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不登校だった僕

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中1の9月〜中学卒業まで不登校。 高校も1年はきちんと行きましたが、その後2年間はあまり通わず、最終的には通信制に行き21歳で卒業しました。 そんな僕の経験を伝えられたらと思い、…
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不登校と学校統合問題

不登校と学校統合問題

あけましておめでとうございます。
少し投稿を休んでいましたが、本年も様々な発信活動をしていきたいと思います。
皆さん、よろしくお願い致します。

わが地元、高知県須崎市では少子高齢化が進み、学校の統廃合が進められています。

近年では、市内にあった県立須崎高校と県立須崎工業高校が統合し、須崎総合高校として生まれ変わっています。
これには、県教育委員会の高幡地域の中心学校にという思いや、須崎高校は平

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コロナ時代の不登校とは?

コロナ時代の不登校とは?

コロナ禍においては、様々なことがネットで行われている。
仕事、飲み会、帰省、結婚式、墓参り、etc...

僕が不登校をしていた2005〜2007年。
地元では、光回線なんて通っていなくてADSLの時代。スマホもなく、僕の家にはPCもネットもなかった。
学校にはパソコン部屋があり、一太郎スマイルを使った授業があった。
ネット環境が自宅にあるような友人は、ゲームをしていたり、PCを使って様々なことを

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不登校だった僕が行き着く場所

東京に行って友人と話した時、不登校をしている子達の支援について話した。
2人が合致したのは、やはり家庭・親御さんの支援もしていかないといけないということだ。

大概の場合、家庭で親がうまくいっていない子供が不登校であったり、または違う形でSOSを求めている場合が多い。
今後は、親御さんにもスポットを当ててこのnoteを書いていきたいと思う。

閑話休題。

僕の高校の後輩が、ブランド高知という会社

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不登校だった僕〜不登校時に必要なものは、熱中できるものかも知れない

不登校だった僕〜不登校時に必要なものは、熱中できるものかも知れない

僕が不登校をしていた期間熱中できたものは、音楽でした。

①音楽を聴く
②ギターを弾き、好きな歌を歌う

この2つに熱中する事ができ救われ、また自信もついた。
あと大切なことは、辛い時間をどう誤魔化せられるかという事だと思う。
それを、音楽というもので乗り越えられたことは、本当によかった。

学校から逃げ出したくて、家にこもって何もすることがないと、考えて考えて、社会から孤立してしまう。
それを防

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不登校だった僕〜上京からの人生リスタート編

不登校だった僕〜上京からの人生リスタート編

不登校だった僕は、高校を6年通い卒業した。
その後半年間お金を貯め、上京した。
練馬区の石神井公園から徒歩5分の駅前にアパートを借りた。
家賃が安くそこそこ綺麗だった。
隣がラブホテルだったけどね。

音楽をやりたくて、上京したんだけれどお金は必要だということで普通に就活をし、5社中3社が採ってくれた。
そのうちの1社に就職するが、仕事が朝4時半〜22時とか(笑)
2ヶ月でリタイヤしました。
そこ

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不登校だった僕〜高校生活後半編

不登校だった僕〜高校生活後半編

不登校だった僕シリーズ。
今日は、高校生活後半編です!
過去記事は下記から読んでね!

高校入学編でも書きましたが、高校は6年通っています。
前半3年は定時制昼間部、後半3年は通信制に在学していました。
ここからは便宜上、高4や高6という言葉が出てきますがそういう理由ですのでよろしくお願いします。

高3の時東日本大震災が起こり、自分もの住む地域のも津波警報が出た。
バイト中だったが、お店を閉めて

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不登校になった君へ

不登校になった君へ

こんばんは。
今宵もノートを書いています。

不登校になった君へのメッセージ。

何の卑屈や、劣等感を覚える必要はない。
君の価値は学校に行くことや、社会の中で生きていくことだけではない。
そういう事に価値を見出したり、そうしたい事も僕にだってある。
ただ、人間の価値は生きることだけにある気がしている。とにかく、今日を生きる。何とか、忍び耐える。
それだけでいいじゃないか。

音楽を聴くのもいい、

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