見出し画像

【25】 まさか、私はこれまで「不幸になろう」として生きてきたの?

世界がコロナ一色に染まるなか、私は部屋の中でひとり、布団の中に潜り込み、まったく別のことに苦悶していました。

それは一言で表すなら
「なぜ、私という人間は、このようであるのか?」という、存在の根源にかかわる絶望でした。

確かに、この数年の私の境遇は、客観的に見ても、困難な状況には違いなかろう。


けれども。
けれども、本当に、それだけだろうか?


同じガンになっても、「ガンのことなど、考えてもどうなるか分からないのだから、くよくよしない」と言って、精神的な健全さを保ち続ける母。

入院部屋にいた、女性たちのそれぞれの生き様。
自分の状況を受け入れ、闘おうとする態度。達観があり、笑いさえあり、「生きるのだ」という意志が感じられた人たち。


病気になれば、誰だって苦しい。
でも同じ「苦しむ」でも、どうして私とは、こんなに違うのだろう?

それは性格?
それで終わらせていいことなのだろうか?


時は、コロナ禍。
世界中で、突如人生に終わりを告げられる人々。
大事な人を失うという悲しみに包まれる遺族たち。
お葬式にも出られない、お別れもできない、遺族たち。

そんな中で働く医療従事者、エッセンシャルワーカー。
逆に、働き口を失い、経済的に困窮する人々。


ひとり不幸を背負った気分でいた私は、「なぜ、こんなことに」といつまでも現状を受け入れられず、ぐるぐると同じところを行ったり来たり。

「でも、でも」と言い続けて、「誰のせいなの」と被害者になり、何を選択しても納得がいかない。そうして惨めになって、布団に潜り込み、自分を憐れんで一切身動きが取れなくなっている。

「私は、こういう性格と性質で生まれてきたのだから、このようにしか生きられないのだ」

生まれ持った遺伝を強く信じる気持ち。
確信と言っていいほどの、強固な信念。


でも。
もう、その考え方では、私は一歩も動けなくなっている。

私なりにこの40数年の人生を、それなりに頑張って歩んできたけれど、今、はっきりと「行き止まり」の壁がそびえ立っている。

今日も、明日も、死ぬまで、私は、私として生きていかなきゃならない。
私は、このカラダと、この脳みそから、逃れることは、絶対にできない。


一体、どうしたらいいの。
何を、どのように、したらいいの。

「変われない私」なんだから、このまま、生きるしかないじゃないか!!


――イヤ、それは無理。
もう、無理!!!!



そんな頃です。
小説が読めなくなった代わりに読んでいた、脳科学の本の中に、私を驚愕させる内容が書かれていました。



近年の脳科学の研究で、ネガティブなことを考える脳の部分と、ポジティブなことを考えるときに使う脳の部分が違うと分かった。ネガティブなことをひとつ考えれば、ネガティブ回路が太くなり、どんどん強化され、「ネガティブ上手」になるという内容です。

脳みその回路のイメージ

は??? 
へ???
どういうこと??


ポジティブとか、ネガティブとかって「その人の性格」でしょう?

性格って、生まれ持ったものだよね?
でもこの本によれば、ポジティブ体質、ネガティブ体質って、遺伝とか性格じゃなくて、「脳の使い方」によって変わるってこと……なの?




ウソでしょーーー!
えーーーー!!!!!! 
こういうことって、みんな当たり前に知っていることなの???



私にとっては、雷級の衝撃でした。
夫が言っていた「もはや、苦しみたくて苦しんでるようだ」という言葉が、頭の中でこだまします。

それは「自ら不幸を好んで生きてきたのかもしれない」という信じがたい事実を示していました。


ウソでしょ?
私、自分で不幸を選んで生きてきたの?
私、ネガティブを選んで生きてきたの?


そんな恐ろしいことを、簡単に認めるわけにはいきません。生まれてから40年以上も、私は幸福になろうとして生きてきたはずです。事実、それなりには幸せに生きてきたことに嘘はありません。


しかし、これまで「ポジティブな人」に出会う度に、「いいよね、楽観的に生まれた人は」「おめでたいですね」などと半ばやっかんできた私。


「(遺伝上決められているから)人は変われない」と強く思い込むからこそ、いつまでも変われないまま、いつまでも私のまま。
ネガティブの筋トレを40年以上も続けてしまった私は、もはや「ネガティブのプロフェッショナル」なのかもしれない。



私は俄然、「自分の脳みそ」について知りたくなり、脳科学の本にのめり込んでいきました。

脳科学の発展は近年目覚ましいそうで、研究によってさまざまな事実が発見されているそうです。

「悲観度が高い人と、楽観度が高い人を比較した場合、楽観度が高い人の方が11~15%も長寿であることが判明している」という内容もありました。

(考え方が、寿命にも影響するのか……私は短命だな……)

その事実に打ちのめされ、考え込んでしまいます。
闘病中の私は、「命の長さ」に対し、とても敏感なのでした。


(……でも……)
私は、一筋の希望を見出しました。


(具体的に、脳みその使う部分が違うってわかっているなら、私だって脳の使い方を変えれば、ポジティブな性格になれるってことなのでは? 抗がん剤中で、カラダは思い通りにならないけれど、代わりに脳みそを鍛えれば、今よりはマシな自分になれるんじゃないの?)


それは地獄の中、地べたを這いずり回っている私にとって、キラキラしてまばゆい、夢のような発想なのでした。

つづきはこちら⤵


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?