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波のように。花火のように。

 映画館を出てからしばらく放心していた。ただウェルメイドなだけではない。マスターピースとして語り継がれるべき作品である。

 瑞々しいローポジション、シンメトリーなフレーム、風のようなドリー、繊細なイマジナリーライン、指示語によるダイアローグ。かつて小津や溝口が体現した技法を昇華して、さらには現代版「陰翳礼讃」を思わせる薄陰りの美と質感にまで到達した。

 ここで描かれるのは「喪のこどもたち」であり、生と死がシームレスにつながることの受容であり、生きるよすがとしての孤独である。いのちの満ち引きの後、掌にはひとひらの希望が残されている。それに気がついたとき、はじめて死は生に内包され、人生は少しだけ祝福されたものになる。

 口にしないでふれること。それと同時に、語るべきときに語るべき言葉を差し出すのを躊躇わないこと。日本的な交感の形をとりながらも、そこには率直な思いが込められている。透徹したまなざしはドラマの芯を捉え、奥深い緻密さを意識させずに物語は淡々と進んでいく。それぞれのエピソードは説明ではなく、スポンテニアスな連なりとしてそこにある。だからこそ丁寧に切りとられたワンシーン・ワンシーンが穏やかな波のように打ち寄せられるうちに、われわれの心はいつしか深く揺り動かされることになるのだ。

 原作者である吉田秋生の「幸福な時間だった。そして、なんかちょっぴり悔しかった」というコメントは最大級の賛辞だろう。寄せては返す波のように、痛みをともなったやさしさで胸を浸していく物語。菅野よう子の音楽も素晴らしかった。

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