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【ショート小説】それはなんて青春

仕事中、パソコンの画面に齧り付いていると
どうゆう訳か涙が流れそうになった。
理由はわからない、きっかけも何も無かった。
只、不意に小学校時代を思い出していた。
クーラーの効いたオフィスは大勢の人が忙しなく、時には楽しげで時にはもがき苦しむように社会を回していた。

もう、薄ぼんやりとなった記憶を弄ると、色々な思い出があるような気がした。記憶のおもちゃ箱の奥底に、一人の女の子が透明な箱に入れられていた。壊さないようにゆっくりとその箱を両手で掬い上げる。
その箱に、紐付くように記憶の風景が様々な色を取り戻した。

田を突っ切るような川は、自然と辺りの区画整理をして、黒く濁った水に僅かな生態系を隠している。時折、ぽちゃりと水が跳ねる音がどこかから聞こえる。鮒か、もしくは雷魚かもしれない。濁った川は流れる様子もなく、只過去の波紋をほんの少し残していた。どこから来たのかも分からない巨大な木が水面から突き出し、その先には悠然と、亀が甲羅を干しながら連なってこちらを眺めている。退屈な田舎町だった。田を抜けて車道を少し歩くと異常に暗いコンビニが一軒、営業しているのかわからないようにある。中高時代によく、エッチな本を買っていた店だ。いつも店にいる婆さんは白髪とグレーがかった髪が混じり合って、適当に後ろにまとめていた。客の顔は当然見ることもなくレジを打っては、常備してある椅子に腰をかける。何も特別でなかった只流れる日々。
女の子とは、小学校の同級生だった。
親の仕事の都合で、学区から少し離れた保育園に預けられていた、同じ小学校に通うのは、自分以外に女の子が一人だけだった。
前も後ろも、景色も時間も人も全部見たことが無いものだった。その中で、自分の机の列の一番前に日に焼けた浅黒い健康的な肌に、肩ほどまでのショートカットの女の子が座っていた。自分はずっとその子を見ていた。たまにその子が後ろを振り向くと、悟られないようにすぐさま教室の壁に貼られている、スローガンのようなものに目を逸らす。その子は、いわゆるクラスのマドンナで、男子は皆素知らぬ振りをしながらも数秒置きに目で追っているような気がした。

そうやって確か中学までは、同じ学校に通っていた。何がある訳でもない日常の毎日で只、色褪せる事の無い憧れだけが、悶々と思春期の心に溜まり込んでいた。日々はカレンダーの刻みより遥かに長く、それでも卒業の日はやってくる。薄く日のさす教室で、目を湿らせた彼女はクラスメイトと笑顔で談笑して、変わらない浅黒い肌を輝かせていた。見慣れた制服は、胸に僅かばかり桃色の花が飾りつけ、もう会う事もない自分に軽く会釈をした様な気がした。何も言えなかった。いつもの帰り路を自転車に乗りながら、空を見上げて、そう思った。告白なんて大それた事はもちろんのこと、さよならもありがとうも何も言えなかった。三月の空が嫌に澄みきって、未だ冷気をふんだんに帯びた空気を一層透明にさせていた。特に涙は流れなかった。只、終わりの焦燥感だけが青空の色に照り付けられ、アイスのように溶けていった。

その後も人生は否応無く進み、何となく進学を繰り返し、何となく就職した。仕事は過酷を極め、帰宅は日付変更線を跨ぐ毎日だった。朝は薄暗い中で起床し、大量の冷水で無理矢理意識をこじ開けると、その勢いを借りたまま駅へと向かう。朝ごはんはもう何年も摂っていなかった。昼はコンビニ弁当をデスクで食べ、僅かばかりの睡眠をとり、午後に備える。終電に飛び乗ると、酒の匂いのする車内で只ひたすら瞑想する。最寄りの駅から自宅まで、コンビニに寄って晩飯を買って帰る毎日。
カレンダーのスピードはどんどん加速度を上げて、気付いた時には既に自分を置き去りにしていた。

昨夜も例に漏れずそんなルーティーンであった。何とか終電に駆け込み、自宅の最寄駅を降りてコンビニへ向かった。毎日通る道は、既に自宅の庭の感覚だった。改装したばかりの、嫌に明るいコンビニネオンを潜ると、いつものこじんまりとした店内が広がる。何の気無しに雑誌コーナーのラインナップを眺めながら、奥へと足を進めた時ふと、足を止めた。
成人雑誌の表紙から、肌を露わにした彼女が、満面の笑みでこちらへ微笑んでいた。

ありがとう、さよなら

自分は雑誌を手に取ると、晩飯と一緒にカゴに放り込んだ。

これから宜しく。

涙は流れる事なく、オフィスのクーラーに乾かされて、空気に消えていった。

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