記事一覧
山の奥の家(SS No.69)
那由(なゆ)は川のせせらぎを横に聞きながら、自分の背丈ほどもある草むらをかき分けて歩いていた。もう何時間こうしているだろう。キティちゃんの水筒はとっくに空っぽだ。日が傾くにつれ、那由の焦りも大きくなっていた。
弟が生まれてからというもの、ママはそちらにかかりっきりで、ちっとも那由と遊んでくれなくなった。何につけても「お姉ちゃんなんだから」と我慢させられてばかりで、すっかり嫌気がさしたのだ。だ
宇宙ウナギ(SS No.68)
地球上の鰻が絶滅して久しいが、年寄り連中は若い頃に食べた蒲焼の味が忘れられないらしく、大豆でできた「代用ウナギ」にウン万円、ポンと払うというから驚きだ。
奴らが「宇宙ウナギ」を見たら、よだれを垂らして群がってくるだろう。
「宇宙ウナギ」を見つけたのは、俺が親父から継いだ食品加工会社を倒産させ、借金取りから逃げるために宇宙を放浪するなかで、偶然立ち寄った辺境の星の、池の中だった。
図鑑でし
赤い水玉の男(SS No.67)
小学生くらいのころの記憶だ。
僕はどこかの街の交差点で1人、信号待ちをしていた。季節は冬。周囲の大人たちが枯葉色のコートを着込んで縮こまっていたのをよく覚えている。
だからこそ、数メートル前方の、背の高い男の服装に目を引かれたのだろう。
彼が着ていたのは白地に赤い水玉の散った、薄手のシャツだった。
寒くないのかな、と僕は心配になった。背後からビル風が吹きつけてきて、僕の頬を刺していた。
消した人々(SS No.66)
男は囲まれている。風船のように膨張した者、下顎のない者、足が妙な方向に曲がった者…ガラス玉のような数百もの瞳が、ペンを走らせる男の手元を眺めている。ちょろちょろと毛の生えた肉塊が言う。
「あたしの名前覚えてる?」
数百もの作品を遺した推理小説の大家は、多くのファンに惜しまれ、子や孫に囲まれて、畳の上での大往生であったが、その死顔は、化粧の下から滲み出るほどの苦痛に歪んでいたという。
アンラッキー・クローバー(SS No.65)
四つ葉のクローバーといえば幸運の象徴だが、それが五つ葉となると一転、悪い意味を持ってしまう。なんでも五枚目の葉に悪魔が宿っていて、四つ葉の幸運を阻害すると考えられるらしい。
小学生のころに得た知識が、まさか高校生の今、役に立つことになるとは思わなかった。
放課後清掃で憧れの種田くんと同じグループに割り当たったのは、確かに幸運なのだと思う。
彼とわたしは同じクラスというだけで、普段はほとん
ねじまきタクシー(SS No.64)
俺の運転する「ねじまきタクシー」は乗車料金をいただかない。その代わり、お客には車のお尻についたゼンマイを回してもらって、戻りきる地点まで走ることになっている。
今日のお客はパチンコ屋の前で拾った。
垢じみた服の中年男だ。鳥の巣のような頭髪と無精髭に覆われた顔。しかし、よく見ればパーツは整っているから、若い頃はモテたのかもしれない。
今は苦虫を噛み潰したような表情をしているが。
ゼンマ
音のカンヅメ(SS No.63)
「クジラの歌声」と書かれた缶詰。プルトップをパカっと開けると、消え入りそうなハミングが溢れ出る。白髪の魔女はそれをテーブルに置き、旋律に耳を傾けた。
素晴らしい歌声だったが、彼女の険しい顔が和らぐことはなかった。
昔の彼女は、好奇心旺盛で快活な性格だった。暇さえあれば箒にまたがり、刺激を求めて旅に出た。
ーーそれがよくなかったのかもしれない。
いつしか地上はただの庭となり、何を見ても心
ぴえんぴつ(SS No.61/毎週ショートショートnote)
結愛は親友だが、ときどきセンスがわからない。
「ストレス発散しな」とくれた鉛筆だってそう。
毒々しい水玉模様の本体から伸びたバネの先で、瞳を潤ませた丸顔、10円玉大の「ぴえん」が揺れる。
ストレス、と聞いて思い当たるのは、彼氏の諒馬だ。
思い起こせば、結愛に会うたび愚痴を聞かせてしまっていたと反省する。
デートに10分遅刻してきた、誕生日忘れられてた、他の女子と喋ってた……口にするまでもないモ
ショートショート王様(SS No.59)
可哀想な農夫は玉座の前ですっかり縮こまっています。
「さあ物語をせよ、つまらなければ打首だぞ」
王様が歌うように言いました。こうして気紛れに誰かを招いて小話をさせるのが、王様の趣味でした。
農夫は覚悟を決め、訥々と語り始めました。
主人公はこの国の始祖たる男神。
戦火に国乱れるとき、神は民草を救うべく鷲の姿で地上に舞い降り、鋭い鉤爪で敵兵を八つ裂きにするのです。
勇猛な物語に王様は心を躍らせまし
動かないボーナス(SS No.58)
黴臭い実家の倉庫。段ボール箱の隙間から何かが転がり落ちた。
ピンク色の棒の先に星のついた、プラスチックの玩具だ。
「これ、父さんの…」懐かしい気持ちで拾い上げた。
仕事人間だった父は、私が起きている時間に家にいることは殆ど無かった。
珍しく顔を合わせても私の話には空返事。疲れ切っていたのだろう。
私は幼い子供なりに気を遣い、父との会話を減らしていった。
綺麗な薄桃色の包みは、なんでもない日の朝
電車の揺れと羊の群れ(SS)
若い男が1人、電車のシートで涎を垂らして寝こけている。胸には羊のクッション。
珍しい黒い羊である。
恋人の誕生日にと、内緒で用意したものだった。
めったに物を欲しがらない女が、小さな雑貨屋で千円足らずの羊に目を輝かせていたのだ。どうしても彼女のものにしてやりたいと思った。
電車の揺れと羊毛の肌触りが、彼を夢へと誘う。
牧草地だった。わた雲のような羊たちが散らばって、ゆったりと草を喰んでいる。
早起きは3ポイントの得(SS)
課題のレポートを終えると、聡太は早々にソファで眠ってしまった。時刻はまだ23時だ。大学生の就寝時間としては早すぎる。
俺としてはこのあと、ゲームでもしながら酒を呑み、サークルの愚痴でも言い合うつもりだったんだけど。
仕方なく、なるべく音を立てないようにシャワーを浴びて、日付が変わらないうちにベッドに入った。
翌朝、俺は眩い光に起こされた。まだ日も登らないのに部屋の電気がついているのだ。
どうやら
君に贈るランキング(SS)
「元気にしてるかな、5列目の子」
俺は鏡の前の相方に声をかけた。
やつは褌を巻く手も止めず「さぁね」と答えた。
小劇場の風景を思い出すと、必ず彼女の姿もそこにある。決まって舞台から5列目の席で俺達の漫才を熱心に見ていた、あの子。
思えば漫才なんて、しばらくしていない。
事務所の方針で俺達は「ヨゴレ芸人」になったのだ。
特にボケの相方は、熱湯風呂から女優の楽屋訪問まで、過激な仕事をやらされてきた