見出し画像

【ショート小説】マロンスの神様

カランとベルがソプラノを打ち鳴らす。
僅かばかり覗きガラスの貼られた木製の扉が、ゆっくりと開かれるとそこには、茹だるような外の暑さに顔を顰めながら、二人の女性が立っていた。二人は店内の冷房に吸い寄せられるように、するすると中に入ると少しばかり店内を見渡し品定めをしている。
「いらっしゃいませ。二名様ですか。」
私が、涼しげな笑顔を作りいつもの言葉を投げかけると
「あぁ二人です。ここってタバコ吸えます。」
先に立つ女性は30代程であろうか、数ヶ月前に染めたような茶色の髪にはところどころ枝毛が伸びて、南国の大地のように乾燥しているのがわかった。
「全席、喫煙可能でございます。」
私は、したり顔を隠すように何故か聖母のような優しい微笑みを浮かべた。
(喫煙者よ安心なさい。)
後ろに待つ女性は10代程で、店に入るなりスマホをいじったまま、こちらに目を向けようともしなかった。二人は店内を横断し、奥の窓際のテーブルに着くとふぅと外気熱を放出し、心臓のエンジンをニュートラルに入れるように力を抜いた。茶髪の女は早速、ブラウンレザーのバッグを真探りタバコに火を付けると一気に煙と疲労を吐き出して、光悦の表情を化粧で隠していた。背面に飾られているホワイトアルバムのレコードがまたタバコの煙を浴びて、茶色く濁っているようである。
製氷機から氷を掬い出して、カランの水を鉄のカップに注ぎ、件の席へ運ぶと早速
「あぁすいません。アイスコーヒー1つとあんた何にすんの?」
「メロンソーダ下さい。」
(ありがとうございます。オーダーです。若い女がこちらを見る事もしないのはこの際置いておこう。)
「かしこまりました。アイスコーヒーとメロンソーダですね。少々お待ちください。」
私は一礼してカウンター内に戻った。
冷蔵庫から取り出したブルーマウンテンのボトルを開け、出来合いのアイスコーヒーを氷の入ったグラスに注ぐと直ぐにグラスの表面に新しい水滴が浮かび上がった。一瞬、ふらつきながら後ろを振り向き冷蔵庫からソーダ水とシロップを取り出して、瓢箪型のグラスに流し込んだ。どうやら、最近の過労が体に来ているようだ。緑の成分はグラスの中でぐるぐると回ってうねりを描いていた。
(色は大体こんなものであろうか。)
「あんた、あたしに言う事あるでしょ。」
ドスの効いた茶髪の声が誰もいない店内に響くと一瞬の静けさが広がった。
(おー怖。どすこいどすこい。)
少女ははっきりとそれでいて抑揚を意識的に抑えたまま、静寂を引き裂くように
「もう、決めた事なんで。辞めます。それは変わりません。」
「あんたねぇ、ちょっと嫌なことがある位でそんな簡単に仕事辞めますなんて、世の中舐めてるよ。そんなんじゃ、ソロも続く訳ないじゃない。」
茶髪は整えたであろうはずの髪を掻きむしりながら、大きなため息を空中に吐き出すと、少しばかり燃焼したタバコの灰を床に落としている事にも気づいていなかった。
(何か知らんが、正論っぽいぞ茶髪。あと灰落とすな。)
私は、タバコと同じく時を経て少し薄くなったメロンソーダに目をやると、そそくさと冷凍庫から取り出したバニラアイスを一掬い乗せて、その脇に凍ったままのチェリーを添えた。解凍するのが面倒だからではなく、この喫茶店拘りのトッピングであった。
「舐めてても、どうでもいいです。あたし、歌が好きでアイドルになったんで、握手会メインのライブなんて、もう出来ません。」
少女はスマホを置くと、真っ直ぐに茶髪の顔を見据えて言い放った。茶髪はどこか虚空を眺めながら、自分を落ち着かせるようにタバコを肺に吸い込んで大きく吐き出す。宙を舞う煙には、多分にため息が混じり混んでいた。
「そう言っても、こっちだって遊びでやってんじゃないんだから、そうですかって簡単にはならないわよ。」
茶髪は芯のぶれない少女の目線に気圧され、再びタバコを口に運んでいた。
(わかるような、わからん理論を言い出したな。)
「私、辞めます。これだけは変わりません。絶対に。」
「だから、あんたのわがままだけじゃ、ダメだって言ってるでしょ。」
コトンとテーブルに木製コースターが軽やかな音を立てた。水滴がその粒を崩して、爽やかなアイスコーヒーのグラスを湿らせている。私は、反対側にザクザクとした氷の張り付いたチェリーが美しいメロンソーダを置いた。二人は張り上げていた応酬を辞めて、したのかしていないのか分からない程度の会釈を各々グラス向かってしていた。
「こちら本日のデザート、マロングラッセでございます。」
私は、テーブル中央に小さな皿に盛られたデザートと小さなフォークを二つ置くと
「ごゆっくりどうぞ」
決め台詞を言ってカウンターへ戻った。一時休戦した二人は各々のドリンクを流し込んで、喉の渇きを潤している。茶髪は3本目のタバコに火をつけながら、少女はスマホを人差し指で弾きながら、ゆったりとした時間はグラスの色が砂時計のように空になるまで続いていった。ふぅと茶髪が息を吹き出す。
(ここに来てから、吐き出しっぱなしだな)
私が、件のテーブルを覗き込むのをやめ、シンクの調理器具を洗っていると、
「何?これ‼︎まっずー!」
と押し殺したような茶髪の声が微かに聞こえてきた。テーブルを覗くとあれ程険悪であった空気がほんの少し柔らかくなり、二人は笑顔を浮かべていた。
「ヤバい‼︎これヤバい‼︎」
「酸っぱいマロンって何よこれ‼︎ビックリしたー。」
笑顔で目をくばせながらヒソヒソと話をしている二人を見て、急いで冷蔵庫から昨日苦心の末に完成した特性のマロングラッセを取り出した。5日間丹精を込めて煮詰めた栗に海外からわざわざ取り寄せたブランデーを使った一品。不味い訳がない。私は、一粒マロンを取り出し口に放り込む。
しっかりと甘みの染み込んだマロンの香りが鼻を抜ける、
かと思いきや強烈な刺激的香りが鼻をつんざき、口内の唾液全てを搾り出すほどの酸味が広がった。その後もの凄く遅れて、申し訳程度の甘みが最後の線香花火のようにポトリと落ちて、すぐに消えた。
あまりの衝撃に悶えている私の傍には、隠し味として使用したボトルが燦然と輝き”COGNAC X.O”の名を轟かせていた。どうやら過労のピークは昨日既にやってきていたようである。
「ハハッ。ほんと何これ。」
「衝撃。(的に不味い)」
二人はふぅと息を天井に向かって吹き出すと強張っていた肩の力を抜いて、子牛のレザーソファに溶けるようにだらけた。
「あんたの気持ちはわかったわよ。」
茶髪が天井へ言葉を吐き出す。少女は柔らかな微笑みの中に何故だかキラリと光るものを浮かべていた。
「お世話になりました。」
天使の微笑みを見て、茶髪は再び天井を見るとアイラインの端から少女と同じ光るものを薄く浮かべていた。私は、酸味の嵐に吹かれながら明日は臨時休業にしようと決めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?