鵜ノ鼻(うのはな)古墳群は、島根県益田市遠田町の東西約300m×南北約200m程の半島状に突き出た丘陵上につくられた、石見地方を代表する古墳群(群集墳)である。これ…
うららかな春の日、恒例「第27回四天王寺春の大古本祭り 2024年4月26日(金)~5月5日(日)開催」へ参加した。いつも何気なく素通りする四天王寺境内を久しぶりにじっ…
映画『洗骨』(照屋年之監督 2018年)を遅ればせながら鑑賞した。沖縄県粟国島を舞台にした映画で、それまで離散していた家族が先祖(ここでは主人公の母親)の『洗骨』…
敬愛する司馬遼太郎の小説『街道をゆく』「大和・壷坂みち」の中の一節に ー私は城が好きである。 あまりに好きなせいか、どの城址に行ってもむしろ自分はこんなものはき…
2024年3月30日(土)~4月7日(日)の間、奈良県立橿原考古学附属博物館特別展示室にて富雄丸山古墳(奈良市)出土の「蛇行剣(だこうけん)」が特別公開された。公開最…
大阪府太子町太子の丘陵頂上部の南斜面にある。夏期は草に覆われ、とても古墳にはたどり着くことは困難だ。見学するならブドウの収穫が終わる秋から冬期しかない。道に迷…
石舞台古墳といえば飛鳥(明日香)、飛鳥と言えば石舞台古墳(高松塚古墳やキトラ古墳の壁画古墳が発見される前までは)という程、超有名な古墳である。なぜ有名なのかは…
縄文遺跡と言えば、今や三内丸山遺跡を外すわけにはいかない。3月中頃でも青森県は雪が積もっていた。外は曇り空、遺跡公園は雪景色と雪国らしいイメージを醸し出してい…
今回は、ゆかりの人物に光を当ててみたい。その人、蓑虫山人(みのむしさんじん 1836~1900)の名を知っている方は少ないであろう。むしろ何という風変わりな芸名であろ…
青森県の縄文遺跡を訪れた。縄文時代は、日本の歴史の中で自然や食物、そして精神的にも最も豊かだったというが、現地を訪れてそれを目の当たりにした。敬愛する作家司馬…
何故このように石室の高さを追い求めたのか!その究極作品と言うべき古墳を紹介する。河内愛宕塚古墳の項(22)で驚いた、巨石を使用した石室と天井の高さであるが、実は…
地元に戻り、十数年ぶりに訪れた古墳である。大阪府八尾市神立(こうだち)に所在する大阪府指定史跡の愛宕塚古墳である。因みに愛宕塚古墳という名称は全国に数例あるの…
沖縄の墓についての記憶が覚めないうちに、地域や時代が大きく違うが、古墓と呼ばれる掘込墓・亀甲墓と古墳、とりわけ機能的に共通する横穴式石室墳について、思うとこ…
沖縄の旅も終わりに近づいてきた。はやり最後は琉球王府最高の聖地である久高島を紹介しないわけにはいかないだろう。基本的に観光で訪れた方は斎場御嶽(セイファーウタ…
沖縄県の方に古墳についてのイメージを聞く機会があった。これは報告ではなく単なる雑文であるが、日本人の間でも認識の差があり面白いので述べることにしたい。 本土…
沖縄県最古の亀甲墓(1687年建造)である。琉球王族・伊江御殿(王家の分家)の墓であり、第二尚氏王統第4代尚清王の第7王子、伊江王子朝義を元祖とする御殿とある。この…
nitada
2024年5月8日 21:40
鵜ノ鼻(うのはな)古墳群は、島根県益田市遠田町の東西約300m×南北約200m程の半島状に突き出た丘陵上につくられた、石見地方を代表する古墳群(群集墳)である。これは以前に訪れたものであるが、群集墳の中にあってとても気になる古墳(登録上G-1号墳とされている。)があったので紹介しておきたい。 益田市に在住する知人の案内で、この地域で最も多く古墳が集中している(群集墳という)鵜ノ鼻古墳群を見学
2024年4月29日 12:45
