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【ショート小説】まじか、これ泣く感じだわ

しっとりとした雨がベランダを濡らす。
梅雨時期の空気が揺らめく煙を少し窮屈にしている様だ。甘くしたコーヒーはほんの一瞬だけ意識を鮮明にさせて、すぐにその残り香を消した。

携帯の時計を見ると午前6時丁度であった。
隣の部屋からは、大人しく謙虚な電子目覚ましの音が微かに聞こえてきた。
ふと携帯のニュースに目を落とすとトレンドが目に飛び込んできた。
どうやら、ランキングの1位は、昨夜亡くなった有名人の話題のようだ。
記事には、死亡時刻と生前孫に宛てたメッセージが僅かばかり取り上げられていた。
このところ、立て続けに古い俳優や小説家などが亡くなっている気がする。
幼い頃から、ずっとテレビで見ていた人達は、それと認識した時から既に老人であった。

携帯をポケットに入れて、ベランダを後にした。
今日も一日、鬱蒼として仕事に向かう時間となっていた。

職場は都内の一等地、高層ビルの中頃はどうにも横柄な眺めをこれ見よがしに誇っていた。
「おはよう御座います。」
デスクの隣りは、2年後輩の女性社員であった。
「昨日のニュース見た?」
正直、苦手な雑談もこなせる年齢になった自分に少しだけ違和感がある。
「何ですか?何かありましたっけ?」
知らないとは好都合、多少は時間が稼げそうだ。
「知らない?あの俳優。ミュージシャンだっけなぁ?もうだいぶおじいちゃんだけど。とにかく亡くなったらしいよ。」
「えぇ?知りません。誰ですか?何か出てました?」
「えーと。何だっけなぁ?すぐに出てこないけど昔はよく見てたよ。顔見たら分かると思う」

名前を検索しようと携帯をタップした。
・・・
「名前、なんだっけ?」
顔だけははっきりと分かるのだが、名前がまったく思い出せない。
「えー誰だろう?」
なるほど、時間を消費するには申し分ない話題となっている。
ブラウザを閉じ、朝に見たニュースアプリを起動させる。
トップバナーのランキングには、政治家の汚職記事が大きく載っていた。
スクロールしランキングを順に遡ってみる。
既に10位以内のランキングに件の記事は見当たらなかった。
(あれ、もうランク外なのか)
ホーム画面へ戻り、ふっと息を吐いた。
「名前やっぱわかんないや」
後輩は上着を脱いでPCを眺めながら
「そうなんですね」
と素っ気なく返事をした。

日が昇り、落ち始める時間帯。
終業のチャイムが鳴り止まない内に荷物をまとめた。
「お疲れ様でした。」
梅雨の日は鶴瓶落とし。
薄灰色の背景は直ぐにその濃さを増し、気付いた時には黒と青が混じり合っていた。
(今日は一日あっという間だったな)
イヤホンから流れる電子音がどことなく
一日の終わりを憂いている様に聞こえた。
携帯の画面を見る。
動きに反応した画面からは、もう少しで19時を回る時刻が見えた。
ふと、明るく照っていた画面が暗く落ち込み、
電話のマークが表示された。
画面の向こうの相手は母親の様だ。
暗く光る画面を落として、そのままポケットへしまった。
別に嫌いだからではない。
只、単純に歩きながら話すには、少しだけ煩わしかっただけだ。
帰り道のコンビニに寄り、出来合いの弁当と缶チューハイを一つ買った。
何も無い、いつもと同じ帰り道。
部屋に入ると、暗闇の中に微かな温度と水分を感じる。
ごちゃごちゃとしている割に何があるわけでもない自分の部屋。
ネクタイを緩めて洗面所で手を洗う。
社会の中の自分を脱ぐのは、とても気持ちが良い。
リビングに戻り、弁当の蓋を捨てると、すぐさまチューハイの缶を開けて多めの一口を流し込んだ。
弁当に手を付けようと割り箸を取り出すとき
携帯の画面が明るくなった。
/不在着信 母/
/留守番電話サービス 1件/
唐揚げを一口頬張ると、そのまま携帯を起動させて留守番画面を開いた。
/メッセージ 1分6秒/
いつもなら10秒前後の母親からの留守番が、今日は嫌に長い。
私はすぐさま、再生ボタンを押し耳に当てた。

