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【ショート小説】壊れかけたおとぎの国で

神様は笑った。
僕もつられて笑った。

ここは、神様達の住まう緑の豊かな世界。
ある日、緑の奥深くにある泉で、水面より人間世界を除き込んでいた一人の神様が、その下界の燦々たる様子に心を痛めておりました。暴力、略奪、嫉妬、破壊。穏やかに澄み切った泉には、頭髪を掴まれ引き摺り回される女と泣きじゃくりながらそれに縋りつく子供が大きく映り込み、神様も目を逸らさずにはいられません。何故、この様な事に。神様は泉より、女の髪を握る腕の先、屈強な筋肉を太陽で焦がした大柄の男を目掛け雷を放ちました。
天より振り落ちた大きく鋭い雷が、男の脳天を貫くと、辺り一面を太陽の様に照らし瞬く間に焼き尽くします。
ほんの一瞬の後には、焦げ付いた匂いと真っ黒な物体が影の様に元の形をかろうじて残して、しんと静かになります。
その中に、中ぶりな影に張り付くように、小さな影が寂しく伸びておりました。
泉よりその様子を見ていた神様は、ほんの少しだけ涙を泉に落とすと、ほとりで膝を抱え座り込みました。その時人間世界では、大粒で透明な雨が降り注ぎ、焦げ付いた影を綺麗さっぱり洗い流しております。何故、人間はこうなってしまったのか。涙は次第に頬辺りで乾き、キラキラと光を放つ鉱物となって、地面に零れ落ちます。俯いたまま座り込んでいると、泉の反対側に別の神様がこちらを見ているのが分かりました。黒々とした髪を後ろへ撫で付け、左脇に分厚い本を抱えたまま、じっと泉を見つめると再びこちらへ視線を戻し、ゆっくりと近づいてきます。
「あなたも、人間について思うところがあるかね。」
神様はすっと立ち上がると別の神様へ問いかけました。
「人間はこのままで良いと思いますか。」
斜め左上の虚空へ一度目線を移し、別の神様は強くこちらを見つめます。
「人間には、そろそろ導く者が必要だ。我々の代わりに人間を導く者が。つまるところ聖者だ。人間世界の全ての思いや感情を感じ取り、分かり合い繋げていく者が。」
神様はじっと相手の撫で付けた黒髪と同じ色をした瞳を覗いて、ふと気付きました。今眼前に臨む相手は変わり者で有名な神でした。
口角をしっかりと上げて、ニタリと神様を見ると意見を聞く間も与えず
「やるぞ、私はやるぞ。今からやるぞ。」
そう言うと、脇に抱えた本を広げ数枚程ページをめくり徐に地面にそれを置きました。
そのまま、泉のほとりに実るイチヂクを一つちぎり、手の中で握りつぶすと、水分を抜き取り神様の足元でしゃがみ込みます。
「確かこの辺りに、落ちたと見えたが。はて」
足元の草をかき分け、何かを探すように手をぽんぽんと地面に当て込み
「探してくれないか。君の涙だ。君の物なのだから、居場所はわかるだろう。」
神様は立ち尽くしたまま、足元を弄る黒い髪に目を落としておりました。
「あぁ、あったあった。」
別の神様はしゃがんだままの状態で摘んだ鉱物をこちらへ向けて、キラキラと反射させた光を揺らすと、先程に潰したイチヂクでその涙をそっと包み込むとすっと立ち上がり、また強い眼差しを向けました。
「さぁ、仕上げだ。良いかね。」
そう言うと神様の眼球に指をそっと置き、光の入り込む道を探り当てると一気に腕を突っ込みます。神様の身体はビリビリと震え、両腕はバタバタともがくように空気を掻いて僅かに宙に浮かび上がりました。
「あぁ、あったあった。」
別の神様はニタリと口角を上げたかと思うと、肘まで入り込んだ腕を引き抜きます。手には薄く透き通った水色の球体が握られ、ぽたぽたと水分のような何かが滴っております。
神様は目玉から空洞になり、糸を切られた操り人形のごとく、どさっとその場に倒れて動かなくなりました。別の神様は、打ち捨てられた抜け殻を見ることもなく、手にした水色の球体にイチヂクで包んだ涙を詰め込むと、そのままそれを泉へ投げ込みました。ぼちゃりと音を立てた泉は波紋を広げたまま、少し間を置いて静かなりました。
さて、別の神様はゆっくりと泉に近づいて人間世界を覗き込みます。水面には先程投げ入れた物が、ぐるぐると回転しながら、次第に赤みを帯びていく様子が見えました。件の球体は、回転と落下を繰り返し形を少しばかり歪にすると、すっと一人の女の腹へ吸い込まれていきました。日傘を差した女は大きくなった腹を優しくさすり、産まれ来る命の為に服を買いに行くところでした。
「必ず上手くいく。何せ神の心を使ったのだからな。」
黒髪を後ろへ撫で付けながら、別の神様は更に口角を上げております。
日が落ちて、何度目かの朝日が登る頃、女は自室のベッドに横たわり、大きな息を落ち着いたリズムで繰り返しておりました。いよいよですよ。頑張って。取り囲む産婆の声も数分前より熱と音量を上げています。
「聞こえるかい。」
別の神様は優しく問いかけます。
「誰⁇」
「私は神だよ。君のなすべきことは、わかっているね。」
「受け止めて分かち合い、繋げる。全てを。」
そう言うと、胎児は曲がった背骨を僅かに伸ばし、ゆっくりと水面より頭を出し始めました。
頭部は既に外の世界の空気に触れ、透き通っていた肌は段々とその色を濃くしていきます。はぁはぁと母の大きな息づかいが、子守唄のように流れてその周りを産婆達の力んだ声がわいわいとカーニバルの楽器のように囃し立てておりました。ゆっくりと只ゆっくりと母体から這い出た身体が、腰のあたりまで剥き出しになった時、胎児の脳裏に津波の如き思いが一気に流れ込んで意識を包むと、その感情を思い思いに保存していきました。
「憎い。あいつが憎い。」
「何故。自分は誰にも認められない。」
「私は優れているはずだ。バカ共には分からん。」
「欲しい。もっと欲しい。」
「腹が減った。何か、誰か助けて。」
「ありがとう。大好きだよ。」
「虚しい。誰か殺して。」
「殺したい。殺したい。殺したい。」
「邪魔だ。」
「足りない。まだ足りない。」
膨大な思い達は、胎児に感情を注ぎ込み、次々にその力を宿しながら消えていきます。群がるそれは、自然の無慈悲の如く傷つけるだけ傷つけると素知らぬ顔をしておりました。永遠とも思える感情を全てインプットし終えた時、胎児は大きく泣き声を上げました。その声は、大きくなり響き、水面より様子を伺っていた別の神様は身を乗り出し、撫で付けた髪を気にすることなく一心不乱に掻きむしりました。
「何故泣く。また失敗か。何がいけないと言うのか。」
ぼろぼろに引き裂かれた心の残り香を届けるように賢者は神様に囁きます。
「神様、もう遅い。世界は憎しみで溢れています。私も、憎しみに呑まれる。」
そう言うと、賢者の意識はぷっつりと途切れもう二度と神との交信は出来なくなりました。

「はは、はははは。はははは、ははは。そうか、もう遅いか。」

神様は笑った。

一人の産婆に取り上げられながら、元賢者は疲れきった体のまま微笑み近寄る母の存在を察知すると、未発達の筋肉に出来る限りの力を込めます。

僕もつられて笑った。

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