うららかな春の日、恒例「第27回四天王寺春の大古本祭り 2024年4月26日(金)~5月5日(日)開催」へ参加した。いつも何気なく素通りする四天王寺境内を久しぶりにじっくり散策することにした。何故なら四天王寺には創建以前に存在していた(であろう)古墳の痕跡が残されているからである。まずはその前に四天王寺に関して簡単に記してみよう。 四天王寺は文字通り仏教の守り神「四天王:持国天、増長天、広目
2024年4月21日 15:04
映画『洗骨』(照屋年之監督 2018年)を遅ればせながら鑑賞した。沖縄県粟国島を舞台にした映画で、それまで離散していた家族が先祖(ここでは主人公の母親)の『洗骨』という儀式を通じて再会し、家族の絆がひとつになるというものである。沖縄の墓について興味がある小生には大変意義深いもので、その死生観についても考えさせられた。映画『洗骨』からは、家族ドラマの背景として具体的な葬送儀礼の一部始終が描写されて
2024年4月14日 14:44
敬愛する司馬遼太郎の小説『街道をゆく』「大和・壷坂みち」の中の一節にー私は城が好きである。 あまりに好きなせいか、どの城址に行ってもむしろ自分はこんなものはきらいだといったような顔を心の中でしてしまうほどに好きである。だからできるだけ自分の中の感動をそらし自分自身にそっけなくしつつ歩いてゆくのだが…まったく同感で、司馬遼太郎先生と同じ心境であることに感動すると同時に自分の城好きに拍車をかける
2024年4月7日 21:17
2024年3月30日(土)~4月7日(日)の間、奈良県立橿原考古学附属博物館特別展示室にて富雄丸山古墳(奈良市)出土の「蛇行剣(だこうけん)」が特別公開された。公開最終日の4月7日(日)一見の価値あり!と意気込んで見学したので感想を述べてみたい。 この「蛇行剣」、日本最大の円墳(直径109m)である富雄丸山古墳の造出し(墳丘の出っ張り部分)の粘土槨(木棺を粘土で覆う埋葬施設)から出土したもの
2024年4月4日 21:48
大阪府太子町太子の丘陵頂上部の南斜面にある。夏期は草に覆われ、とても古墳にはたどり着くことは困難だ。見学するならブドウの収穫が終わる秋から冬期しかない。道に迷いながら古墳を”発見”した時の爽快感は、何物にも代えがたい。この古墳、観察すればするほど、とてつもなく凄い古墳であることを知るのである。 石室内部は真っ暗で何も見えない。懐中電灯の明かりで下を照らしてみた。(下写真)石室内には台座のよう
2024年3月30日 10:30
石舞台古墳といえば飛鳥(明日香)、飛鳥と言えば石舞台古墳(高松塚古墳やキトラ古墳の壁画古墳が発見される前までは)という程、超有名な古墳である。なぜ有名なのかは目の前にある巨石に圧倒されるからだろう。歴史や考古学の知識はなくとも、実物を目の当たりにするだけで充分だ。そして、これが自然のものではなく人工の構造物であることに驚くだろう。一人だけの墓であることにもっと驚かされるだろう。結論として、一体誰
2024年3月23日 23:28
縄文遺跡と言えば、今や三内丸山遺跡を外すわけにはいかない。3月中頃でも青森県は雪が積もっていた。外は曇り空、遺跡公園は雪景色と雪国らしいイメージを醸し出していた。三内丸山遺跡が大いに賑わっていた縄文時代中期(約5000年前から4200年前)はこんなに雪があったのかはわからないが、グレーなイメージと遺跡とが妙にマッチしていた。 三内丸山遺跡は、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」として登録さ
2024年3月20日 23:03
今回は、ゆかりの人物に光を当ててみたい。その人、蓑虫山人(みのむしさんじん 1836~1900)の名を知っている方は少ないであろう。むしろ何という風変わりな芸名であろうか?(本名でないことは承知されよう。)というのが第一印象であろう。その名の如く、かなり変わった方であったようだが、全国各地放浪の旅に出て、各地の古器物(土器や石器等)を収集し、それら(それ以外も多々あり)を絵に残した旅絵師である。
