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【ショート集】草原と枕

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ショート小説集第一編
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#小説

【ショート小説】真夜中だから真っ暗

【ショート小説】真夜中だから真っ暗

「どうすればいいのか。」
頭を抱えたまま深刻そうな顔を机に下げながら、親父は聞こえるようにそう言った。僕にはそれが心からの言葉ではない事がすぐに分かり、聞こえないふりをした。親父は何も言わずに立ち上がると、冷蔵庫から瓶ビールと冷やしたグラスを取り出して縁側に座り込み、晩酌を始めようとしている。
「どうすんだよ。」
「もう引退だ。工房はお前にやる。好きにせんか。」
と言うと再び口にビールを運んだ。

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【ショート小説】ジャックナイフとレモン

【ショート小説】ジャックナイフとレモン

「私、紅茶しか飲みませんの」
目の前に座る女は、どこか遠くを澄ました目で見つめていた。薄く肌触りの良さそうな生地に薄いスイートピーの柄が控えめに浮かぶワンピースは、春風に靡きながらひらひらと揺れている。
僕は無言で席を立つと、女の髪を鷲掴みにした。豆腐のように軽い頭を持ち上げると、全力を込めて頬を平手打ちした。困惑した顔の女に構う事なく、掴んだ髪の毛を引っ張りながら、近くにある自動販売機まで行くと

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【ショート小説】クラシックなブルー

【ショート小説】クラシックなブルー

遠くの方から犬の鳴く声が聞こえてきた。甲高い悲鳴のような声は、我が家の犬では無い事だけがはっきりとしていて、どこまでも広がる青空に木霊すら残さず、しきりにキャンキャンと響いていた。
僕は誰も行き交うことのない、田園の端の方に打ち捨てられたガードレールに寄りかかりながら、ジュースを口に含んでいた。ガードレールの柱部に置かれたHI-Cには溢れ出る水分を垂らしたオレンジが嘘のような生命力を醸し出し、秋口

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【ショート小説】マロンスの神様

【ショート小説】マロンスの神様

カランとベルがソプラノを打ち鳴らす。
僅かばかり覗きガラスの貼られた木製の扉が、ゆっくりと開かれるとそこには、茹だるような外の暑さに顔を顰めながら、二人の女性が立っていた。二人は店内の冷房に吸い寄せられるように、するすると中に入ると少しばかり店内を見渡し品定めをしている。
「いらっしゃいませ。二名様ですか。」
私が、涼しげな笑顔を作りいつもの言葉を投げかけると
「あぁ二人です。ここってタバコ吸えま

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【ショート小説】僕の両肩の黒い星がそのまま

【ショート小説】僕の両肩の黒い星がそのまま

「子供には、まだわかりません。絶対にです。」
深い皺を刻んだほうれい線の内側から、祖母は普段より低く冷たい言葉を吐き出した。何よりも、いつも優しい祖母の、厳しく凍てついた顔と空気が私にはショックであった。何が起きたのかも分からず、台所へと歩いていった祖母の背中をいつまでも呆然と眺めていた。
いつの頃であろうか、聞いた事の無い肩書きを持つ若者達は、万人に向けて自分の主張を叫ぶ時代になっていた。そんな

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【ショート小説】この悲しみをどうすりゃいいの

【ショート小説】この悲しみをどうすりゃいいの

列島に大きな爪痕を残した台風が死んで、はや2日が経った。死骸の低気圧は、体液のように雨を降らせ辺りは生温い湿度に包まれていた。窓からその雫を眺めながら、僕は散乱した頭を何とか整理しようとして、頭の中の毛糸を更に絡ませていた。何だかわからないけど、いらいらする。霞がかった意識に、もやついた毛糸の綻びが巻き込まれて、曇天の空模様と同じくその色を濃くしている。僕は、いつもの癖でスマホの画面を鮮やかにさせ

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【ショート小説】まじか、これ泣く感じだわ

【ショート小説】まじか、これ泣く感じだわ

しっとりとした雨がベランダを濡らす。
梅雨時期の空気が揺らめく煙を少し窮屈にしている様だ。甘くしたコーヒーはほんの一瞬だけ意識を鮮明にさせて、すぐにその残り香を消した。

