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色んなスープの味があるラーメン屋に感じるこだわりの無さ感
塩、味噌、豚骨、醤油など色んな種類のスープのラーメンを頼めるお店は損をしていると思う。
ここではそういうお店を批判しているわけではない。
多種類のスープがあり、その全てにこだわっており、美味しいラーメン屋さんを知っているし、実際にそういうラーメン屋さんに通っている。
ただ、どうしても初めて行くラーメン屋さんでスープの種類がたくさんあるとこだわりのなさみたいなのを感じてしまう。
この不思議な偏見の
曜日感覚がないことをかっこいいと思ってる人達
誰しもが1度は口にしたことがある言葉。
「今日って金曜か!!忙しくてもう曜日感覚ないわ」
これをかっこいいと思っている人がいる。
というか僕自身もかっこいいと思っていた時期がある。
誰しもが通る道。それが
曜日感覚がないことをかっこいいと思う時期。
たしかにかっこいい雰囲気は感じる。
なぜなら他の人よりも目の前のことにのめりこんでおり、曜日なんて気にする余裕がないくらい生活が充実している感じ
屈伸から準備運動を始めるのをやめた日
いつの日からか屈伸から準備運動をしなくなった。
あれだけ「屈伸ー1.2.3.4」から準備運動をしていたのに。
今では手首足首を回したり、股割りから準備運動を始めている。
いつからか、手首足首を回したり、股割りをするのが屈伸よりもスマートに思えたような気がする。
あとシンプルに、屈伸によって体のどこの部分が伸びたり縮んだりしているのかがわからないというのもある。意外にも屈伸は地味な運動でどこに効いて
君が代を歌う声は小さければ小さいほどかっこいい
君が代。
学生時代、ことあるごとに歌う君が代。
小学生から大学生になるにつれだんだんと声が小さくなっていった君が代。
隣の奴より小さい声だとかっこいい君が代。
もうほぼ小さい「うぃ~」しか言っていない君が代。
でも声を全く出さないのは逆にカッコ悪い君が代。
全然歌ってなくても先生に怒られない君が代。
先生自身も小さい声だから生徒を怒れない君が代。
君が代。
カラオケで歌詞間違えた時の雰囲気
カラオケはかなり社会的な要素を多くはらんでいるような気がする。
人生において初めて友達とカラオケに行ったときほど周りの評価を気にしたことはない。自分の音感がカラオケの音程バーだけでなく社会の音程ともずれているのではないかという不安に襲われたのを未だに覚えている。
人は中学2年あたりを境に、みんなで合唱するカラオケから、1人でカラオケを披露するスタイルに変化していく。これは思春期というものと自意識的
エレベーターに乗ってる人の中に必ず1人はエレベーター嫌いな人がいる
エレベーターに乗っていると必ずと言っていいほどこのような会話を聴く。
「私エレベーターのこれ苦手。あ、これ、これこれ。」
エレベーター特有の浮遊感が苦手な人がエレベーターの乗車のなかに必ず1人はいる。
どのビルのどのエレベータ―に乗ってもいる。
なぜ、苦手なのに乗ったのだろうか。
そしてなぜ乗ってから苦手と発言するのだろうか。
例えば、ジェットコースターに乗るのが苦手な人は、行列に乗る前に
バイトの事を考えた瞬間から時給は発生している
私は「次の予定のために発生するその前の予定への時間の浸食」が大嫌いだ。
例えば18時から友達と会う予定があるとする。
移動時間に30分要し、家での支度時間を30分と考え、予定時刻から逆算すると17時から準備を始めなければならないという計算になる。
するとなぜかいつも、間に合うかどうかの不安に襲われ、なんだかんだで余裕をもって17時より前(16時45分など)から支度を始めたりしてしまう。
この15
飲み会のオチセリフで口から何か出てしまったときの空気感
人生で一番恥ずかしいこと。
それは、「口から何かがこぼれ落ちて話が中断すること」だ。
恥ずかしいことなんていくらでもある。
瞬間風速では、それぞれ違うだろうが、
平均速度だと、世界の人口の8割近くがこの「口から何かがこぼれ落ちること」だとおもう。
盛り上がる飲み会。
煙がもくもく上がる居酒屋。
久しぶりに会った学生時代の友達。
今日はなんだが調子がいい自分。
周りのみんなは、食い入るように
食レポの「あ~新しい~」は不味い。
食レポか食リポか知らないが、よくコメントの一言目で
「新しい~」とか
「食感が新しい~」
という言葉を聞く。
私は、この「新しい」というコメントの時は、
食べている料理が全て不味いのではないかと思っている。
そもそも料理において「新しい」というのは誉め言葉ではない気がする。
料理の一番の誉め言葉は「おいしい」だ。
食リポの際はまずおいしいかどうかを教えて欲しい。
しかし、お店を紹介す
どのコミュニティにも、「パイセン」と「お姉さん的存在」がいる
世の中は、友達数人のコミュニティによって成立しているといっていい。
そのコミュニティが明るいか暗いかは関係なくとにかくコミュニティというものは必ずある。
そのようなコミュニティにおいて、必ずと言っていいほど「パイセン」というあだ名の男性と「何でも相談できるお姉さん的存在」の女性がいる。
男のコミュニティにおいて絶大な信頼を寄せられる存在。
それが「パイセン」である。
「パイセン」は、あだ名カ
コンセプトが強い店への共感性羞恥
昔から、コンセプトが強い店に対して共感性羞恥を強く感じる。
コンセプトが強い店といっても、がっつり世界観が固まっているコンカフェや店内の内装がおしゃれというような世界観の強い店にはあまり羞恥心は感じない。
私の中でのコンセプトが強い店はそのちょうど間。
コンセプトが厳密には固まり切っていない感に共感性羞恥センサーが働く。
初めてこの羞恥心センサーが働いた瞬間を鮮明に覚えている。
中学生の時、
夏休み明けに雑巾を持って行く
小学校の時夏休み明けに決まって先生が
「雑巾2枚もってこい」
と言っていた。
夏休み明けの持ち物リストに「雑巾2枚」とあったのは僕が通っていた学校だけだろうか。私はあの雑巾を毎年忘れそうで忘れそうで仕方なかった。
当時小学生の私は何も考えていないガキんちょだったので
「はーい!」
と大きな声で返事していたが、
今考えると、何で雑巾を持って行かないといけなかったかわからない。
夏休み明けには
一卵性双生児を持つ親が双子を似たような名前にする理由
一卵性双生児。
遺伝子が100%同じで性別や血液型も同じ。
そのような双子の子の名前は決まってそっくりである。
マナとカナ。
達也と和也。
などほとんどの場合、一卵性双生児の双子の名前は似ている。
逆に言うと、「光君と琥太郎君」などという似ていない名前の双子を見たことがない。
なぜ親は同じような名前にしようとするのか。
せっかく2人一緒に生まれたからセットとして考えるのだろうか。
個人的な見