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【ショート小説】真夜中だから真っ暗

「どうすればいいのか。」
頭を抱えたまま深刻そうな顔を机に下げながら、親父は聞こえるようにそう言った。僕にはそれが心からの言葉ではない事がすぐに分かり、聞こえないふりをした。親父は何も言わずに立ち上がると、冷蔵庫から瓶ビールと冷やしたグラスを取り出して縁側に座り込み、晩酌を始めようとしている。
「どうすんだよ。」
「もう引退だ。工房はお前にやる。好きにせんか。」
と言うと再び口にビールを運んだ。

白露式面舞流。七百年の歴史を持つこの地域の伝統舞流で鎌倉時代の奉納として発祥した。特色として、仙女の面を被った舞子が七分にわたって舞う「比瑪子舞い」の最後にその年に採れた一番米を炎に投げ込む、「愛炎上げ」が有名だ。ったのは、五十年ほど前の話。時代の流れは残酷で、地域の一祭りはプロモーション力がものをいい、マイナーな物は淘汰され、比瑪子舞いも存続の危機に瀕していた。そして我が家は、代々舞いの面を納める家系であった。
「親父、もう無理だからって押し付けて逃げんのか。」
庭を眺めて、団扇を仰ぐ親父に呆れていた。何故なら僕は、大学生で面造りなど一度として指導を受けた事は無く、ましてや家業を継ぐ気などさらさら無かったからだ。
「お前にやった。もう続けるも廃業するも好きに」
「じゃあ廃業だな。」
親父の言葉を遮る様にそう言うと、二階に上がろうと麦茶を飲み干して立ち上がる。
「そんなら、皆の家に回ってこい。家は廃業しましたて言わんと。お前が。」
親父はいつもの赤ら顔を更に赤くしてニヤニヤとこちらを見つめている。その言葉を聞くと同時にツルツルで妙に艶のある禿頭を光らせた老人の顔が浮かんできた。「獄爺」と呼ばれる、その爺さんは齢九十を超え現役の空手家である。見た目は禿げた熊。気性は只の荒い熊。どちらかと言うと人よりも熊に近い爺さんで、祭りを取り仕切る神社を管理していた。この爺さん、昔から子供達の畏怖を一心に集め殴られたり怒鳴られたりした事が無い子はいない程であった。
すっと、こめかみから汗が滴り落ちる。あの人に廃業報告など、火中の炭を拾うほど恐ろしく思える。だが、言わねばならない。僕はこの衰退待った無しの家業と共に心中する気は無い。無意識に二階に駆け上がると、入学式に一度きただけのスーツに着替え玄関を出た。勢いでしかこの局面は乗り切れないと本能が言っている気がして、気が付いた頃には獄爺の玄関のチャイムを鳴らしていた。ゆっくりと玄関の扉が左にスライドしていくと、そこには巨大な熊  ではなく、線の細いクリクリとした目のおばさんが立っていた。獄爺の娘さんで家の親父の同級生のおばさんだ。僕はほっと一息ついたまま、
「夜分遅くにすいません。お爺さんいますか?」
本当はこのまま帰りたい気持ちを叩き伏せ、おばさんに問いかけた。おばさんは、爺に似つかわず、可愛らしい声を上げて
「あら、お爺ちゃん?今ね、居るんだけどちょっと具合が悪くてね。ちょっと上がって行きなさい。」
と僕を招き入れた。玄関から伸びる廊下を突き当たり、左手に曲がると、開け放たれた茶の間の向こうに仏間が繋がっていて、その座敷にポツンと布団が敷いてあるのがわかる。おばさんについて行きその布団の横に立つと、生きているのも不思議なほど痩せ細った老人の顔が見えた。紛れもなく獄爺だった。あれ程恐怖に満ちて元気だった熊は、少し見ない間にすっかり衰えて、命の灯火をゆらゆらと不安定に揺らしていた。
「あの、ご無沙汰しています。」
僕の声を聞くと獄爺はゆっくりと頷いて
「面はどおだ。」
とだけ聞いた。僕が言葉を飲み込んだまま立ち尽くしていると
「今年はもう儂は祭りを仕切れん。お前のところに任せる。」
そう言って、すっと目を閉じた。死んだかと思ったが、どうやら眠っただけのようで口はむにゃむにゃ動いていた。
蒸し暑い道を帰り、玄関を開けると未だ縁側にいた親父を見つけ、経緯を話すと
「今年は俺が仕切る。好きにさせてもらうからな。」
と言って部屋へ駆け上がり、小学校から使い続けている勉強机に向かった。今年は、絶対に成功させなければいけない。獄爺に天国でも安心してもらえるように。と思いながら祭りのプランをノートに書き出した。

時は足早に過ぎ、夏の終わりと秋の実りが混じり合う九月の第三日曜日。比瑪子舞いは当日を迎えていた。僕は目の下の隈を隠さずに神社の境内に仁王立ちをして腕を組む。長かった。だが、今年は絶対に成功する。その為にあの日から寝る間を惜しまず色々な計画を準備してきた。傍らにはリヤカーに垂れ幕を取り付けた即席屋台が鎮座し、電球型の容器におよそ飲み物と判別出来ない色の液体を携えている。ビラも一万枚刷って駅回りの知り合いの店に置いてきた。SNSの公式アカウントも作成して、毎日更新情報をアップしてきた。僕はこの祭りのプロデュース業を始めて、生きている感覚に快感を覚える様になっていた。