携帯の時計を見ると午前6時丁度であった。
隣の部屋からは、大人しく謙虚な電子目覚ましの音が微かに聞こえてきた。
ふと携帯のニュースに目を落とすとトレンドが目に飛び込んできた。
どうやら、ランキングの1位は、昨夜亡くなった有名人の

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【ショート小説】ココロポツリ

【ショート小説】ココロポツリ

いつだか読んだ本に、他人の心の声が聞こえる主人公の物語があった事を今も鮮明に覚えている。
“さとり”と呼ばれるその能力のせいで、さまざまな挫折を味わいながら苦悩する主人公。それでも、理解者との出会いで、まるで奇跡のような困難を乗り越えていく、ヒューマンストーリー。僕はそれが羨ましくてたまらなかった。そう、僕は”さとれず”。
僕がこの能力にはっきりと気づいたのは、中学二年の頃。当時の僕は来年の受験を

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【ショート小説】ニュー・ヨイトマケノウタ

【ショート小説】ニュー・ヨイトマケノウタ

(もうどうでも良くなった。)
そう思うと講義中の大学を飛び出して、そのまま電車へ飛び乗った。
昼間の車両は人も少なく、向かいに広がる大きな窓からは、夏を間近に控えた空が子供のような雲を抱えていた。
(思えば何ともなかった人生だったわ。)
実家は都内にほど近い千葉のマンション。父はサラリーマンで、それなりの生活を送れる位の稼ぎ。母はパートで猫の保護活動に情熱を注いでいた。そんなありふれた家庭で何も不

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【ショート小説】壊れかけたおとぎの国で

【ショート小説】壊れかけたおとぎの国で

神様は笑った。
僕もつられて笑った。

ここは、神様達の住まう緑の豊かな世界。
ある日、緑の奥深くにある泉で、水面より人間世界を除き込んでいた一人の神様が、その下界の燦々たる様子に心を痛めておりました。暴力、略奪、嫉妬、破壊。穏やかに澄み切った泉には、頭髪を掴まれ引き摺り回される女と泣きじゃくりながらそれに縋りつく子供が大きく映り込み、神様も目を逸らさずにはいられません。何故、この様な事に。神様は

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【ショート小説】あなたからの投票一つ

【ショート小説】あなたからの投票一つ

「麻婆春雨だ。」
そう言うと、会議室は静まり返った。
皆、一様に俯いて顔面に広がる不安を悟られない様にしている。
会議は開始12分後に発せられた自分の一言で終わりを告げた。
「あの、大丈夫ですかね。」
「知らんが、大丈夫だ。麻婆春雨だ。」
会議室のモニターには、次の雑誌に掲載するトレンド特集の草案が無惨に映し出されていた。
タピオカに続け!そう名を打った資料には、目も眩むような、淡い色のスイーツ達

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【ショート小説】脱ぎ散らかしてよ感情

【ショート小説】脱ぎ散らかしてよ感情

五人の女どもがおりました。
それぞれが、赤、青、黄、緑、サンドベージュのリボンを身につけております。
「私達、特殊歌撃フォース、オフェーリア!」
夏休みの体育館には、天地を揺るがす程の雄叫びが、木霊を包括しながら広がって、やがて消えていきます。
「何をやっとるんだ。」
頭頂部を体育館のライトに輝かせた教頭は、メタルフレームの眼鏡を少しばかり斜めにさせて、天空より壇上に降り立った女どもを棒立ちのまま

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【ショート小説】それはなんて青春

【ショート小説】それはなんて青春

仕事中、パソコンの画面に齧り付いていると
どうゆう訳か涙が流れそうになった。
理由はわからない、きっかけも何も無かった。
只、不意に小学校時代を思い出していた。
クーラーの効いたオフィスは大勢の人が忙しなく、時には楽しげで時にはもがき苦しむように社会を回していた。

もう、薄ぼんやりとなった記憶を弄ると、色々な思い出があるような気がした。記憶のおもちゃ箱の奥底に、一人の女の子が透明な箱に入れられて

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