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【短編】『サルバドールの発明』(中編)

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サルバドールの発明(中編)


 目を開けるとマグカップは床に落ちていた。(実験失敗)

 寝ているうちに日が沈んでしまったことにどこかもの寂しさを覚えながら、ふとここ数日一度も外に出ていないことに気がついた。突然、外の空気を吸いたいという衝動に駆られた。こんな狭い家の中にこもっていては、それこそ創作意欲を妨げる大きな要因になりかねない。いくらサルバドール・ダリの言う通りにしたところで、心身ともに健康的でなければ意味がない。熱を出した状態で知恵を絞っているのと同じだ。私は机に置かれているいつ買ったのかすら思い出せないウィンストンの箱を取り出し、財布を持って家を出た。夜道を歩いていると、まだ夏というのにやけに肌寒く感じた。上着を持ってくればよかったと鼻を啜らせた。道沿いの家々はすでに人々が寝静まったようで真っ暗だった。角を曲がると道が開け、車が一分間に五台ほど通り過ぎていった。こんな夜中でも灯りがついている場所があった。近所にあるワッフルの美味しいダイナーだった。この時間になるとよくマリファナを吸ってハイになった若者たちがマンチになった腹を満たそうと集っているのだ。彼らの騒ぎ立てようと言ったらひどいもので、客と揉めて警察沙汰になるほどだった。幸いその若者たちはまだ店には来ていなかった。カウンターには、夏というのにジャケットを羽織った老人の後ろ姿が映った。奥の席には薬指に指輪をはめた中年の男が眉間に皺を寄せて座っていた。夫婦喧嘩でもして家を出てきたのだろう。

 私は誰も座っていない入り口付近のテーブル席に座ってタバコに火をつけた。一服してから注文のベルを鳴らした。すると、女の店員が注文を聞きに私のもとへとやってきた。私はメニューを見ながら、何も考えずに注文のベルを鳴らしたことにしまったと思った。とりあえずドリンクを注文しようと思い、ページをめくるがなかなかドリンクのページが出てこない。店員はぶっきらぼうな顔を見せながら今にも端末のボタンを押そうと指を待機させている。奥のテーブル席からベルの音が響くと、店員は店中に聞こえる声で「今うかがいます」と叫ぶ。人も入っていないのだからそんなに急かさなくても良いのにと思うが、彼女の視線を見ているとそうは言っていられない。とりあえずドリンクメニューを眺めているふりをしてアイスコーヒーを頼んだ。

 入り口のドアが勢いよく開いた。と同時に何人もの若い男女が入ってきた。いつものマリファナ野郎たちだった。一人はレイカーズのロゴの入ったタンクトップの上から金のネックレスをぶら下げ、ストリート風のダボっとしたスウェットパンツを履いて先頭を歩いていた。その後ろにいる男は背が高く、下を向いたピースサインの絵柄の入った黒の長袖Tシャツを着ていた。若者らしくポッケに両手を突っ込み、口元を見るとは嫌な笑みを浮かべていた。手前にいる女は青緑の無地のTシャツに、下はデニムパンツを履いていた。いかにもアバズレといった連中だった。

 後から女が一人遅れて店に入ってきた。黒地のTシャツに下はデニムパンツを履いて、何より茶髪のドレッド姿が際立った。彼女の手にはキーがあり、店まで彼女が運転してきたようだ。私の近くにある六人がけのテーブル席に腰を下ろすと、注文もせずにやたらと無駄話を繰り広げていた。

 アイスコーヒーに夢中になっているとふと、向こうの席からベルが鳴った。しばらくすると、先ほどの女店員がキッチンから姿を現した。彼らが何を食べるのか気になった。以前はワッフルに大きなチキンの乗った「ジャンボチキンアンドワッフル」に喰らいついていたのを思い出した。彼らはその上にメープルシロップを全て使い切る勢いでかけていた。女店員は注文を聞き終わると端末をポッケにしまってキッチンへと戻っていった。

 私はアイスコーヒーを飲み干して空になった白いカップをしばらく眺めていた。不意に右手で取手を握ってみると、飲んでいる時とさほど重さは変わらないように感じた。私は目を閉じてみた。先ほどのマリファナ野郎たちの話し声が店中に響いていた。徐々にその音は心地よいものへと変わっていった。

・1月6日午後11時45分、コーヒーカップがテーブルに転がって目を覚ます。(実験開始)

あれやこれやと頭を捻っていると、特段に面白いネタを思いつく。私は咄嗟にメニューの隣にある箱の中から注文用のペンを取り出す。ナプキンを何枚かテーブルに広げて頭に思い浮かべたことを書き留める。

何も書けなくなった物書きが夜中にふと入った店で不良たちに絡まれる。不良たちは罵る。「お前たち物書きはいつからこんなつまらない話ばかりを書くようになったのか」と。「オレたちがやってることの方が断然面白いじゃねえか」と馬鹿にされる。物書きは逆上して不良たちに告げる。「お前たちのほうが面白いわけがない。何年ストーリーテラーをやってきていると思っているんだ?」
不良たちが腕を一振りすると物書きは簡単に失神してしまう。目を覚ますと、群衆の中にいた。とある家の中で若者たちが踊っている。酒を飲んでいる者からマリファナを吸っている者までいる。ハイになっておっぱじめる者たちまでいる。すると、奥から先ほどの不良少年が現れ、顔の腫れた物書きめがけて一言告げる。「物書きは死んだ。今日からお前は不良だ」
物書きは頷くと、手に握っていたペンを床に投げ捨てて群衆の中に飛び込む。「不良万歳!」「人生万歳!」「銀河万歳!」
という不良にスランプを救われ書くことを捨てる物書きのお話。

アイデアが浮かんだ時は最高傑作だと思ったが、いざ文字にしてみるとくだらないと感じた。私は向こうのテーブルで騒ぐ醜い不良たちに、無意識に何かを期待をしているのだろうと思った。一瞬彼らの中の背の高い男と目が合った。どうやらそれは一瞬ではなかったようだ。向こうから男が私のテーブルの方へと歩いてきた。

「何じろじろ見てんだ?」

私はハイになった若者を相手にするぐらいなら帰ったほうがマシだと思いながら、一言放った。

「うるせえ、あっちいけ」

「今なんて?」

「あっちいけって言ってんだ」

男は私のテーブルに広げられたナプキンを見ると、鷲掴みで奪った。

「なんだこれ?」

「――」

「お前が書いたのか?」

「――」

男はしわくちゃになったナプキンを広げると、嫌な笑みを浮かべて声に出して読み上げ始めた。

途中から男の表情は曇り始めた。読み終えると、男は私に言った。

「これ、オレたちじゃねのか?」

「――」

「勝手にネタにすんじゃねえ。テメエの話はテメエで考えろ」

男は狂ったようにナプキンを破き始めた。コーヒーカップはいまだにテーブルに転がったままだった。ついでに先ほど書いたメモが実話になるようにと一撃を喰らった。

 夢であってほしかった。しかし口元についた赤い血を見る限りそれは本物だった。

 女店員が大きな皿を持ってやってきた。「ジャンボチキンアンドワッフル」だった。私は男がテーブルに戻ったのを見計らって代金を置いて店を出た。ウィンストンの箱を座席に置き忘れたことに気がついた。


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