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しぬまでひと

 人間は知識を得ることにより……素朴な感覚や直観を無視できるし、進んでそうしようとする。無知を嘲り、優越を誇ろうとする。

 それは、努力は報われて力となるはずだとか、力は他物を支配することを可能にするはずだとか、そういった感覚に基づくように思える。それこそが素朴で自覚されていない感覚だというのに……。

 存在という檻の中で人は全てを知れず、常に蓋然的な憶測の域を出ない。それらはそれらのみで測られ、それぞれ統一として比べられるなら、同値なものに過ぎない。外的な経験を経れば経るほど、またそれを力の目的として拘り、自己への回帰を忘れてしまえば……それは純粋な欲求により、世界を支配できると考える子どもよりも劣ることだ。

 他の存在は自己を見せてくれるが、この自己そのものではない。ましてやそれは一方的な支配できるものではなく、求めれば早急な破滅を生むだろう。本質は自己への回帰と万象の対立を経て、流動的に備わるものとして、自覚される。そうでなければそれは極めて独断的であり、偏った欲求から離れることを認めたがらない駄々っ子と変わらない。「私は私自身を知ること欲する(ヘラクレイトス)」こと──それが即ち、人間の生きることだ。

……………………

  様々な省察を経てたどり着いた考え(また、そのものを捉え保存することに全力を傾ける人)は敬意を払われ、真摯に向き合うべきであるが、その言葉を借りて自己の信念であると自称する人たちは所詮、切り取られた状況から独断を述べるだけの人(この法則が正しいに違いないと述べる、生へ無批判の人)にすぎない。人はその終わりでしか、無限性への闘いでしかその価値は測れない。

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