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ねじまきタクシー(SS No.64)

 俺の運転する「ねじまきタクシー」は乗車料金をいただかない。その代わり、お客には車のお尻についたゼンマイを回してもらって、戻りきる地点まで走ることになっている。

 今日のお客はパチンコ屋の前で拾った。
 垢じみた服の中年男だ。鳥の巣のような頭髪と無精髭に覆われた顔。しかし、よく見ればパーツは整っているから、若い頃はモテたのかもしれない。
 今は苦虫を噛み潰したような表情をしているが。

 ゼンマイを巻き、男は車に乗り込んだ。
 「クソ、負け取り返したときにやめときゃよかった」
 タバコに火をつけようとしたが、「車内禁煙」のシールに気づいて懐にしまう。
 「もっとイケるって思っちゃうんだよなぁ、運が向いてきたと思ったらさ……ねぇ、おっさん?」
 ……おっさんにおっさんって言われたくねぇよ。
 苛立ちを抑え、そうですかと答えておく。

 男はこれから、元女房のアパートに金の無心に行くのだと言った。
 数年前、酒癖の悪さと借金を理由に離婚を迫られ女房名義の部屋を追い出されたものの、女は未だにそこに住んでいるらしい。
 「俺が帰ってくるのを待ってるんだろうよ」
 あいつは金持ちのお嬢様だったけど、ほぼ駆け落ち状態で俺についてきたんだから。
 甘酸っぱい妄想でもしたのか、男は身悶えしながら助手席を蹴った。

 ガクン、と揺れて車が止まる。
 「つきましたよ」
 築20年は経っていそうな、鉄筋コンクリートのアパートの前である。
 男はいそいそとドアハンドルに手をかけたが、不意に動きを止めた。車窓の向こうに何かを見たらしい。

 小柄で色白、少しぽっちゃりした愛嬌のある女がアパートの一室から出てくるところだった。
 あれが元女房なのだろう。
 バッグから鍵を取り出しながら、しきりに部屋の中を振り返っている。

 数秒ほどして、ドアの陰から男が出てきた。
 痩せぎすで丸い眼鏡以外は取り立てて特徴のない容姿。だが、危なげに階段を降りる女の先に立ち、そっと手を差し伸べるような人物だった。
 地上に降りるなり、女は男の腕に絡みついた。

 俺はルームミラー越しに男の顔色を伺う。
 もし突っかかっていくようなことがあれば止めるつもりだったがーー男は、2人の姿が曲がり角の向こうに消えるまで、大人しく見守っていた。

 「……おっさん、」
 「はい」
 「このタクシー、ゼンマイ巻いたらどこまでも行ってくれるんだよね」
 「ええ」
 「じゃあ今から巻けるだけ巻くからさ、うんと遠くで降ろしてくれよ……あいつがもう2度と、俺の顔を見なくて済むように、さ」
 「……わかりました」
 男は鼻をすすり、静かに車のドアを開けた。

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