記事一覧
深淵で軋む 『王国(あるいはその家について』
「我々はいったい何を見せられているのか?」
そんな戸惑いから映画の組成に順応するまで、すこし時間がかかる。
フィクションなのか、リハーサルの記録なのか。スクリーンでは、こまぎれにされた「読み合わせ」の光景が執拗なまでに繰り返される。
まったくのリプレイもあれば、バリエーションもある。同じシークエンスでも、カットのタイミング、切り取るフレーム、演じられる場所や時間、俳優たちの配置、さらには演技
エッグプラント・エレジー
「氷とソーダ、あとタマふたつ」
カウンター越しにキンミヤのキープボトルを受け取りながら、心もち声を張ってマスターに伝える。おしぼりで手を拭き、ついでに顔をぬぐい、壁に掛けられたホワイトボードを眺めながら本日の組み立てに考えをめぐらせる。
マジックペンでみっちりと書き込まれた本日のおすすめ。筆頭には「朝〆ひらめ刺し」「ほや酢」が燦然と輝いている。まずはスタメン入りだ。梅雨の真っ只中なのに、お品書
黄昏の『一人称単数』
某日、読書会のために『一人称単数』を読み返してみた。やはり難解さとともに凄みを湛えた、一読しただけでは「分かりにくい」短編集である。
ここでなされているのは、いわば人生の黄昏(作中の季節はおおむね秋、しかも晩秋である)を迎えた一人の作家の来し方を見つめなおす作業であり、タイトル通り「僕」という一人称単数の棚卸し的な側面もある。一人称からスタートし、長い孤独な道のりを経てやがて「書
あなた(たち)の人生の音楽。
「うたは闇だ。バンドは光だ!」
ボーカルの椎木知仁が叫ぶ。
数年前、渋谷の小さなライブハウスのフロアには、新潟から駆けつけたのであろう制服姿の高校生が混じっていて、彼女たちが背負っていた色とりどりのデイバッグを今でも憶えている。あぶなっかしいMCからグズグズにくずれていったライブのことも。
最初のフルアルバム『narimi』がリリースされ、1曲目の「アフターアワー」を聴いたとき、「ひょっとして
面白がる、という才能。(前編)
平成30年の12月某日、文京建築会ユースの栗生はるかさんからのお誘いに便乗して、路上観察家・林丈二さんの本郷まちあるきに参加させていただきました。暖冬にしてはめずらしくぐっと気温の下がった一日でしたが、とても刺激的だったので、忘備録的にざっくりまとめておきたいと思います。
当日は東大の赤門前という、いかにも本郷散歩っぽい場所からスタート。さっそく林さんから本郷界隈の古地図コピー(明治40年調査)
事件はGoogle Mapで起こってるんだ!
「さて、ふつうの探偵物ならこのあたりでいよいよ現地に飛ぶわけですが…。われわれはデジタル歴史探偵ですから、ここで現地に【飛ばない】! はい、それではストリートビューで見てみましょう」
竹中朗さんの『デジタル歴史探訪術入門・日本編』を聴講しました。巷間を騒がせた謎の巨大前方後円墳(?)を端緒に、条里、山城、廃寺、御土居、生麦事件「現場」、芝浜(落語で有名な)、吉原、塹壕など、現存しない(あるいは忘
誰が映画を殺すのか。
『三度目の殺人』をようやく観た。世界中どこに出しても恥ずかしくない意欲作である。いや、むしろ日本国内より海外の方が(相対的に)より素直に受けとめてくれるのではないだろうか。
「心理サスペンス」と謳われてはいるが(まあPRとしてはそれが正道であろう)、あくまでもそれは手法であって、曖昧模糊とした虚実皮膜のあわいから浮かび上がってくる「問い」こそが主題である。そして本作の問いかけは重い直球であるがゆ
波のように。花火のように。
映画館を出てからしばらく放心していた。ただウェルメイドなだけではない。マスターピースとして語り継がれるべき作品である。
瑞々しいローポジション、シンメトリーなフレーム、風のようなドリー、繊細なイマジナリーライン、指示語によるダイアローグ。かつて小津や溝口が体現した技法を昇華して、さらには現代版「陰翳礼讃」を思わせる薄陰りの美と質感にまで到達した。
ここで描かれるのは「喪のこどもたち」であ