見出し画像

【ショート小説】あなたからの投票一つ

「麻婆春雨だ。」
そう言うと、会議室は静まり返った。
皆、一様に俯いて顔面に広がる不安を悟られない様にしている。
会議は開始12分後に発せられた自分の一言で終わりを告げた。
「あの、大丈夫ですかね。」
「知らんが、大丈夫だ。麻婆春雨だ。」
会議室のモニターには、次の雑誌に掲載するトレンド特集の草案が無惨に映し出されていた。
タピオカに続け!そう名を打った資料には、目も眩むような、淡い色のスイーツ達が、バッチリカメラ目線の女達に食われようとする写真が並んでいた。
自分は、昨日夜に食べたコンビニの麻婆春雨が思いの外、美味かった事を思い出していた。今日も晩飯はあれにするか。

数日後、件の雑誌が発売されるやいなや、SNS上では、カラフルな背景をバックに麻婆春雨と若さを最高値に加工した男女の画像が溢れかえっていた。#よい日麻婆春雨 のスローガンのもと、若者のステータスに麻婆春雨が入り込んだ歴史的瞬間であった。
ニュースに流れる麻婆春雨の流行を眺めながら
自分は、既に麻婆春雨に関しては食べ過ぎて飽きていた。街には麻婆春雨の専門店が乱立し、自らが行った事とはいえ、少しばかり恨めしくなった。

幼い頃から、不思議な事があった。初めは小学校の二年、九月から始まる新学期準備の為にたまたま出向いた、ショッピングモールで買ったサイコロの様に遊べるデザインがプリントされた鉛筆を教室へ持っていった時だった。物珍しいその鉛筆に自分の席には人だかりが出来上がっていた。ムーブメントは、感染力を高めてクラスから、別学年、他の小学校、全国の小学校と一気に勢力を広げていった。どこかの地域では、学校で禁止令が出来ている噂さえ聞こえてきた。やがて全国の小学生を虜にした時、自分は天下統一を成し遂げた気分になっていた。件の鉛筆は既に他の誰かにあげていた。この現象は学年を重ねてもたびたび起こっていた。
小学校の高学年の時はたまたま見かけて購入した、嫌に回転するヨーヨー、中学時代には、夜になると勝手に電気がつく自転車や意味は分からないが、とにかく見た目がカッコいい紫色のロボットアニメ。高校時代は、これまた理解出来ない英歌詞の日本人バンドや海賊が何やらドンぱちやっている漫画等々、自分が興味を持ったものはことごとく、周りに伝染してある種のウイルスの如く、同年代を虜にしていた。

ゴールデンウィーク開けだと言うのに蒸し返したうだる暑さから逃げ込む様に出版社のビルに入ると、必要以上の冷気が熱った体をひんやりと包む。編集部のある7階までのエレベーターがノンストップで上昇すると、自分はとても良い気分になった。デスクに座り、パソコンの画面を開くと、会議の予定を通知する間抜けな音が微かに鳴った。明日の午後14時から、次の雑誌の特集を決める会議が入っていた。題目は(この夏のおすすめレジャー特集)であった。自分はパソコンを閉じて、それと合わせる様に瞼も閉じた。脳内では、連休最終日に見た、ギャンブル映画の映像が流れていた。いやぁ、やけに面白かったなあの映画。

「パチンコです。」
会議室は年明け頃に感じた、どんよりとした空気に包まれていた。上司達は各々顔を見合いながら、その決断を相手になすりつけたいオーラを全力で戦わせている。ヒットメーカーとしての自分を全社員が周知しているが故に、毎度この鍔迫り合いが会議室では繰り広げられていた。
「いやぁ、でもレジャーだよ。流石にねぇ。」
「パチンコです。」
会議室を後にすると、あのギャンブル映画の主人公が自分の脳内で、独特な歓喜の雄叫びをあげていた。
今日は、焼き鳥でも食うかな。キンキンに冷えたビールでも飲みながら。
そう思う自分の背後に、ゴールデンウィークのリフレッシュした綺麗な顔を蒼白にさせたメンバーが暫く椅子から立ち上がれなくなっていた。

しっとりとした雨が上がりかける頃、
ネットの動画サイトでは、無限にも思える程のパチンコ動画がアップされていた。
人気の動画チャンネルから果ては、アイドルの公式チャンネル、勝ち馬に乗りたい個人配信者まで、皆一様に爆音のフィーバー音をBGMにして、パチンコを狂った様に打ち続けていた。
パチンコ店では、連日入場制限をかけ、託児スペースやフードコートを併設する店など、暴走に近い進化を続けた。パチンコ店に入れない若者達はお金を出し合って台を購入し、パチンコ部を立ち上げる程であった。自分は盛り上がる世間のパチンコ熱を尻目に、人生で一度も入った事のないパチンコ屋を素通りしていた。

秋口になり自分は例の一件で懇意にしてもらった大手パチンコチェーンの会長より多額の援助を貰い、フリーの会社を立ち上げていた。一人だけの小さな会社であったが、以前の出版社でも、誰とも会話をしない事がほとんどであった為、孤独などは気にはならなかった。というか、今まで会話が成立する事が無く、会話を諦めていた。誰も自分の考えに到達出来ないのである。
その後も、自分は稀代のカルチャー創始者として、その爆腕を振るい続けた。言葉を話す(ように聞こえる)猫、南フランス発祥の謎のジャンピングダンス、鉄火巻き、果ては将棋のできる流れるプールまで正気の沙汰とは思えないムーブメントは、ことごとく一時代を築いていった。

