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【ショート小説】ココロポツリ

いつだか読んだ本に、他人の心の声が聞こえる主人公の物語があった事を今も鮮明に覚えている。
“さとり”と呼ばれるその能力のせいで、さまざまな挫折を味わいながら苦悩する主人公。それでも、理解者との出会いで、まるで奇跡のような困難を乗り越えていく、ヒューマンストーリー。僕はそれが羨ましくてたまらなかった。そう、僕は”さとれず”。
僕がこの能力にはっきりと気づいたのは、中学二年の頃。当時の僕は来年の受験を控えて、昼夜を問わずに参考書にかじりついていた。両親もそんな姿を見て、労い応援してくれていた。日々は過ぎ、進路相談で親との三者面談が開かれた時
第一志望に書かれた難関私立高校を目にした母は、何故だか目を剥き出し、眼球が飛び出る寸前の表情を浮かべていた。無事に試験に合格できた僕に母は、泣きながら私立には行かせられない事を打ち明けた。我が家は、いわゆる貧困で晩御飯に卵かけご飯だけが並ぶような家庭だった。その時、僕は他人の心が全く分からないこの”さとれず”の能力に気がついた。確かに今まで不自然な点はいくつかあった。ババ抜きで23連敗レコードを出した時も、小学校の飼育小屋のうさぎを臭いと言って学級会が開かれた時も、クラスで太った子に太ってると言った時も、祖父の葬式でつまらないから帰りたいと言った時も全てこの忌まわしい能力が僕に宿っているからだ。それ以来、僕は自分の状況を客観的に見れるように、思いつく状況をノートに書いて整理するようになった。ノートの一行目は”我が家は貧乏”であった。

時は過ぎて、滑り止めで受験したそこそこの公立高校を卒業した後は、プラプラとフリーターという状況にいた。今日は、久しぶりの休みで給料日の後であった。僅かに余裕のある懐に赤く焼け落ちた日差しが差し込んで、夕方に差し掛かる時間帯の街は、眠りを拒むように意識をはっきりとさせていた。平日だというのに、この街には多くの人が行き交っている。いつもより心なしか、手を大きく振りながら歩いていると前から歩いてくる人が認識された。ぶつからないように避けると、対向者も僕と同じ方向へ移動する。人通りの多い商店街でバスケットの攻防を繰り返すと、対向者は諦めたようにその場に立ち止まって、恥ずかしそうに顔を下げた。僕は、誰にも聞こえない声量で、すいませんと言うとようやく相手を抜き去った。これは本日、三度目の攻防であった。12月の商店街はどこか浮き足立って、賑やかな色と音を光の中に溶かしている。僕もその一部に見えるのだろうか。今日は、歳の離れた妹の12歳の誕生日兼クリスマスプレゼントを探しに来ていた。妹は僕と違いとても気遣いの出来る素直な人間であった。僕のノートには数少ない”まとも”というカテゴリーに分類されている。ふらふらと街をザッピングすると、見た事のない奇抜な柄の服や用途の不明な色とりどりの雑貨、あまり食欲をそそらないカツ丼の食品サンプルなど、無数の情報が眼球からインプットされ、すぐに後頭部より抜け出した。気づいた頃には、商店街の端まで歩いてきていた。しまった。”さとれず”のくせに何も聞かずに買い物に来てしまった。果たして、妹は一体何が欲しいのであろうか。そう思いながら、今来た道を仕方なく引き返すと、突然後ろから声をかけられた。
「すいません。今、お時間大丈夫ですか?」
振り返ると、この雑多な商店街には似つかわしくない綺麗なスーツを纏った女性が立っていた。肩ほどに切り揃えられた髪は、夕焼けの光を受けてその茶色をキラキラと輝かせ、程よくパッチリとした目には、薄く桃色のアイシャドウが塗られていた。可愛い。僕はそう思うと立ち止まった。
「はい。何ですか?」
彼女は僕の目を見つめ
「今、そこのギャラリーで絵画の展示会をやってまして、お時間が良ければ是非ご覧いただけませんか?」
そう言うと、肩に掛けていたカバンから一枚のビラを目の前に差し出した。どうやら斜め向かいのギャラリーのようであった。確かにガラス張りの室内に絵画のような物が飾られているように見えた。人は一人も見当たらない。
”ヒューマンナチュラリズムの巨匠、ピア・マルガリータの世界”と書かれたビラを手に取ると、今まで味わった事の無い違和感を感じた。彼女はビラを離さず、そのままぐいっと手元に引くと、
「どうぞこちらへ」
とギャラリーへ僕ごと引っ張った。綱の代わりとなったビラは異常に丈夫で、僕がこの綱引きに負ける10数秒の間、裂ける事なくピア・マルガリータの世界を誇っていた。

