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ジャック・ドゥミ監督 『シェルブールの雨傘』 : 恐るべし、ミシェル・ルグランの魔笛

映画評:ジャック・ドゥミ監督『シェルブールの雨傘』1964年、フランス・西ドイツ合作映画)

『シェルブールの雨傘』というタイトルは、子供の頃からよく耳にしていた。だが、それ以上に耳に馴染んでいたのは、ミシェル・ルグランによる本作の主題曲で、私はこの情感あふれる曲を、子供の頃にあちこちで耳にしながら育ったと、そう言っても良いくらいである。

ただし、子供の私にとっては、この曲が映画『シェルブールの雨傘』の主題曲だという認識はなかった。ただ、物悲しくもロマンティックな「良い曲だなあ」という印象だけを持っていたのである。

「Wikipedia」によると、次のようなことになる。

『シェルブールの雨傘』シェルブールのあまがさ、Les Parapluies de Cherbourg 英題:The Umbrellas of Cherbourg)は、ジャック・ドゥミが脚本・監督した1964年のフランス・西ドイツ合作の恋愛映画。ミシェル・ルグランが音楽を担当したミュージカル映画である。この映画の会話は、何気ない会話も含めて完全にレチタティーヴォとして歌われている。第17回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。

概要
全編音楽のみで他の台詞が一切ないミュージカルであり、映画としては画期的な形式であった。ルグランによる音楽が大評判となり、特に主題曲は世界中で大ヒットした。のちに舞台化もされ、世界各国で上演されている。 ドヌーヴの出世作となった作品だが、出演者は歌の素人のため、すべて歌手による吹き替えである。』

(Wikipedia「シェルブールの雨傘」

今回、本作を見たのは、一昨年初めて見たゴダールに始まる、映画への映画史的な興味の一環で、ひとつは、この有名な「フランス映画」を見ておかなければならないということと、またひとつは、最近知ったことだが、この作品の監督である、ジャック・ドゥミもまた、ゴダールの代表される「ヌーヴェル・ヴァーグ」の一人だったということからである。

本作についても、ほとんど予備知識なしで見た。知っていたのは、「監督がジャック・ドゥミのミュージカル作品」だということくらいで、鑑賞するまでは、あの懐かしい曲が本作の主題曲だとは、まったく知らなかったのだ。

そんなわけで、実際見てみて、どうであったかと言うと、なるほど「カンヌのグランプリを取る」というのもわかるし、「名作と呼ばれる」というのもわかる。
ただし、「完璧な名作」なのかと言えば、注文をつけたいところは、いろいろある。
主演のカトリーヌ・ドヌーブの面長の顔が、私の好みではないといった、個人的な理由とは別に、今の目で客観的に見て、いろいろ難点はあるのだ。

(雨傘屋の娘ジュヌヴィエーヴ17歳。若干無理があるか?)

しかし、にもかかわらず、「ロマンティック悲劇としての、そのわかりやすさ」と、何より「ミシェル・ルグランによる主題曲の、際立った素晴らしさ」という2点において本作は、今の言葉で言えば、多くの観客に「つき刺さった」作品であったし、それも納得のできる作品となっていた。要は、前記の2点が、本作の「七難」を、すべて隠したのである。
(※ もちろん、公開当時のヨーロッパでは、「アルジェリア戦争」の記憶が、まだ戦後2年で生々しかったということが大きい。だが、今となっては、それは作品評価においては、ほとんど関係ないことだし、ましてヨーロッパ以外の観客にはわからない)
そうした意味で本作は、冷徹に突き放して見るならば、きわめて「通俗的なメロドラマ」でしかなかったと、そう言うこともできるだろう。「切なく酔わせる」の一語に尽きる作品だったのである。

本作の第一の特徴は、上の「紹介文」にもあるとおり「すべてのセリフが歌われる」という点である。
私は、あまり「ミュージカル映画」は見ていないのだが、これまで見たいくつかの作品(例えば、内容的に本作の影響が色濃い、私の大好きな『ラ・ラ・ランド』)では、通常の会話はそのままのお芝居で、感情が高まるシーンなどで、登場人物たちが歌ったり踊ったりというものが多かったと思う。
ただ、何しろ「ミュージカル」には詳しくないから、「こういう作品もあるのか」と思いながら鑑賞したのだが、後で読んだWikipediaの説明にあったとおり、やはり、セリフまでぜんぶ歌うミュージカル作品というのは、めったにないようだ。