「あぁ、お母さんです。 元気にしていますか?
こっちはいろいろ大変で少し疲れています。
昨日、お爺ちゃんが亡くなりました。

とにかく、帰ったら電話してくださいね。」

体内のアルコールが全て脳に集中していく感覚があった。
すぐに画面を叩き、着信履歴から母へ電話をかけた。
ププ、、プ、プルルルルルル、プルルルルル
いつものコール音が果てしなく長く感じる。
プルルルルル、プルルルルル、プルルルルル
いつもながら、老人達は携帯に出ない。
自分の事は棚に上げて、苛立ち意味もなく立ち上がってみる。
プルルルルル、プルルルルル
数十秒のコールから、やや諦めの気持ちが芽吹いた瞬間
「もしもし、はい」
電子板越しに母の声が聞こえた。
「あぁ、ごめん。今大丈夫?」
母の声は少しばかり、やつれた様な歳をとった気がする。
「聞いたと思うけど、お爺ちゃん亡くなりなさったよ。」
「いつ?」
「昨日の夜中ね。病院で。もう大分入院しとらしたけんね。まぁあんたは、小さい頃に会ってから大分会ってないから、あんまり覚えて無いかも知れんけど。」
この時、祖父が昨年末から病気で入院していた事ベットから起き上がる事すら困難になっていた事を知った。
母方の祖父は、小学生の頃に会ったのが最後だったろうか。
やはりと言うか、涙が流れる事もなく、感傷もあまり感じない自分がどこか冷酷な気がした。
「写真」
「ん?何?」
「爺ちゃんの写真ってある?」
「あるけど何で?」
「送って。」
そう言ったのは、認識すらし難いほんの微かな罪悪感からだったのだろうか。
昔からよく祖父に瓜二つだと祖母から聞かされていた。
祖父はあまり口を開く人では無かったから、綺麗に形づいた皺通りに、少しだけ笑っているだけだった。
そう言えば、小学校に上がる時に、祖父と一度だけ花火をした事を思い出した。
(あの時に何か約束した様な)
感傷に浸る為に、いくつかの素材を集めている様で少しだけ罪悪感に塵が積もった。
「とにかく、葬式やらの日取りが決まったらまた連絡するから。あんたも健康に気をつけてね。」
携帯を置いて、傍の缶チューハイを手にした。
一口含むと、缶を持つ手がやけに軽く感じる。
どうやら、中身は半分を切っている様だった。
冷めた白米を事務的に流し込むといつもより腹に貯まったようで、満足のない満腹感が立ち込める。
TVをつけてみる。何が観たいわけではなく、いつも通りに動画を探してみた。
緑映えるナチュラル系、お笑い芸人のチャンネル、淡々と料理を流すもの、どのサムネイルも今の気分にはそぐわなかった。
1時間程探してみたが結局、何一つ見ることはなくTVを消した。
時刻は9時に程近くなっていた。
テーブルの上の缶チューハイは質量を失い、死体のように水分を垂れ流していた。
携帯をポケットに入れ立ち上がり、風呂へ向かう。
替えの下着と何日か目のパジャマを手に取ると洗面台の鏡に自分の姿が映っていた。
確かに自分であるが、どこか違和感がある。
どうやら自分で思うよりも随分と大人になってしまっていた。
ふと、鏡の中の男性に向かって微笑んでみた。
そこには以前は刻まれていなかった皺に沿うような笑顔があった。

その顔は紛れもない、祖父のそれであった。
頭に貯まっアルコールは一気に飛んで、残された水分だけが、眼球の奥から搾り出ていた。

ブブー

携帯からの振動を感じ、すぐさま画面をつける。
母からのLINEが2通。写真が送られてきた。
1つ目画像を見ると、僅かな面影を残した痩せ細った老人の写真であった。
肌は骨に張り付くように、人間の本来の細さを目立たせている。眼球は窪んで表情も不鮮明だが、確かに笑っているように見えた。

理由が分からない抑える方法も知らない記憶が津波の様に一気に押し寄せた。
眼球の水分は感情に押し出され、いつまでも流れ落ちていた。

朝のニュースで見た老人は確かに祖父であった。

「2021年6月24日午前2時半頃、入院先の病院で家族に看取られながら息を引き取りました。
85歳でした。
遺書等はなく、お孫さんへ宛てた手紙が残されています。」

滲んだ視界を袖で拭って2つ目の画像をタップした。
味気ない白い便箋に薄く流れる様な文字で短く書かれた手紙であった。

「盆にはまた一緒に花火が出来るといいな。」

日々は目まぐるしく過ぎ、溺れる魚は
幼い自分を忘れていく。
またいつか花火をする約束。
僅かな記憶に生きていた祖父は今もあの日のまま縁側で線香花火を眺めていた。
薄明かりに少し上がった口角が見えた気がした。

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