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【短編】『サルバドールの発明』(前編)

サルバドールの発明(前編)


 椅子に座ったまま片手に一定の重さを感じる物を持って目を閉じる。なんでもいいリンゴでも、マグカップでも、野球ボールでも。そして眠りにつく。眠っている間は、現実と夢を同時並行でゆるやかに認識し、奇妙な連想が働き始める。眠りが深くなる寸前、脳から体に出された司令は突如として効力を失い、手は握っているものを離してそれを落としてしまう。しかしその反動で、物を落とさないように掴むという反射神経によって意識は一気に現実へと引き戻される。その直後に出てくる発想力や創造力は最大限効果を発揮すると言う。これはサルバドールダリという画家が発明した効率的な仮眠法であり、午後眠くなった時が、その仮眠法を試す絶好の機会とされた。私はなかなか小説のネタが思い浮かばないので、一度自らを実験台にすることにした。

・1月5日午後3時6分、手に持っていたマグカップが床に落ちて目を覚ます。(実験開始)

妙なネタを思いついた。ドブネズミが蛇に食われたことで、三次元から二次元の世界へと転移する。実際にはドブネズミは死んでしまうので二次元には転移していないというアイロニックな話だ。しかし、いまいちオチが感動的ではない。ドブネズミが蛇に食われたところで何の同情や悲しみも感じられないのだ。そもそもなぜ蛇がドブネズミの生息する場所に現れるのかすら曖昧である。私は悩んだ挙句、主人公をドブネズミではなくそれを飼っている貧しい青年ということにした。これでドブネズミが蛇に食われることに多少は意味が生まれる。これはドブネズミではなく貧しい青年の物語である。しかし、いつどこでどのように食われるのか――。その先は何も思いつかなかった。いいや、何も思いつかないというのは嘘になる。良いアイデアが浮かばなかったと言った方が正しい。私は再びマグカップを片手に持って適度な眠りに入ろうとした。

部屋の電話が勢いよく鳴り響いた。私はマグカップを持ったまま受話器を握った。

「もしもし?」

「――」

「もしもし?」

「――」

「どなたですか?」

「――」

何度尋ねても受話器の先から応答はなかった。悪戯電話かと思いそのまま受話器を戻そうとした時、一瞬動物の鳴き声のような甲高い音が聞こえた。再び受話器を耳元に当てると、その音は徐々に言葉をなしてきた。

「こちらドブネズミ。聞こえるか」

「もしもし?どなたですか?」

「こちらドブネズミ」

「ドブネズミ?」

「準備は整った。いつでも実行可能だ」

「実行?何をですか?」

「爆破に決まっているだろ」

「どこをですか?」

「敵地以外に何がある?」

「は、はあ」

「司令を頼む」

「司令?」

「ああ、今回の任務の司令官はお前だ」

私は訳のわからぬ子供の遊びに巻き込まれてしまったのかと思った。きっと本当の司令官役が今もどこかで電話を待ち続けているに違いないと思った。僕は何も言わずに電話を切った。

  しばらく椅子に腰掛け眠ろうとしていると、再び電話が鳴った。誰からだろうかとマグカップを片手に受話器をとると、先ほどと同じ声がした。

「こちらドブネズミ。なぜ電話を切る?司令を頼む」

私はすかさず返答した。

「私は司令官ではない。君は番号を打ち間違えている」

「そんなはずはない。あなたは間違いなく司令官だ。司令を頼む」

ドブネズミと名乗る男の強情ぶりに腹が立った。

「申し訳ないが電話を切るよ。私は忙しいんだ。もうかけてこないでくれ」

「司令官!任務はどうなる?」

受話器を戻してから電話線を抜いた。

気づくと片手に握っていたはずのマグカップが見当たらなかった。どこに置いてしまったかと部屋中をくまなく探していると、部屋の中央に置かれた椅子すらもなくなっていることに気がついた。すると、部屋の中を何匹かの小動物が素早く徘徊しているのを目撃した。そのすばしっこさからその小動物を視覚で捉えることは困難だった。部屋の隅から姿を見せたかと思うとあっという間に反対側の壁の中へと消してしまった。

突然自分の部屋が揺れたような感覚を覚えた。地震かと思いしばらくその場に立ち尽くしていると、その揺れは徐々に大きくなった。何かが破裂するような小刻みの揺れだった。私は恐ろしくなり、近くにあった机の下に入り身を屈めた。揺れはさらに大きくなると、ある時点を過ぎた途端に目の前のものが何もかも宙に弾けて飛んだ。

・1月5日午後7時3分、大きな爆発音とともに目を覚ます。(実験失敗)

私は椅子に座っていた。マグカップは逆さになって床に転がっていた。どうやら先ほどの奇妙な電話や爆発は夢だったようだ。それにしても思ったより寝過ぎてしまった。マグカップを落とした時に目を覚まさなかったのだ。私は眠気を飛ばすために椅子に数秒寝そべってからすぐに立ち上がり、逆さになったマグカップを台所まで持っていった。

・1月6日午後5時17分、マグカップが床に落ちて目を覚ます。(実験開始)

また新たなネタを思いついた。密売人になりすました秘密警察が、秘密警察になりすました密売人に捕まる。今回はあからさまにアイロニックな話だ。これに一つ感動を与えるならば、こう言うのはどうだろうか。二人は同じ故郷で生まれともに同じ時間を過ごすが、高校に入ると同時に貧富の差から別々の人生を辿ってしまうというジレンマを入れ込む。悪くない。すでに立派なスパイアクション系のハリウッド映画ができあがりそうだ。再び眠る。

・1月6日午後5時32分、マグカップが床に落ちて目を覚ます。(実験開始)

つい先ほど考えた密売人と秘密警察について書いた文章にもう一度目を通す。捕まる場所はどこにしようか。ふとコンテナがいくつも積み重なった港の光景が頭に浮かぶ。秘密警察の主人公が密売人に扮して、ブツを密輸してきた犯罪グループをある場所へと誘導する。誘導した先でブツをぬいぐるみから取り出し、別で用意した靴の商品の中に入れ替えるという作戦だ。しかし、その作戦は上からの指示でついた嘘で、実際には誘導した先で警察が待機している。

主人公は易々と犯罪グループをはめて、その場所へと誘導すると、指示通り警察が銃を両手に構えて待っている。私は任務を果たしたと安堵する。しかし秘密警察であるが故に、一度手錠をかけられ署に連行されるまでは素性は明かせない。警察はブツを没収すると、私の腕に手錠をかける。そして手錠をかけた警官の顔を一目見たその時、一瞬とうの昔に疎遠になった幼馴染の面影を思い出して違和感を覚える。ここからクライマックス。警察車両に乗りこむと、その車は署を通り過ぎて別の場所へと向かっていく。目的地に着くまでの間に私や他の連中は手錠をかけられたまま布を頭に被せられる。目的地に着くと、警察は用意していたトラックにブツを移して激しいエンジン音とともに私たちを置いてその場を去っていく。去り際に誰かが耳元で呟く。

「任務は終了だ。悪く思わないでくれ」

そこで主人公は真実を知ってしまう。犯罪グループの中で仲間割れが起きていたという事実、そして指示を出していた男が本当は犯罪グループの中の者であり、疎遠だった幼馴染であったこと。

――頭が疲れてきたため、再び片手にマグカップを持って目を閉じる。


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