ギャラリーの中に入ると、壁面に所狭しと並ぶ謎の絵画が目に飛び込んで来た。”僕達、私達が、ヒューマンナチュラリズムです‼︎”絵画達は声を揃えて一斉にそう叫んだ気がした。彼女は笑顔を浮かべて正面の大きな絵画の説明を始めた。
「そもそもピアが絵を描き始めたきっかけは〜で祖父の飼っていた猿が〜その時の友人に〜咲き誇る紫陽花を描いたのがこの絵なんですよ。」
微動だにせずその話を聞いていると、彼女は突然僕の手を握り絵画にその手を導いた。咄嗟に手を引こうとすると、きゅっと握られた彼女の指に力が入るのがわかった。
「大丈夫。安心して下さい。ピアの絵は触られる事で更に輝きを増すんです。」
力の抜けた腕をそっと目の前の絵画に当てると、絵の具なのか、キャンバスなのかわからないざらざらとした感触が手の平に広がる。
「どうですか。感じますか。」
彼女はそう言うとくっきりとした二重をこちらへ向けて僕の目を見た。
「なんか…ざらざらしてる気が…します。」
そう言うと僕は絵画から目を離すためにガラス張りの外を見た。すっかりと日の落ちた世界は、夜の電飾が眩く輝いている。
「そうでしょ。この絵にはそれだけのエネルギーがあるんです。本当はこれがあなたに販売出来ればいいんですけど、実はこの絵非売品なんですよ。」
少し寂しそうにそう言ったかと思うと、徐に手を離し入口付近のカウンターから何やらを持って来て目の前に差し出した。
「でも大丈夫です。このレプリカはA4サイズなんですが〜エネルギーが〜リビングだったり玄関だったり〜風水的にも〜これだけあれば大丈夫です。」
再び微動だにせずその話を聞くと、まぁこれ妹のプレゼントにしてもいいかなぁと思い始めた。
「そうなんですね、いくらですか?」
「ありがとうございます。こちら7万円になります。」
僕は三者面談の母のように眼玉が飛び出す感覚になり
「あ、お金無いですね。すいません。」
そう言って絵画を背にしてギャラリーの外を向くと
「大丈夫です。学生さんですよね。ローンもご用意しておりますので〜こちらですと月々〜たったコーヒー一杯〜毎日を快適に〜」
三度微動だにせず立ちすくんでいるとギャラリーの入口から、一人の男が入って来た。シンプルな白いTシャツに黒いチノパンにサングラス姿の男はどこか見覚えのある雰囲気を醸し出していた。冷気を仄かに纏ったまま、場の空気を察すると
「大丈夫か?」
と声をかけた。僕は男を無視して彼女を振り返ると
「絵はいりません。これなら僕でも描けそうですし、300円くらいなら買いますけど。正直、あなたがちょっと可愛かったんで付き合いましたけど、人生でトップクラス無駄な時間でした。時間を返して欲しいですけど、それも出来ないと思いますんで、もう帰りますね。それじゃ。」
彼女は今の今まで黙り込んでいた僕の言葉を聞いて、微動だにせず立ちすくんでいた。
そのまま、ギャラリーの外へ出ると、クリスマス前の張り詰めたような空気が僕をぎゅっと包んで、張り付いた暖房の温度を一気に引き剥がしていく。
「おい、ちょ待てよ。」
背後から先程の男が声をかけた。僕は無視して歩き出そうとすると、男は小走りで前に回り込んできた。
「俺だよ。俺。」
そう言ってサングラスを外すと、屈託のない笑顔をイルミネーションに輝かせながら浮かべた。サングラス男は、小学校からの同級生であった。僕のババ抜きレコードを23回で止めてくれたのも奴で、目をつぶってままババ抜きという異例のルールを引き受けてくれたからであった。
「なぁんだ、お前かよ。どうしたの。」
「いやぁ、またお前がヘンなのに絡まれてんなぁと思ってな。」
こいつは、昔から本当に良い奴だった。友達のいない僕の唯一友と呼べる人物である。いつも僕を心配してくれて、勉強も出来てスポーツも万能。高身長で凄くオシャレに気を使う奴からは、いつも華やかないい匂いがした。寒々とした12月は、夜の帷を早々に下ろして、その内側では色鮮やかな電飾が着いては消えてメリーゴーランドのように時を回している。
僕は奴に笑顔を浮かべると何気なく声をかけた。
「いや、なんで冬の夜なのにサングラスかけてんの?お前、別に目弱くないだろ。危ないからやめとけよ。」
イルミネーションに浮かぶ彼の表情は、笑顔のままどこか引きつっているように見えた。

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