で、実際、この「すべてのセリフが歌われる」という形式には、いささか違和感があった。
「様式の統一」ということは、むしろ私の好みではあるのだけれども、やはり「ぜんぶ歌う」というのは、無理のある「様式の統一」だと感じられたのだ。

例えば、主人公ジュヌヴィエーヴの母が経営する雨傘店「シャルブールの雨傘」に、郵便配達夫が訪れて、郵便物をジュヌヴィエーヴの母に手渡す際の、「こんにちは奥さん、郵便です」「あら、ありがとう」のふた言で終わってしまうような、本筋とは関係のない「日常会話」までも、すべて「節をつけて、歌うように話す」。
当然、この部分だけで、ひとつの曲になっているわけではない。バックにBGMが流れているので、それに合わせるようにして「歌うように話す(喋る)」だけなのである。
つまり「歌う必要性などないシーン」までもすべて、歌うように喋るために、少々「無理矢理感」が出てしまうのだ。
そんなわけで、「ここは、普通に喋った方が良かったのでは?」と感じるシーンが少なくなかったのだが、まあ「形式の統一」ということだから、致し方なかったのではあろう。

(ジュヌヴィエーヴがギイとの夕方からのデートに出かけると話すと、母は「まだ早い」と止めるが、娘は聞かない)

だがまた、この形式には、明らかに問題があった。端的に言えば、セリフ表現における「制約」となっていたのだ。例えば「怒鳴れない」。
大雑把に言っても、「喜怒哀楽」の「喜哀楽」は無理なくやれても、「怒り」はやりにくい。「怒り」の芝居を歌いながらやられても、リアルな怒りを感じることはできす、あくまでも「怒っていますよ、というお芝居」でしかなくなるのである。

で、実際のところ、この作品には「怒り」を率直に表現したセリフはない。つまり、「怒鳴らせることができない」から、わかりやすく「怒らせる」のはやめて、それを「不快」とか「悲しみ」の感情にズラして表現したのではないかと疑われるのだ。
だが、だからこそ、感情表現がリアリティを欠き、結果として、説得力に欠けるシーンが少なくないのである。

そのあたりの説明をするためにも、ここで本作の「ストーリー」を結末まで紹介しておこう。
あらかじめ断っておくと、四部構成の本作は「戦争が、若い二人の運命を引き裂いた悲恋物語」である。したがって、ハッピーエンドではない。

