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[800字コラム] バリューについて

緊急事態宣言が解除されて世間は日常生活を取り戻しつつあるのに、大学のキャンパスは閉鎖されたまま、拙いオンライン講義で学費だけはしっかり満額取られていると、学生が不満を募らせているとの報道を見聞きした。

ここで「大学教員は社会に出たことがないから」というお決まりの文句で批難することはあまりフェアーでないし、実体験もなしに物事を決めてかかるべきではないと思う一方で、この令和の現代においては、大学の先生一人ひとりのバリューが学生からキッチリ評価されることだけは心得ておくべきではないかと思う。

「自分はこの研究をxx年やってきて、この分野の大家xx先生に師事して、博士号を取って、常勤になってxx年の実績があって論文xx枚書いてるんだぞ」
などという内向きな価値の基軸は、学生から見れば実はどうでもよいこと。

研究分野にどうやって興味や関心を持たせ、どうやって知識や能力を養うかという本義に対してどれだけ努力して、吸収させてくれるかが学生にとってのバリュー。

教員のお給料を支払ってくれる側(学生)にとってのバリューを提示できる教員と、できない教員がいた場合、どちらが優れていると評価されるのかは論を俟たない。
そこで
「自分は学界で偉いんだぞ、キャリアが長いんだぞ」
と威張ってみせても、それはバリューを提示していることにはならない。

僕が過ごしてきたサラリーマン社会でも
「自分は何千億の案件をやっていたんだぞ」
なんて威張るオッサンがいたけど、大事なのは現在どれだけ稼いでどれだけ会社に貢献しているかであって、過去の栄光で相手をマウンティングすることではない。

学術関係の人たちや会社のオッサンに抱く違和感は、いつも彼らが過去との戦いの成果だけに固執して、未来を提示しないことに尽きる。

期せずして訪れたコロナ禍は、既得権に安住してのさばっている人と、どんな状況でもアイデアを提供できる人の差を浮き彫りにしている気がする。

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