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歴史コラムニスト、”古代のエネルギーを世の中に!”をテーマに独自の直観力で解説。墓、古…

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歴史コラムニスト、”古代のエネルギーを世の中に!”をテーマに独自の直観力で解説。墓、古墳、城、音楽、食などを楽しみながら全国を行脚します。

最近の記事

31.映画『洗骨』にみる死生観~古代における『改葬』~

 映画『洗骨』(照屋年之監督 2018年)を遅ればせながら鑑賞した。沖縄県粟国島を舞台にした映画で、それまで離散していた家族が先祖(ここでは主人公の母親)の『洗骨』という儀式を通じて再会し、家族の絆がひとつになるというものである。沖縄の墓について興味がある小生には大変意義深いもので、その死生観についても考えさせられた。映画『洗骨』からは、家族ドラマの背景として具体的な葬送儀礼の一部始終が描写されている。そこからさらに古代の『改葬』についても触れてみたい。 あらすじはこうだ、

    • 30.大和大納言 豊臣秀長の城~郡山城(奈良県大和郡山市)~

      敬愛する司馬遼太郎の小説『街道をゆく』「大和・壷坂みち」の中の一節に ー私は城が好きである。  あまりに好きなせいか、どの城址に行ってもむしろ自分はこんなものはきらいだといったような顔を心の中でしてしまうほどに好きである。だからできるだけ自分の中の感動をそらし自分自身にそっけなくしつつ歩いてゆくのだが… まったく同感で、司馬遼太郎先生と同じ心境であることに感動すると同時に自分の城好きに拍車をかける一節となっている。 私も各都道府県に所用がある際には、まず城址を訪ねることにして

      • 29.世界最長の鉄剣(蛇行剣)~富雄丸山古墳(奈良市)出土~

         2024年3月30日(土)~4月7日(日)の間、奈良県立橿原考古学附属博物館特別展示室にて富雄丸山古墳(奈良市)出土の「蛇行剣(だこうけん)」が特別公開された。公開最終日の4月7日(日)一見の価値あり!と意気込んで見学したので感想を述べてみたい。  この「蛇行剣」、日本最大の円墳(直径109m)である富雄丸山古墳の造出し(墳丘の出っ張り部分)の粘土槨(木棺を粘土で覆う埋葬施設)から出土したもので(他に類例のない鼉龍文盾形銅鏡・だりゅうもんたてがたどうきょう、と共に出土した

        • 28.真の天皇陵か!~御嶺山(ごりょうやま)古墳~

           大阪府太子町太子の丘陵頂上部の南斜面にある。夏期は草に覆われ、とても古墳にはたどり着くことは困難だ。見学するならブドウの収穫が終わる秋から冬期しかない。道に迷いながら古墳を”発見”した時の爽快感は、何物にも代えがたい。この古墳、観察すればするほど、とてつもなく凄い古墳であることを知るのである。  石室内部は真っ暗で何も見えない。懐中電灯の明かりで下を照らしてみた。(下写真)石室内には台座のような石材があり、その中央は穴が穿たれていた。何かはめ込むための穴だろうか?しかし、

        31.映画『洗骨』にみる死生観~古代における『改葬』~

        • 30.大和大納言 豊臣秀長の城~郡山城(奈良県大和郡山市)~

        • 29.世界最長の鉄剣(蛇行剣)~富雄丸山古墳(奈良市)出土~

        • 28.真の天皇陵か!~御嶺山(ごりょうやま)古墳~

          27.日本で一番有名な古墳~石舞台古墳~

           石舞台古墳といえば飛鳥(明日香)、飛鳥と言えば石舞台古墳(高松塚古墳やキトラ古墳の壁画古墳が発見される前までは)という程、超有名な古墳である。なぜ有名なのかは目の前にある巨石に圧倒されるからだろう。歴史や考古学の知識はなくとも、実物を目の当たりにするだけで充分だ。そして、これが自然のものではなく人工の構造物であることに驚くだろう。一人だけの墓であることにもっと驚かされるだろう。結論として、一体誰の墓なのか?という歴史の謎解き、面白さについて直感を駆使して考えてみよう。  