『・第一部 旅立ち 1957年11月-
アルジェリア戦争ただ中のフランス。港町シェルブールに住む20歳の自動車整備工ギイと17歳のジュヌヴィエーヴは結婚を誓い合った恋人同士。ギイは病身の伯母エリーズと、ジュヌヴィエーヴはシェルブール雨傘店を営む母エムリ夫人と暮らしている。エムリ夫人は2人が若過ぎる事を理由に結婚に反対するが、2人は将来生まれて来る子供の名前(女の子だったらフランソワーズ)を考えたり、自分たちのガソリンスタンドを持つ夢を語り合ったりと、幸福な恋愛を謳歌していた。
そんなある日、エムリ夫人に莫大な額の納税通知書が届く。切羽詰まっていたエムリ夫人は、娘に説得され、大切なネックレスを売る決心をして、娘を連れて宝石店へ行った。店主との交渉はうまく進まなかったが、たまたま居合わせた宝石商ローラン・カサールが、その場でネックレスを購入してくれた。
やがてギイに召集令状が届き、アルジェリア戦争において2年間の兵役をつとめることになった。尽きる事無く別れを惜しむギイとジュヌヴィエーヴ。その夜、2人は結ばれた。ギイは幼馴染みのマドレーヌに伯母の世話を頼み、ジュヌヴィエーヴと永遠の愛を誓い合って、シェルブール駅で別れを告げ入営する。
・第二部 不在 1958年1月-
ある日、エムリ夫人は町でカサールと出会い、食事に招待する。妊娠していることを知ったジュヌヴィエーヴは、ギイからほとんど手紙が来ないことを不安に感じていた。ジュヌヴィエーヴが気分が悪いと休んだ後、エムリ夫人に引き止められたカサールは、ジュヌヴィエーヴに結婚を申し込むつもりだったことを打ち明ける。ジュヌヴィエーヴに出会い、カサールは失っていた人生の目標を見つけることができたのだった。決めるのは本人なので、押しつけないように頼み、カサールはまた旅に出る。
手紙で妊娠を知ったギイからは、2月に「男の子だったら名前はフランソワ」と喜びの返事が届く。だが、ギイを待ち続けていたジュヌヴィエーヴは、次第にカサールに心を開き、子どもを一緒に育てようという求婚を受け入れる。結婚からしばらくして、エムリ夫人も店を処分し、娘が住むパリへと移住する。
・第三部 帰還 1959年3月-
足を負傷し除隊となって帰郷したギイはシェルブール雨傘店を訪れるが、店は所有者が変わっていた。ジュヌヴィエーヴの結婚と移住を聞かされたギイは自暴自棄となり、復職した整備工場も些細なトラブルで退職して酒と娼婦に溺れる。朝帰りした彼を待っていたのは伯母エリーズの死の報せだった。ギイは出て行こうとするマドレーヌに「僕の力になってほしい。行かないでくれ。」と頼み、マドレーヌはとりあえず出て行くのをやめる。ギイは、マドレーヌに「仕事をしない今のあなたは大嫌い」と言われて一念発起し、伯母の遺産でガソリンスタンドを始めることに決めた。立ち直ったギイに、マドレーヌも心を開き、結婚する。
・エピローグ 1963年12月-
ある雪の夜、妻マドレーヌと息子フランソワがクリスマスの買い物に出ていった後、一台の車がギイのガソリンスタンドに給油に訪れる。運転席にはジュヌヴィエーヴが、助手席には3,4才くらいの女の子が乗っている。入営の日、シェルブール駅で別れて以来の再会だった。事務所で短く言葉を交わす2人。金持ちそうな毛皮のコートに身を包むジュヌヴィエーヴ。娘の名はフランソワーズだと告げ、「会ってみる?」とギイに聞くが、彼は無言で首を振り、互いの幸せを確認し合うと「給油が終わったようだ」と言う。ジュヌヴィエーヴの車が去って行くのと入れ替わりにマドレーヌとフランソワが帰ってくる。すると、ギイは気持ちを切り替え、2人の帰りを大はしゃぎで迎える。ガラス窓のカーテンが家族3人で幸せに楽しく過ごす様子を映し出す。』

(Wikipedia「シェルブールの雨傘」

この物語で、多くの人が引っかかるのは「ジュヌヴィエーヴの心変わり」である。

ギイに「召集令状」が届いたと聞いて、17歳という年齢相応なのか、いささか子供っぽいのか、ジュヌヴィエーヴはギイに「戦争になんか行かないで」「私があなたを匿ってあげるから」「(兵役期間の)2年も待つなんて出来ないわ」などと涙ながらに訴え、ギイから「そんなことは不可能だ。僕はいつでも君のことを忘れないから、君も僕のことを待っててくれるね。手紙を書くよ」というようなことを言って優しく宥め、最後は戦場へと旅立っていくのである。

(「行かないで」と、ギイに泣いてすがるジュヌヴィエーヴ)
(絵に描いたような別れのシーン)

で、そんな具合にギイに「ベタ惚れ」だったはずのジュヌヴィエーヴが、彼の子供を産み、育てているうちに、(戦時の通信事情によって)ギイとの手紙のやり取りがうまくいかないといったことがあるにせよ、そのうち「彼のことが遠い人に思えてきた」などと言い出して、そこへ母親から、誠実なカサールが結婚を求めていると知らされると、「彼(カサール)が誠実な人なら、私の妊娠を受け入れてくれるでしょうし、そうでないのなら、それまで。でも、もしも受け入れてくれたら、私はどうすればいいのだろう」などと迷い、結局はカサールと結婚してしまうのである。
一一そこで、少なくとも「現代日本人の多く」は、「2年くらい待ってやれよ。戦死の知らせがあったわけでもないのに。手紙のやりとりがうまくいかないことによる不安があったとしても、それくらいのことで、それはないだろう」という思いを禁じ得ないのだ。
「あれだけ、泣いてギイを困らせたくせに、なんて女だ」と、どうしてもそう思えてしまう。

