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彼女のポトフ
はじめてポトフを食べたのは、大学生の時だった。風邪をこじらせて寝込んでいた僕のために、当時つきあっていた彼女が作ってくれたのだ。
ひとり暮らしのアパートの狭い台所。研いだことのないなまくら包丁を使いながら、心もとない手つきでジャガイモの面取りをしている彼女の後ろ姿を、僕は熱に浮かされた意識の片隅でぼんやりと眺めていた。しばらくしてできあがったポトフは、どことなく心もとない味付けだったけれど、野菜の甘みがやさしかったことを憶えている。
それから1年も経たずに、些細な行き違いが原因で彼女とは別れてしまった。二十歳前後のカップルにありがちな、ありふれた終わり方だったと言えるかもしれない。
あれから20年。何人かの女性がポトフを作ってくれた。野菜だけだったり、ソーセージが入っていたり、手順も味わいもそれぞれ違うポトフ達。でも、そのたびに思い出すのは、あの風邪をひいた冬に作ってもらったポトフだった。午後の台所の陽射しと、少し緊張した彼女の背中と、鍋の中でくつくつと揺れているふぞろいのジャガイモ。
まだ携帯電話もメールもない頃のエピソード。
Kitchen Stories #1
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