          27.日本で一番有名な古墳~石舞台古墳~

          26.北のまほろば~三内丸山遺跡(青森市)~

           縄文遺跡と言えば、今や三内丸山遺跡を外すわけにはいかない。3月中頃でも青森県は雪が積もっていた。外は曇り空、遺跡公園は雪景色と雪国らしいイメージを醸し出していた。三内丸山遺跡が大いに賑わっていた縄文時代中期(約5000年前から4200年前)はこんなに雪があったのかはわからないが、グレーなイメージと遺跡とが妙にマッチしていた。  三内丸山遺跡は、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」として登録されているが、そのうち秋田県の大湯環状列石と共に特別史跡に指定されている。縄文遺跡

          26.北のまほろば~三内丸山遺跡(青森市)~

          25.博物館構想の祖~漂泊の旅絵師・蓑虫山人~

           今回は、ゆかりの人物に光を当ててみたい。その人、蓑虫山人(みのむしさんじん 1836~1900)の名を知っている方は少ないであろう。むしろ何という風変わりな芸名であろうか?(本名でないことは承知されよう。)というのが第一印象であろう。その名の如く、かなり変わった方であったようだが、全国各地放浪の旅に出て、各地の古器物(土器や石器等)を収集し、それら(それ以外も多々あり)を絵に残した旅絵師である。青森県を訪ねる際に一度はこの絵を実見したいと思っていた。この人物に興味を得たのは

          25.博物館構想の祖~漂泊の旅絵師・蓑虫山人~

          24.縄文ワールド~亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)~

           青森県の縄文遺跡を訪れた。縄文時代は、日本の歴史の中で自然や食物、そして精神的にも最も豊かだったというが、現地を訪れてそれを目の当たりにした。敬愛する作家司馬遼太郎氏がまさに「北のまほろば」と名言された場所である。まずは青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡を訪れることにした。  つがる市縄文住居展示資料館(カルコ)を訪問した。縄文時代の土器が陳列ケースに所狭しと並んでいる。縄文時代の土器について専門的なことは分からないが、どう見ても土器の残りが良い。沖縄で見た縄文土器は確かポテトチ

          24.縄文ワールド~亀ヶ岡遺跡(青森県つがる市)~

          23.高さを追い求めた、石の芸術作品~天王塚古墳(和歌山市)~

           何故このように石室の高さを追い求めたのか!その究極作品と言うべき古墳を紹介する。河内愛宕塚古墳の項(22)で驚いた、巨石を使用した石室と天井の高さであるが、実はさらに高い古墳が近畿地方の和歌山県にあった。  和歌山市の東方、岩橋(いわせ)丘陵にある約800基以上の大古墳群、岩橋千塚古墳群の中の一基である天王塚古墳だ。上記写真のように丘陵頂上部に存在し、墳丘の長さが88mを測る群内最大規模の前方後円墳である。  天王塚古墳はその名の通リ、岩橋千塚古墳群内では最大規模の古墳

          23.高さを追い求めた、石の芸術作品~天王塚古墳(和歌山市)~

          22.石室における高さの意味?~大阪府下最大の横穴式石室・河内愛宕塚古墳~

           地元に戻り、十数年ぶりに訪れた古墳である。大阪府八尾市神立(こうだち)に所在する大阪府指定史跡の愛宕塚古墳である。因みに愛宕塚古墳という名称は全国に数例あるので混乱をさけるために、前に周辺地名を記して表記する場合が多い。当古墳の場合、神立愛宕塚古墳とは言わず、地域を代表する古墳であることから河内愛宕塚古墳と呼んでいるが、正式名称でないことをお断りしておく。   古墳は近鉄服部川駅より北東へ斜面を登ること約30分の場所にあるが、周辺は草木に覆われ大変見つけにくい。あまり知ら

          22.石室における高さの意味?~大阪府下最大の横穴式石室・河内愛宕塚古墳~

          21.沖縄の古墓(掘込墓・亀甲墓)と横穴式石室墳~地域と時代を超えた共通性~

           沖縄の墓についての記憶が覚めないうちに、地域や時代が大きく違うが、古墓と呼ばれる掘込墓・亀甲墓と古墳、とりわけ機能的に共通する横穴式石室墳について、思うところを記してみたい。 ①造営時期:古墳(横穴式石室墳)が約1100年ほど古い。   掘込墓・亀甲墓:造営時期17世紀代~   古墳(横穴式石室):造営時期6世紀代~(近畿圏に限る)  ②立地条件:丘陵斜面地、平地にはない。   掘込墓・亀甲墓:丘陵斜面地、平地や畑地にはない。   古墳(横穴式石室):丘陵斜面地、平地に

