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ロラン・バルト 『エクリチュールの零度』 : 〈わからない〉のは誰のせい?

書評:ロラン・バルト『エクリチュールの零度』(ちくま学芸文庫)

若い頃に「フランス現代思想」のブームがあって、ロラン・バルトも、そうしたスターのひとりであった。当時の私は、文学を中心としたたんなる読書好きであり、思想とか現代思想といったものにはまったく無知だったのだが、いわゆる「文芸評論」を読んでいても、そうした思想家の名前が時おり登場して、彼らの理論が援用されたりしていたので、「なにやら難しそうだが、やっぱり、ひととおりは目を通しておくべきだろう」と思い、書店でその種の本を手に取って開いてみた。一一当然のことながら、まったくチンプンカンプンだった。

それで、現代思想の入門書をいくらか読んでみたが、やはり難しい。なんとなく雰囲気だけは掴むことができたものの、理解できたかと言えば、できなかったと言う方が正確であろうし、正直なところであろう。

もちろん、現代思想家と言っても人それぞれで、比較的読みやすい人もいれば、まったく読めない人もいる。そうした違いは、「思想」であれ「文学」であれ、人それぞれの考え方に由来する表現形式の違いもあるから、単純にどっちが正しいということではなかろう。私が面白いと思う小説でも、その魅力がまったくわからない人もいる。例えば、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』なんかがその典型的な例だけれども、それとは逆に、私が退屈きわまりないと感じる作品が、世界文学として多くの人に絶賛され愛されている場合もある。例えば、プルーストの『失われた時を求めて』などがそうだ。あれは大変しんどかったし、まったく頭に入ってこなかった。味わう以前の問題だった。

一一つまり、たぶんこれは「現代思想」だって同じことで、作品の善し悪し以前に、作家の思想や感性、それに由来する表現形式において「合う・合わない」があり、比較的「わかりやすい・わかりにくい」ということはあっても、それがそのまま「作品の良し悪し」ではないと、そう考えることはできたのである。

そして、ロラン・バルトも、当時、まったく読めない作家であった。どの著作かは忘れたが、開いた途端に「これは無理だ」と閉じてしまった。そして「もっと勉強してから読もう」と考えたのである。たぶん、合わないところもあるのだろうが、小説ではないのだから、合う合わないだけではなく、合わないなりに、いずれはそれなりに理解できるようになりたいと思ったのだ。

そして、今回、ロラン・バルトやミッシャル・フーコーなどが登場する、フランスの現代作家ローラン・ビネによるフィクション『言語の七番目の機能』を読んだ機会に、ロラン・バルトに初挑戦してみた。

で、結果はどうであった。
一一やっぱり、わからなかった。やはり、ロラン・バルトは難しかった。

私は「ちくま学芸文庫」版を読んだのだが、さっぱりわからない。
まあ、これは読みはじめてすぐに気づいたことで、わからないなりに通読したのだが、やっぱりバルトは難しかった。これなら、同じ難解なバルトでも、カール・バルトの方が私にはわかりやすかった。

「こういうのを、理解できる人がいるんだよなあ」と思いながら、Amazonのレビュー欄をチェックしてみた(「ちくま学芸文庫」「みすず書房版旧版」「同新版」)。
やっぱり、怒っている人が何人かいた。こんなもんわかるわけねえだろという調子で激怒している。その一方、わからなかったが、まあしかたがないという感じの、私に近い立場のレビュアーもいたし、ポーズではなく、どう見ても完全に理解しているらしいレビュアーも数名いた。調べてみると、そういう人は現代思想の本を読みなれている人のようだ。もしかすると、大学などでそっち方面を勉強した人なのかもしれない。

ともあれ、わからないのは、バルトのせいではなく、単に読者である私の力量不足であろうと了解できた。そもそも、現代思想の本をさほど読んでいるわけでもなく、基礎的な知識もない門外漢の私には、バルトは難しすぎたということなのであろう。

バルトはわからない。少なくとも現時点ではわからないし、それなりに歳をとってしまった私では、死ぬまでわからないだろうと思う。なにしろ、現代思想の本を専門的に読もうという気は、昔も今もこの先も無いのだか、生きているうちに理解できるようになるには、すでに時間切れなのだろうと思う。まことに残念だ。

だが、私は万能ではないのだし、ここでまた一つ、私の限界を確認できたのは、必ずしも悪いことではないだろう。こうして、私は私の限界を確認しながら、私の輪郭を拡張しつつも確定していくのだ。

わからないことが恥なのではない。そもそも、すべてがわかる人などいないのだ。
だが、自分のこと(自分の輪郭)がわからないで、頓珍漢な八つ当たりをするのはみっともない。だから、この読書は無駄ではなかったと思う。

ちなみに、あるレビューによると、本書はバルトの中でも、最も取っつきにくい作品だという。
ならば、もう何冊かは食らいついてみようと思うし、すでに何冊かは買ってある。
なんだかんだ言っても、やはり爪痕くらいは残してやりたいのだ。

初出:2020年11月16日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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