もちろん、これはジュヌヴィエーヴの「若さゆえの未熟さ」ということもあるだろうし、「現実には、こんな人も少なからずいる」かも知れない。
だが、「恋愛映画のヒロイン」の行動としては、かなり説得力を欠いているのである。

たしかに「男が戦場から戻ってみると、結婚を誓い合った女は、すでに人妻となっていた」というのが、本作を「悲劇」にする中心的な要素なのだから、いずれにしろ、ジュヌヴィエーヴはカサールと結婚しなければならなかった。そうしないと「お話にならない」のだが、しかし問題は「もう少し、説得力のあるディテールを加えることはできなかったのか?」という点である。

しかし、事実としてそれが無いから、特に、戦争体験のない観客の場合「なんだよ、この女!」ということになってしまい、「戦争が、若い二人の運命を引き裂いた悲恋物語」の「悲劇性」が、その「そちら(悲劇)へ無理やり持っていった感」によって、減殺されてしまうのだ。
言い換えれば、今となっては「作劇的に難がある」ということになるのである。

で、なんでこんなことになってしまったのかと考えると、結局これは、すべてのセリフを「歌う」という形式で統一してしまったことの無理がそこに出た、ということなのではないだろうか(そして、「戦後まもないフランス」という特殊状況に、作り手が無意識に依存していた)。

たしかに、「喜び」や「悲しみ」の感情を表現するのに「ミュージカル」形式は向いているが、「怒り」の感情表現にはリアリティが無くなってしまうことからもわかるとおり、「繊細な感情の機微」や「細かい事情説明」ということには「歌うように喋る」という形式は、やはり不向きだったのである。
だから結局のところ、「感情表現」が「大味」になってしまい、結果として、「ジュヌヴィエーヴの心変わり」に説得力を持たせられなかったのではないだろうか。

ただし、この作品が、今もなお「ミュージカルの名作」として評価されるにいたったのは、すでに別々に結婚し、子供も持っていた「元恋人たちの再会するラストシーン」が、あまりにも「ドラマチック」に仕上がっており、人々の胸を締めつけたからであろう。
「運命に翻弄されて、結ばれることのなかった恋人たちは、その一夜の、刹那の再会を持って、本当の別れを告げる」という、いかにも絵になる「ある雪の一夜」のラストだ。

(クリスマス間近の、ある雪の夜の思いがけない再会。
ジュヌヴィエーヴは、すっかり住む世界の違う「お金持ちの奥様」になっていた)

だが、端的に言わせて貰えば、このラストが、ここまでの「名シーン」になりえたのは、ほとんど9割がたは、ミシェル・ルグランによる「主題曲」おかげである。このあまりにも「情感に訴える名曲」が、ラストに向かって、二人の再会と別れを盛り上げたから、本作を見る者は、この曲が盛り上げる(演出する)「情感の波」に、まんまと拐われてしまったのだと思う。
もちろん、BGMも含めて作品だというのはわかっているが、このラストに、この曲がかかっていなかったら、つまり「映像とお芝居」だけだったなら、見る者はここまで感動しなかったのは確実だし、また「別の曲」だったら、本作は、ここまでの「名作」にはならなかっただろう。
私たちがここで思い出すべきは、ある時期から「ムードを作るためのBGM」を拒否した、ストイックなロベール・ブレッソンの存在なのだ。

つまり、本作は、作品全体を通して見れば、「わりとよくある話」だし「ミュージカルとして、特に楽しいわけではない」し、「作劇的にも粗のある作品」なのだが、そうした「弱点」を、この「主題歌」が、最後の最後で、ぜんぶ押し流してしまったが故の「傑作」だと言えるのである。

したがって本作は、「ジャック・ドゥミ監督の傑作」と言うよりも、むしろ「ミッシャル・ルグランの、音楽的呪縛力を見せつけた傑作映画」と呼ぶほうが、正確な評価なのではないかと思う。

そしてまた、あえて野暮に、「人間工学」的に言わせてもらうならば、人間の「感情」とは、「音楽」によって、斯くも容易く揺さぶられるものであり、影響を受けるものだという事実を、本作は異論の余地なく実証してみせた作品だとも言えるだろう。
「理屈」ではない「音楽」の素晴らしさも、そして、その「恐さ」さえも、本作は、それを実証してあまりある作品だったのである。

(ギイ夫婦が営むガソリンスタンドの俯瞰引きで、物語は幕を閉じる)



(2024年7月1日)

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