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31.映画『洗骨』にみる死生観~古代における『改葬』~

 映画『洗骨』(照屋年之監督 2018年)を遅ればせながら鑑賞した。沖縄県粟国島を舞台にした映画で、それまで離散していた家族が先祖(ここでは主人公の母親)の『洗骨』という儀式を通じて再会し、家族の絆がひとつになるというものである。沖縄の墓について興味がある小生には大変意義深いもので、その死生観についても考えさせられた。映画『洗骨』からは、家族ドラマの背景として具体的な葬送儀礼の一部始終が描写されている。そこからさらに古代の『改葬』についても触れてみたい。

映画『洗骨』パンフレット

あらすじはこうだ、
一家の名は新城家で、長男(剛・筒井道隆演)は東京の一流企業に勤めている。4年前に母親(恵美子・筒井真理子演)を亡くしたが、その『洗骨』儀式のため故郷粟国島に帰省する。実家では父親(信綱・奥田瑛二演)が母の死によるショックから立ち直れず、酒浸りの日々を過ごしていた。そこに名古屋で美容師をする長女(優子・水崎綾女演)が身籠った姿で帰省し、一家は驚きを隠せない。だだでさえバラバラの家族に、数日後、『洗骨』儀式が迫る。粟国島では陽の上がる東側(アガリという)をこの世、陽が沈む西側(イリという)をあの世として見えない境界が定められており、その場所に来ると一同道路に跪いて一礼し、あの世となる墓に向かった。

墓前でのワンシーン

 石で封鎖された墓口を前に、全員跪いて一礼する。閉塞石を取る。墓内部から墓口へのシーンは、厨子甕(御殿型)とシルヒラシに安置された棺があり埋葬状況がリアルに描写されていた。
 さて、棺を外へ移動させ棺蓋を開ける。一同息を吞む。頭蓋骨から全身の骨が綺麗に残っていた。映画では4年前の設定であるが、実際4年間で肉片も残らず骨化するのだろうか?多少の疑問は抱いたが、何より勉強になったのは冒頭で登場する納棺の状況である。棺は意外と小さい、それもその筈、
遺体の足を伸展させていないのだ。つまり両足を膝から折る状態、つまり屈葬の状態で納棺しているのである。

アマミチューの墓(沖縄県うるま市浜比嘉島)

 いよいよ『洗骨』儀礼の始まりだ。まずは頭蓋骨を丁寧に洗う。それから各部位を洗い並べる。頭蓋骨は特に大事に扱う。厨子甕には足から納骨し、最後に頭蓋骨が入れられ蓋がされる。映画では、あろうことか長女の優子が墓前で産気ずいてしまった。病院に行く余裕はなく墓前出産となるが…
ラストシーンは今生まれたての赤子と頭蓋骨(孫と祖母との)対面である。生きている!とか死んでいる!とかの事実を超越した魂レベルの空間。何と素晴らしいことか。感動のシーンに思わず涙腺が緩んでしまった。
 現在、我々は火葬で葬られる。肉体は火にかけられ骨化する。それは骨壺という箱に収納される。近親者が亡き人物を思うのは1回限りだ。それに比べて『洗骨』は肉体を骨化した(風葬)後、もう一度故人と対面する場としての儀礼である。骨化から再度「厨子甕」に納骨する行為は、いわゆる『改葬』である。古代では天皇や皇族は死後『殯(モガリ)』をおこなったという。それは遺体を埋葬までの間、遺体を棺に納め特別に設けられた建物に安置することをいった。『殯』は707年に文武天皇を最後に終焉するが、平安時代以降も『殯』ではなく『改葬』と名を変え貴族社会に浸透していたらしい。つまり『改葬』とは「骨」の埋葬を目的とする儀礼であり、沖縄の『洗骨』は古代の『改葬』を今なお伝える儀礼といえるのである。

*映画のエンドロールで、古謝美佐子さんが歌う「童神」が流れる。生と死時空を超えて繋がるもの…感涙が頬を伝わってゆく。枯れるまで流しておこう。


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