目標がないから生きるのが辛いのかな
お疲れ様です。皆さんには、何でもいいんですけれど、何か目標はありますか。私には、聞かれてすぐに出てくるものはありません。
先日、どういう話の流れでそうなったのかは忘れましたが、「目標を持ってみたら?」と人に言われました。そうしたら、頑張れるんじゃないかという話でした。
それを聞いて、一理あるな、と思いました。軽くアドバイスのつもりで相手は口に出したんだろうけど、私は深く納得してしまいました。
今回は3000字ほどの長文になってしまったので、軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。
目標と言っても、何も考えずに日々を生きているという人もいると思う。それで、辛いと感じることがないのであれば、そのような生き方もありだろう。
でも、問題は毎日が辛いと思っている人に関してだ。私も、情緒不安定なままで、気分は安定していません。辛いと感じてしまう日も多いです。
目標がなくて辛いのと、目標があって辛いのとでも、また違います。
目標のない人
私のように、目標が何もなくて辛い人は、軸が定まっていないので、どちらに向かえばよいか分からずにふらふらしてしまうことが多いような気がします。
頭の中で考えることも様々で、目標がなく自由がある分、余計なことまで考える機会が多くなる。だから、考えなくてもいいことを考えて、急に暗い気分になったり落ち込んでしまったりする。
また、目標がないとやることが定まっていないため、手持無沙汰になってしまい、どうすればいいのか、また自分がどうしたいのかも分からなくて、辛いと感じる。
目標のある人
一方で目標があれば人間はそこを目指せばいい。目標を達成したり、または他の理由で断念したりして、目標を失ったのであれば、また新たに目標を立てればよい。
目標があって辛いと感じるのは、その目標の内容が自分にとって好ましいものではないか、または目標を叶える段階がきついと感じるかの2択が考えられると思う。
①目標が自分に合っていない
前者の、目標の内容が自分にとって好ましいものではない、というのは、よくよく考えてみたときに、それが本当に自分の望んでいるものではなかったと気が付いたときがそれにあたる。
例えば、個人それぞれに売上が求められる仕事だった場合、一日または月で○○万円という売上を達成することを目標にしよう、と具体的な目標を立てたとする。
しかし、目標を立てて頑張ろうとしてはいるものの、なんだか辛い。もしかしたら、それは今の仕事が自分に合わず、その仕事をすることが辛いと思っているのではないか。
そうだとしたら、もともと自分に合っていない仕事で目標を立てているわけで、それは目標を立てたとしても以前と変わらず毎日が辛いと思ってしまうのも仕方のない話である。
また、目標といっても、全ての目標が世間にとって好ましいものであるとは限らない。
もちろん、資格取得など自身のスキルアップに関する目標であれば、自分の成長を実感することもできて好ましい目標であると言える。
しかし、世の中は優しくない、というのは多くの人が経験していることである。
もしかすると、中には憎悪の目標もあるかもしれない。
あまり望まれることではないが、「絶対に許さない、復讐してやる」というような思いが生きる上での、日々暮らしていく上での目標に成り代わってしまうこともある。
こういった場合でも、必ず辛くなる時はくる。それは、どこかで「どうして自分はこんな目標を抱いているのか」と薄々自分で気が付いているからかもしれない。
憎悪の気持ちを抱いていなければとてもやっていけない、という人もいると思う。
しかし、憎悪の気持ちを持ち続けることは精神を削られることであり、ずっと薄暗い気持ちを抱いて生き続けることである。
人間の脳は、それを続けても、明るい未来はないということを知っているのではないか。だからこそ、幸せな道を歩めるはずなのに、それとは違う道を歩んでしまっていることに対して、脳が、身体が、辛いと悲鳴を上げているのではないか、と思う。
目標が自分に合っているか、というのは大事な留意点である。それには、自分は何を望んでいるのか今一度考える必要がある。
そしてそれが、私の苦手なことだったりする。
自分の望んでいることが分かれば苦労はしないというのはまさにその通りであり、何も反論はできない。どうして、自分のしたいことがよく分からない人間になってしまったんだろうな、と思う。
頑張って、自分のしたいことを捻りだして考えたりはしているものの、やりたいことって自然に湧き上がってくるものであって、こうまでして捻りださないといけないものだったかな、という疑問が浮かんでくる。
その話はまた今度にするとして、今は再び目標の話に戻る。
②目標を叶える段階が辛い
先程の話で、もう一つ、後者で目標を叶える段階がきついというものがあった。
これは比較的分かりやすい。目標というのは、現に叶っていないから目標なのであって、それを叶えるというのはたやすくはない場合がほとんどである。
たとえば、資格取得の目標を立てたのであれば勉強が辛いと感じることはあるかもしれない。また、すぐに叶うような目標ではない場合、あまりにもかかる時間の長さに気が遠くなってしまうこともあるかもしれない。
ここでの辛いはあまり問題にはならない。その辛いは乗り越えることのできる辛いだと思うから。(目標があるから人間は頑張れるということを前提にして)
毎日を生きるのが辛い、ということの方に問題はある気がする。まだ、目標があって、それについて考えることができている状態の方がマシである。
たとえ、辛いことがあっても、目標のためだと思うとそういうものだと人間ある程度のことは受け入れることができるようになっていると思う。
また、目標に関係しないことで辛いことがあっても、今ある目標には関係しないことだからと割り切って、以前よりかは傷つくことが減るかもしれない。
しかし、それ以上にショッキングなことや辛いことがあった場合は別である。その場合はどんな目標も意味を成さなくなってしまう。
①と②が重なる場合
前者と後者、両方の辛いが重なることももちろんある。
例えば、大学受験を控えている受験生が「第一志望に合格する」という目標を立てたとする。
この場合、第一志望合格に向けて勉学に励む必要がある。その点において、勉強をすることが辛いと思うことはあるだろう。
そしてもう一点、別のことで辛いと感じている場合もあるかもしれない。それは、第一志望に定めた学校が自分の希望するものではなかった場合である。
本当は、他に行きたい所があるのにも関わらず、何らかの諸事情で別の学校を目指すことになった。これは、自分の本当の気持ちに嘘をついている状態であって、本当に自分に合った目標とは言えない。
最後にちょっとだけ本音
こういうかんじに、目標があれば、目標がない状態で生きている人よりかは、違う意味での辛さと苦しさを経験することになって、生きることに対しての辛さからは解放されるのかな、と思いました。
そういう私は、いまだに目標が分からず、というのも、自分の望むことがあちらこちらへと揺れ動き、本当に自分の望むことを見定めることができないから。
それと、予測のつかない未来のことをずっと考えては勝手に不安になったりすることはできるのに、具体的に現状を考えるのは面倒だと思ってしまうみたいです。
でもこうやって書きながら、自分はなんて贅沢なのだろうかと思って自分を責めたくなる私がいる。
今こうしてnoteを書いている間にも、必死に生活のために動いている人がいるかもしれない、息をするだけでも必死な人がいるかもしれない。
そう思うと、自分はなんて甘ったれなんだろうと思うけれど、辛いのも事実で、どうしようもなくもがいてしまう。底なし沼で沈んでしまわないように、何か縋れるものを探しているみたい。
今回はここまでですが、皆さんの中で、生きる上で、生活をしていく上で、その他なんでも目標を持ってやっていることがあれば、その目標の内容をコメントで教えていただけたら嬉しいです。
ここまで読んで下さりありがとうございました。では、また。
サポート、応援してくださったら、とても嬉しいです。ありがとう。