集することができたというお話です。

ヘマタ「何」によって樺太アイヌ (語) の豊かな世界に道がつながっていったことを、金田一先生は以下の有名な一節でこう表現しています。

ことばこそ堅くとざした、心の城府へ通う唯一の小道であった。

金田一京助「片言をいうまで」

"Monolingual fieldwork"

この随筆「片言をいうまで」で金田一先生が行った樺太アイヌ語だけによる言語のフィールドワークの手法は、現代の言語学では monolingual fieldwork 「単一言語によるフィールドワーク」として知られています。

アメリカでは、言語学者・人類学者であった Kenneth Pike ミシガン大学教授 (1912–2000) によって方法論として体系化されました。

ピダハンの研究で有名な Daniel Everett によるデモンストレーション映像がアメリカ言語学会の YouTube チャンネルにあります。

英語とピダハン語と○○語が出てきて、とてもおもしろい動画です。

これが monolingual fieldwork です。

もしかしたら金田一先生もこんなふうにして調査をしたのかもしれませんね。

(注: この手法は言語フィールドワークで現在一般に用いられる手法ではありません。まず、言語調査をする場合には事前に下調べをする場合が多いので、本当に全く知らない言語を調査するということは稀です。また、この手法は倫理的にも問題がある場合が多いです。言語調査をする際には、その言語を話す話者はもちろんコミュニティから調査許可をいただく必要がありますが、共通の言語がない状態では調査に同意をいただくこともできません。私もラマホロット語の調査をする際には話者個人からだけでなく村長さんのところに許可をいただきに行きました。)

フィールドワークと「何?」

それにしても、なぜ樺太アイヌ語のヘマタ「何」が「心の城府へ通う唯一の小道」をひらくことになったのでしょうか?

「何」という語になぜそんな力があるのでしょうか?

この問題に答えるのはなかなか難しいですが、三つほどヒントがあります。

まず、そもそも人間の (言語による) コミュニケーションには「聞かれたら答える」というルールが普遍的に見られます。

どんな言葉を話していても、どんな場所にいても、「何?」と言われたら答えてしまわないと気が済まない。そんな人間の性分が、「何」を魔法の言葉にしてしまうのかもしれません。

次に、「何」を意味する単語はどの言語にもあると考えられています

言語はコミュニケーションのためにあるのですから、当たり前といえば当たり前です。

最後に、「何」を意味する単語は世界の言語で疑問以外にもたくさんの機能を持っています。「何」を意味する単語がコミュニケーションで重要な役割を果たしているということです。

たとえば、日本語でも英語でも驚いたときに「なにっ!」"what!" と驚きますね。これは特に何かを聞いているわけではありません。

あるいは、日本語でケンカするとき「何だよ」「おまえこそ何だよ」という会話がときどき起きます。これは「あなたは何者ですか」と聞いているわけではなく、相手を威嚇しているだけですよね。

実は私が研究するタガログ語でも ano 「何」という単語があり、この単語は多種多様な使われ方をします。

たとえば、ano「何」が「思い出せないもの」や「言及してはいけないもの」の意味を持つこともあります。ano ni Mark といえば「マークのアレ」「マークのナニ」という意味です。実際に指すものは文脈によります。多くの場合はよくない意味です。

このように「何」は多くの言語で疑問以外にもコミュニケーション上重要な役割を果たします。その点でも魔法の言葉であるのです。驚きにも威嚇にも分からない言葉のかわりにもなる言葉です。

ちなみに、このタガログ語の ano 「何」が疑問以外にも使われることについて (というよりも、疑問以外で使われることが多いことについて) 最近論文を書きました。興味がある方は是非読んでみてください (大学図書館などでダウンロードする必要があります)。

野外調査法の授業は続きます

そういうわけで、野外調査法の話からはじまって、樺太アイヌ語のヘマタ「何」、フィールドワークの手法、そして「何」の不思議に話が広がりました。

言語のフィールドワークについて書き始めると楽しくて、なかなかきりがありませんね。

そんな楽しいフィールドワークをする野外調査法の授業ですが、まだまだ始まったばかりです。

もちろんイロカノ語パンガシナン方言で「何」を意味する単語も教えていただきました。

ana です。

たとえば、

ana ti ilokano ti ホニャララ?
「ホニャララはイロカノ語でと言いますか?」

イロカノ語パンガシナン方言

というように使います。

この魔法の言葉を使って今週も野外調査法の授業で私たちはイロカノ語を調査していきます。

この調査で何かおもしろいことが分かったら、またここで書いてみたいと思います。

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