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日記 2.12~20
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2/12
なぜ、人はあるものを自らの下において(思想や真理、名誉や立場など)優越や安心を得ようとするのか?それが、生を、現在を肯定するのに有効であるがゆえに欲するというものでしかないのなら、他のもので代用可能だろう。例えば、自己というものが否定しきれない存在であり、共通性(相対性)を持っていてもそれが及ばない空隙(存在)を持つものだ、と確信できることなど。でないと
優れたものの中を進む、求める
すべてが開かれてあれば良かったのに、と思う。
そうすれば、道徳や非在のパラドクスが無かったろう。諍いや、決めつけや、他物への支配や、誤りだって無かっただろう。悪はなく、善という快に包まれていただろう。
しかし、それは、そうでなくあるものの空想という希望でしかない。それがあることの発展過程を考慮せず、数多くの問題も同時に含んでいることを無視している。
少なくとも、我々という存在はそれを求めなか
誹謗中傷で考えたこと
なんか数ヵ月前に書いてたやつ思い出したから、こんなんかいてたなぁと覚え書きとして置いておく。
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コロナで感染者に対する誹謗中傷や、差別が問題となっているらしい。
それは、ペストの時のユダヤ人迫害とほぼ同じだ。なのに、新しい問題であるかのように扱ってるように思える。全く理解できない。
基本的に、差別や中傷(道徳の権威を借りること)は、社会によって発生する。社会が存在しなければ、
「わかるけど、わからん」
このようなテキトーに発信したり、受け取ったりする場があるのはいいよね。
本当は、公園でベンチに座ってる人に「あなたは誰ですか?」と訊ねたり、美術館のロビーで「自己ですか?普遍ですか?」と話し込んだりできればいいけども。
しかし、そんな勇気も社交性もない……!本を書くほどの知識も教養も、社会の空気を読む力もない……!
ということで、このnoteをその捌け口にできたらな、と。
私が、主に興味が