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赤い水玉の男(SS No.67)

 小学生くらいのころの記憶だ。
 僕はどこかの街の交差点で1人、信号待ちをしていた。季節は冬。周囲の大人たちが枯葉色のコートを着込んで縮こまっていたのをよく覚えている。
 だからこそ、数メートル前方の、背の高い男の服装に目を引かれたのだろう。
 彼が着ていたのは白地に赤い水玉の散った、薄手のシャツだった。

 寒くないのかな、と僕は心配になった。背後からビル風が吹きつけてきて、僕の頬を刺していた。
 しかし男は文字通り、動じない。僕の頭髪はくしゃくしゃに掻き乱されていたが、彼のはぴくりともしないのだ。そこだけ透明な壁に囲まれているかのように。

 不意に彼が後ろを振り返った。
 息を呑むほど美しい、彫刻のような顔立ちだ。
 スッと通った鼻筋と綺麗な顎のライン。長いまつ毛に縁取られた瞳は深いエメラルド色をしている。
 生の外国人なんて見たことのなかった僕は、思わず見惚れてしまう。

 男はしばらくきょろきょろしていたが、僕の視線を捉えると、途端に眉間に皺を寄せた。頬を引き攣らせ、歯を剥き出して不快感を示してくる。芸術品の美貌は消え失せ、荒々しい野性獣がそこにいた。
 僕は他人の嫌悪を向けられることも初めてで、またしてもびっくりしてしまった。

 男はおもむろに右手を天高く掲げ、パチン、と指を鳴らす。
 直後に起きた光景は目を疑うものだった。
 シャツの生地から赤い水玉だけがふわりと離れ、空中に浮いたのだ。そのままゆらゆらと、あるものは地面と平行に、あるものは天を目指して、あるものは力尽きたように地に落ちて……思い思いの方向に飛んでゆく。
 そのうちの一つが鼻先まで来たので、僕は慌てて両手で包むように捕まえた。そっと中を覗くと、1匹のてんとう虫が僕の生命線をなぞっていた。

 童謡のメロディが流れる。信号が変わったのだ。
 大人たちの波に押され、思わずつんのめる。顔を上げて男を探したが、彼は煙のように消えてしまっていた。

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