街を歩くと、流れるような文字で「wonder swan」と書かれた看板が乱立している。つい最近、自分が特集を監修したレトロ携帯ゲームの店であった。先日までここは、塩味プリンの店であったはずだった。その前は割れない風船屋、その前は・・・ふと、朝日のさしたレトロゲーム屋の窓ガラスから反射した新しい太陽の光が目に差し込んできた。ガラスに写る男はこけた頬に所々白髪を混ぜ、窪んだ眼球を縁取る様に鮮やかな隈が浮き出ている。自分は一体なぜこうなってしまったのか。増殖しては消え又産まれて消えていく時の流れに、すっかり自分は打ちのめされ、満たされない心は虚無の海に打ち捨てられたようであった。
ポケットでは、携帯が次のトレンドをせがむ様にブルブルと自分を揺すっていた。
そうだ、逃げ無ければ。全てを捨てて。自分はそう閃くと居ても立っても居られず、タクシーに乗りつけた。

空港を出て、地元のバスに乗る。午前中まで東京にいた事が嘘のように思えた。バスは緑を抜けて、澄み渡る青い海を臨んでいた。ここは、瀬戸内の海だった。バスを降りて地元の漁師を捕まえると、ポケットから取り出した五万を剥き出しのまま渡した。
「本当に迎えはいいんだな」
自分は頷くと、漁を終えた船に乗り込み、行ける限り遠くの無人島へ向かった。オレンジを焦がしたような夕日は自分の姿を写さず、只長い影を伸ばすだけだった。

島に着くと、熱気を充分に含んだ砂浜に座り込んだ。思えば遠くへ来たものだ。ポケットには、過去の栄光を多分に誇る、上等な革財布とスマートフォン、自宅のカードキーが居場所を失い虚しく存在しているだけである。夕暮れ時を越えた、夜の海を目の前にし只じっと水平線を眺めていた。無数の星の煌めきと、大きな月の輝きが、うっすらと影を作り、地球と自分を分けている。規則的に聞こえる波の音に混じって、時々どこかの虫が仲間を探すようにリリィと鳴いて、又静かになった。月の明かりは柔らかく、砂のベッドは昼間の温もりを保ちながら自分を優しく包み込んでいる。
緩やかな毒が周る様に深い眠りへと落ちていった。このままずっとこうしていたい。
刺す様な日差しが瞼を貫通して、眼球を刺した。刺された痛みに耐えきれず、自分は瞼を開けた。太陽は優しい月と入れ替わり、無神経な陽気さを振り翳していた。どうやら、すっかり夜は開けている様だった。
スマートフォンのボタンをタップしてみた。
6時45分、電池残量75%
どうやら9時間近く眠っていた様だ。
爽やかな潮風が自分の首筋を撫でると、髪を揺らして又消えていった。昨日は素晴らしい日だった。そう思うと、今日も又熱を含み始めた砂を踏みしめて立ち上がって、波打ち際へと歩く。少しばかり、ざらついた海の水はひんやりと足を冷やして、大きな海原へ帰っていく。水平線の近くには、見た事があるのか無いのかもわからない海鳥が、大きな翼を広げて空を漂っている。幸せな世界だった。
しばらく海を眺めていると遥か向こうから、粒の様なものが段々とその輪郭をはっきりとさせながら、こちらへ向かって来ているのが見えた。
見覚えのある船体には、大きく永凛丸と描かれているのがわかった。あの漁師め、迎えはいらないと言ったはずなのに。自分は浜近くに停船した、汚い漁船を睨みつけていた。
すると、件の漁師とは別の若い男が漁船から降りて来た。男は漁師に一言声をかけると、永凛丸はすぐに踵を返して、水平線へ向かっていく。自分には、状況がいまいち飲み込めない。漁師は迎えに来たのでは無いのか。自分はそう結論付けると、もう一つの異変へ歩み寄った。
砂浜に降り立った男は大きなバックパックを背負い込んで、屈託のない笑顔でこちらを見つめた。
「どうも、初めまして。いやぁまさか先客がいるとは思いませんでしたよ。」
男は細くて綺麗な右手を差し出して、自分の右手を握った。
「私も無人島のスローライフってやつに興味がありまして、決心して来たんですよ。島の生活なんかもSNSとかで発信しようと思って。」
自分は太陽に熱せられた頭頂部から、一気に血の気が引いて、足元の砂に生気を吸い取られていく感覚に襲われた。
「まぁ、僕は反対側のビーチにいますんで、よかったら遊びに来て下さい。」
そう言うと男は草地を掻き分けて奥へ入り込んで、やがて見えなくなった。
よく海を見てみると、漁の時間はとっくに終わっていると言うのに、所々個人漁船と思しき船が、瀬戸の島々へ向かっていた。

日が天高く昇り、重力に引かれる様に落ちて、水平線へ沈んでいった。昨日と同じ、薄闇の砂浜は、手招きをするように、寄せては返し自然の時を刻んでいる。自分は一日座り込んでいた砂浜を後にし、ゆっくりと海に近づいていった。足は自然と波の音に同調して、軽やかなステップを踏んでいる。気持ちばかりジャンプした後には大きなえぐれが、砂浜についてすぐに見えなくなった。寄せてツーステップ、返して
ジャンプ。寄せて回って、返してすり足。
足元の温度から段々と冷たく下がっていき、やがて全身の温度が海と同じになる。月の輝きも星の煌めきも、地球と自分を分けることは出来なくなった。

数週間後、島には多くの人が各々望むスローライフを思い描いてやって来ていた。
近くの漁師の船には、エアコンが完備され、例の漁港近くにはコンビニが立ち並んだ。
旅行会社は、無人島スローライフツアーを組み、でっぷりと太った漁師と握手をしていた。

只、不思議な事に島で自殺をする人は一人もいなかった。
それは、月と星だけが知っている事実だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?