          21.沖縄の古墓(掘込墓・亀甲墓)と横穴式石室墳~地域と時代を超えた共通性~

          20.琉球王府、最高の聖地~久高島~

           沖縄の旅も終わりに近づいてきた。はやり最後は琉球王府最高の聖地である久高島を紹介しないわけにはいかないだろう。基本的に観光で訪れた方は斎場御嶽(セイファーウタキ)から扁平な久高島を遥拝することになるが、本土の人々の多くはその聖地がもつ霊力(神力というべきか)についてわからない。ましてや島を訪れることなど思いもつかないだろう。それだけに聖地の空気を吸いたい、神の島をこの目で見たい一心で訪れてみた。決して多くの人が観光地として訪れる島ではない、泳ぐビーチも限られている。施設も充

          20.琉球王府、最高の聖地~久高島~

          19.沖縄県人が古墳について思う事・・・

           沖縄県の方に古墳についてのイメージを聞く機会があった。これは報告ではなく単なる雑文であるが、日本人の間でも認識の差があり面白いので述べることにしたい。  本土の古墳についてどう思うか?どれだけ知っているか?等について質問してみた。 ①写真のようなドアのかぎ形のもの⇒前方後円墳のこと。 ②平面しかわからない。⇒高さや横から見た状況が不明。 ③大都会の真ん中にある。⇒古墳の周りに家が立ち並んでいる。 とのことだ。一応学校の歴史で勉強するらしいが、詳しいことまでは教えてもらって

          19.沖縄県人が古墳について思う事・・・

          18.沖縄県最古の亀甲墓~伊江御殿墓~(ieudun)

           沖縄県最古の亀甲墓(1687年建造)である。琉球王族・伊江御殿(王家の分家)の墓であり、第二尚氏王統第4代尚清王の第7王子、伊江王子朝義を元祖とする御殿とある。このような系譜は机上では理解できないし覚えることも難しいだろう。やはり墓参りをして墓石を前にゆっくりと何度も反復して読むと、第二尚氏という王家の強大さ権力がわかる。  沖縄県那覇市首里石嶺町の住宅街の中にある。伊江家代々の墓地内にあり、入口の扉を開けて参拝させていただいた。緩い階段を少し登りつめるとそこにある。2月

          18.沖縄県最古の亀甲墓~伊江御殿墓~(ieudun)

          17.運天港を望む按司の墓~運天古墓群~

           沖縄県今帰仁村にある運天港近くの海岸に面した崖面に、長方形のブロック塀で囲われた異様な光景を見ることができる。これらは全て墓だ!港を見下ろす崖面中腹に掘り込まれた墓で、いわゆる岩陰掘込墓というらしい。沖縄の墓を見学する1番目に、数か月前付近にある「百按司墓(ムムジャナハカ)を訪ねている。今回はその下方にある古墓群を訪ねることにした。  沖縄県那覇市から車で約2時間、中部の名護市からさらに本部半島を目指す。名護市内は混雑するが運天の町は静寂で車も少ない。近くには伊是名島・伊

          17.運天港を望む按司の墓~運天古墓群~

          16.沖縄(琉球)のお墓について(Ⅴ)

           沖縄(琉球)の墓について色々と考えている。これまで訪れた墓は王族や貴族(琉球風にいうと按司)等の名だたる墓である。あるいは今なお継承され、かつ数千という膨大な人々が葬られた門中墓とよばれる墓であった。ここでは、これらと異なり縁の無い墓、無縁墓について考えることにする。    無縁墓(法律上では無縁墳墓と呼ぶらしい。葬られた死者を弔うべき縁故者がいなくなった墳墓のこと)とは、縁が無い、あるいは縁が無くなってしまった墓のことで、墓が存在しているということは誰かに葬られたのであ

          16.沖縄(琉球)のお墓について(Ⅴ)