日がやや斜めに落ちてばらばらと人が集まり出してきた神社の境内は、僅かに活気が蘇った様相を呈していた。屋台を大学から呼んだ友達に任せると、神社の賽銭箱の横に立って腕を組んだ。どうやら、まだ毎年恒例の近所の爺さん婆さんしかいないようだ。まだまだ、比瑪子舞いまでは一時間程時間がある。必ず大勢の人が来る。そう確信しながら僕は腕組みをしたまま眼下を眺めていた。

秋口の空は透き通る水色から焼け焦げた狐色に姿を変えようとする頃祭りの始まりまで残り五分を切っていた。境内には一時間前からいた老人組に加えて、お菓子目当てで舞いに参加する小学生の集団が各々自由に時間を潰している。十分前程から滝の様に溢れ出る汗を必死に拭き取りながら、僕は仕切りに神社の入り口を眺めていた。毎年と変わらない祭りの雰囲気がのほほんと場を包み、屋台に残した友達は顔にタオルを当てたまま、安らかに眠っている。
すると、ポンポンポンと祭り太鼓の軽妙なリズムが鳴り始め、町内会長のかき鳴らす笛が流れるような旋律を奏でて、白露式面舞流が始まった。いつのまにか法被に着替えた小学生達は慣れた様に手持ちの鐘を鳴らして踊り始める。僕は祭りプロデュース第一案を決行に移す為神社の裏に周り、色とりどりの風船が入った箱を抱えながら、セットしていた脚立を登って屋根の上に立った。
【プロデュース第一。インスタ映えする小学生舞いに大量のカラー風船作成】
僕は三時間かけて膨らませた大量の風船を踊る小学生の群れへ投下させ始めた。赤、青、黄、彩り鮮やかな風船達は僕の手を離れるとすぐに、風に吹かれて遥か遠くへ流されて行く。汗で目の前が一段と見えなくなるのを必死に押さえ、何とか全ての風船を落とす為、全力を尽くした。残り十個となった辺りには、小学生に向かって本気で風船を投げつける程に振りかぶっていた。ようやく全てを撒き終わった時、風船は一つとして境内に落ちていなかった。
境内にいた近所の老人達は、僕の姿を見つけると
「ありゃ、面の所の坊主だな。何しとるん。あんな所で。こりゃ、降りろ。危ないぞ。」
と労いの言葉をかけてくれた。まだまだ、メインイベントが待っている。僕はそう思いながら空になった箱を持ちながら、ふらふらと脚立を降りた。
祭りは例年通り、地域のおばさん会の踊りを終えると、ついに比瑪子舞いが始まる。境内に立てた簡易的な矢倉に火が灯され、比瑪子役のおばちゃんが面をつけて現れた。ポンポンポンと太鼓の音が厳かに鳴ったかと思うと、急にテンポを上げ舞いも呼応する様に激しくなった。さすが三十年現役のおばちゃんの舞いは、最早芸能の域であった。僕はプロデュース第二段を決行する為、再び神社の裏手に回った。ダボついた黒いスウェットを地面につけて、六人程の集団が似つかわしくない神社の裏手でスタンバイしている。黒いスウェットには黄色のストライプが鮮やかに入り、ドレッドヘアーやアフロ長い茶髪のストレート等ヘアスタイルの見本市の様である。
僕は、ドレッドに声をかけると彼は小さく頷いた後、一気に境内へ向かって走り出した。
テンポの良いリズムで鮮やかな舞いを見せていたおばあちゃんは、この道三十年の貫禄を忘れビクッと軽く飛び上がると、その場に立ち尽くした。境内には裏手から飛び込んで来た謎の仮面集団が祭囃子に乗せて、各々ブレイクダンスを踊り狂い始めた。立ち尽くす比瑪子を見ると、ドレッドの仮面は煽る様に手の平を上下に動かし、頭上で手を打ち鳴らす。他の仮面は地面スレスレで足を上げたり、パントマイムの出来損ないのすり足をしていたり、背中を合わせて天高く足を上げたり・・・。
老人達が呆気に取られたまま、その狂乱の踊りは五分ほど続き、その間比瑪子は境内に棒立ちしているだけであった。秋の夜は只ゆっくりと過ぎていった。

家に帰ると、縁側で親父が焼き茄子をつまみにビールを飲んでいた。僕は、横に座ると
「まぁ、良かったよ。無事に終わって。色々反省点はあるけど、来年はそれを生かさないと。」
そう言って秋の夜空を見上げた。冷気を携えた秋の夜空には美しい星々が煌めいて、愛炎上げの炎が登った様な気がした。
親父は口にしたグラスを置くと感慨深く同じ夜空を見上げて
「ありがとうな、トドメ刺してくれて。」
と言った。長い秋の夜はまだまだ始まったばかりであった。


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