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34.海峡を望む巨大前方後円墳~五色塚古墳(兵庫県垂水区)~

 その雄姿は余りにもインパクトが強く、古墳マニアはもちろん一般の方々も沢山訪れ、全国的に知名度の高い古墳である。今日は晴天であったので明石海峡の海風に打たれたく訪ねた古墳がその古墳(五色塚古墳)である。もっと言えば、古墳を全く知らない方にこそ、是非、一度見学していただきたい古墳なのである。ここに来れば、前方後円墳(keyhole-shaped mounded tomb)言葉で説明しなくても、一目でわかるということが何より楽しい。

史跡 五色塚古墳と小壷古墳の個性的な標柱

管理事務所で手続きをおこなう

 山陽電鉄の霞ヶ丘駅を東へ約300m、徒歩5分のところに現場管理事務所があり、そこで受付を済ませて見学ということになる。今日は晴天なので家族連れやカップル等多数見学されていた。それでもこの空間にしては人が少ない。次に簡単な解説をしておこう。
 五色塚古墳は4世紀後半(今から約1600年前)につくられた前方後円墳で、全長が194m、後円部の直径が125.6mを測る。墳丘は三段につくられており一段目と二段目は岩盤(地山という)を削り出している。最後の段つまり三段目は土を盛って(盛土という)つくっている。

テラス面(左)と墳丘の盛土部分(右・傾斜角度30度)
通路を登る。左は後円部

 各段の平坦面(テラス)には円筒埴輪が並べられていた。その総数2,200本である。しかも円筒埴輪は鰭(ひれ)がついており、その名の如く「鰭付円筒埴輪」と呼ばれている。五色塚古墳ではこの鰭付円筒埴輪と、上部がラッパ形をした「鰭付朝顔形円筒埴輪」というものがあり、鰭付円筒埴輪を4本並べ朝顔形円筒埴輪を置くパターンと、鰭付円筒埴輪を5本並べ朝顔形円筒埴輪を置くパターンを交互に設置している。(下写真)これは何を意味しているのだろうか?

鰭付朝顔形円筒埴輪と鰭付円筒埴輪をみる(墳頂部)

 次に葺石について見てみよう。葺石はこれもその通り”石を葺く”もので古墳の地山つまり土の部分の上に石材を乗せた石のことをさす。現在、後円部の葺石は整備後の新しい石材であるが、前方部は発掘調査時に検出された際の葺石を修復したもので、いわゆる本物の状況を示している。その数約223万個、総量2784トンという途方もない石材がこの地に運搬されたことがわかっている。また、石材は明石海峡の向こうにある淡路島の淡路市大磯から岩屋付近の海岸線でとれる斑糲岩だそうである。要は淡路島から船で石を運んで積み上げたわけだ。潮の流れが速い明石海峡の海を熟知した海人がいて、大量の石材を運んだのであろうが、それでも海峡の距離は約4㎞あり、運搬作業は困難を極めたのではないだろうか。そう考えるとこの葺石は命懸け作業の結晶であったといえる。

前方部斜面の葺石
葺石の近影(大きな石材が区画をつくっている)

 ここからは、五色塚古墳が、いかに素晴らしい場所につくられていかを見ていただこう!。

前方部と明石海峡(船がみえる)と淡路島
大阪湾と和泉山脈を遠望する
前方部から後円部をみる(当時の姿である)

 上記の写真は本日のベストショットである。何故かはお分かりだろう、そう、見学者が写り込んでいない。見学者の多い古墳で、このショットを撮ることは至難の業なのだ。
 写真上と中を述べる。明石海峡に船が行き交って(現在も1日約1500もの船が往来する場所だ。)おり少しだけ明石海峡大橋がみえる。これは原風景そのものだといえる。つまり当時の五色塚古墳の主(王?)はこの明石海峡の交通権を掌握していたことが理解される。写真左方面は穏やかな大阪湾が広がり、河川(大和川か?)を遡ってヤマト王権?の中心地(現在の奈良県奈良市?桜井市辺りか?)へと向かうルート。右方面へは瀬戸内から関門海峡を越えて外洋に出るルートだ。下の写真は前方部での祭りを終え、後円部の主が安置されるであろう石室?に通じる道である。非常に後円部が高いが人工で盛り上げた結果である。どれだけの人々が古墳つくりや葬儀に参列したのであろうか。
 五色塚古墳は全国の大型古墳では38番目に位置している。しかしこれは時代を無視したランク付けであまり意味がない。やはり時代別でランク付けすることが大事なのだ。同じ時代とされる大型古墳は、奈良市にある佐紀陵山古墳(現日葉酸姫皇后陵)で全長が210mいうことだ。いずれにしても政権の中心地にある巨大古墳との差が僅か20m程度しかないということは事実で、相当強力な勢力が垂水区周辺に存在したか、または中央から豪族が派遣されてつくったかのいずれか!であろう。 

五色塚古墳に隣接する小壷古墳
五色塚古墳の上から小壷古墳(左)をみる

 もうひとつ紹介したい古墳が隣接する、小壷古墳である。江戸時代に五色塚古墳は「千壷」と言われていたようだ。その名の影響で小壷と命名されたのではないだろうか。小壷古墳とは言うものの、円墳としては直径約70mを測る大型円墳であり全国でも20番目以内にランキングされる古墳である。これまた五色塚古墳と同じ時期につくられたとされるので、4世紀後半という時期にこの地域において(2基の巨大古墳の)大規模工事がなされたのである。古墳設計技師、管理者、土木作業員、葺石の搬入作業員、船舶の確保、船乗り(船頭)、埴輪製作場所からの搬入、埴輪工人の確保、資材置き場、ベースキャンプ、食料の調達、雨天、台風等天災地変に関する知識、墳丘盛土、葺石の養生作業等々、墳丘にたたずみ、明石海峡を見ながら想像を膨らませると古代人のエネルギーがひしひしと伝わってくるのである。五色塚古墳はパワースポットという単純な言葉で言い表せない何かをもっている。その答えは、古墳の上に立ってそれを知ることになるのだが…ますは、訪れてみていただきたい。

神戸新開地商店街界隈
神戸新開地音楽祭メインステージ

 今日は「神戸新開地音楽祭」の初日であった。古墳見学後、新開地界隈を歩き、音楽祭を楽しむことにした。ステージでは学生バンドがジャズを演奏していた。ステージ前の座席の大半が高齢者である。空席があったので私も着席した。生音を聴くのは身体に良いというが、爆音にも関わらず大半の観客が居眠りをしていた。陽気な気候と心地よい風、知らない演奏曲、睡魔が襲うのは無理もない。ふと考えてみた。当時、五色塚古墳でも葬儀を含めイベントが多数あった筈だが、音楽はなかったのか?無音ではなかった?何らかの楽器をかきならし、歌い踊っていた筈である。眼前にいる人達よりもっと若くて勢いのあった人々達が…。


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