2024年3月19日 22:01
青森県の縄文遺跡を訪れた。縄文時代は、日本の歴史の中で自然や食物、そして精神的にも最も豊かだったというが、現地を訪れてそれを目の当たりにした。敬愛する作家司馬遼太郎氏がまさに「北のまほろば」と名言された場所である。まずは青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡を訪れることにした。 つがる市縄文住居展示資料館(カルコ)を訪問した。縄文時代の土器が陳列ケースに所狭しと並んでいる。縄文時代の土器について専門的な
2024年3月11日 20:01
何故このように石室の高さを追い求めたのか!その究極作品と言うべき古墳を紹介する。河内愛宕塚古墳の項(22)で驚いた、巨石を使用した石室と天井の高さであるが、実はさらに高い古墳が近畿地方の和歌山県にあった。 和歌山市の東方、岩橋(いわせ)丘陵にある約800基以上の大古墳群、岩橋千塚古墳群の中の一基である天王塚古墳だ。上記写真のように丘陵頂上部に存在し、墳丘の長さが88mを測る群内最大規模の前方
2024年3月4日 21:34
地元に戻り、十数年ぶりに訪れた古墳である。大阪府八尾市神立(こうだち)に所在する大阪府指定史跡の愛宕塚古墳である。因みに愛宕塚古墳という名称は全国に数例あるので混乱をさけるために、前に周辺地名を記して表記する場合が多い。当古墳の場合、神立愛宕塚古墳とは言わず、地域を代表する古墳であることから河内愛宕塚古墳と呼んでいるが、正式名称でないことをお断りしておく。 古墳は近鉄服部川駅より北東へ斜面
2024年3月3日 00:03
沖縄の墓についての記憶が覚めないうちに、地域や時代が大きく違うが、古墓と呼ばれる掘込墓・亀甲墓と古墳、とりわけ機能的に共通する横穴式石室墳について、思うところを記してみたい。①造営時期:古墳(横穴式石室墳)が約1100年ほど古い。 掘込墓・亀甲墓:造営時期17世紀代~ 古墳(横穴式石室):造営時期6世紀代~(近畿圏に限る) ②立地条件:丘陵斜面地、平地にはない。 掘込墓・亀甲
2024年3月1日 10:53
沖縄の旅も終わりに近づいてきた。はやり最後は琉球王府最高の聖地である久高島を紹介しないわけにはいかないだろう。基本的に観光で訪れた方は斎場御嶽(セイファーウタキ)から扁平な久高島を遥拝することになるが、本土の人々の多くはその聖地がもつ霊力(神力というべきか)についてわからない。ましてや島を訪れることなど思いもつかないだろう。それだけに聖地の空気を吸いたい、神の島をこの目で見たい一心で訪れてみた。
2024年2月24日 09:14
沖縄県の方に古墳についてのイメージを聞く機会があった。これは報告ではなく単なる雑文であるが、日本人の間でも認識の差があり面白いので述べることにしたい。 本土の古墳についてどう思うか?どれだけ知っているか?等について質問してみた。①写真のようなドアのかぎ形のもの⇒前方後円墳のこと。②平面しかわからない。⇒高さや横から見た状況が不明。③大都会の真ん中にある。⇒古墳の周りに家が立ち並んでいる
2024年2月23日 11:00
沖縄県最古の亀甲墓(1687年建造)である。琉球王族・伊江御殿(王家の分家)の墓であり、第二尚氏王統第4代尚清王の第7王子、伊江王子朝義を元祖とする御殿とある。このような系譜は机上では理解できないし覚えることも難しいだろう。やはり墓参りをして墓石を前にゆっくりと何度も反復して読むと、第二尚氏という王家の強大さ権力がわかる。 沖縄県那覇市首里石嶺町の住宅街の中にある。伊江家代々の墓地内にあり、