#内省
あなたと一緒に、仕事がしたい。"働く理由" はそれしかなかった。
「みなさんに、退職のご報告があります。」
部長の口からその言葉が飛び出したとき、辞めるのは彼ではないと知っていたはずなのに、大きく心臓が波打った。
実際は、部下の退職報告を代わりにしたというだけの話だ。けれどわたしはそのとき、不意をつかれて思わず息を呑んだ。
そして、考えた。
もし、彼が今、本当に会社を辞めてしまったら。
わたしは一体、どうするのだろう?
しばらくの間、放心状態になってし
あの日、燃え尽きてしまったわたしへ。いま贈りたい3つの処方箋
昨年の4月に念願の社内表彰をされてから、わたしは生まれてはじめて、いわゆる「燃え尽き症候群」の状態に突入した。
巷では何度かその言葉を聞いたことがあったけれど、実際に体験したことはない。
だから、自分が突然「なにもやる気が起きない」という状態になったとき、はじめは「長い期間頑張っていたから、疲れが溜まっていたのかなあ」くらいにしか思っていなかった。
あれ、ちょっといつもと違うかも……?
と
"その一回" の選択が、未来のふたりをつくるから
「〇〇さん、いま離婚の危機なんだって。」
友人と話している時、ふとそんな話題が飛び出した。共通の知り合いであるその人は、「子供をつくるかどうか」という問題で相手と意見がすれ違い、平行線になり、とうとうその関係性すら解消しようとしているという。
他人の話とはいえ、それを聞いた瞬間すっと血の気が引いた。
ふたりはもう結婚してからだいぶ長い年数が経っているはずなのに、どうしてそんな大事なことを、も
26歳、はじめて「自信」が芽生えた私とこれからの自信とのつきあい方
26年間、わたしはずっと自分に自信がなかった。
なんてことを言ったら、わたしのことを知っている人は「またまたそんな冗談を…」と思うかもしれない。
たしかにわたしは人前で弱音や愚痴を言わないし、緊張していないふりが得意だし、どんなに疲れていても苦しいことがあっても大体は笑顔で平気な素振りをしているから、自信がないようには見えないのかもしれない。
あまり親しくない人には「そつなくこなすタイプだよ
社会人5年目。評価をされて初めて気づいた、自分が本当にほしかったもの
4月になり、社会人生活は5年目に突入した。
それと同時に、わたしは初めて「社内表彰」をされた。
いまの会社に入社してから、ちょうど2年。
「会社で何らかの賞をもらう」という新卒1年目からの目標をここへきて達成することができたのは、なんだか感慨深い。
特に、この2年間は前の会社にいた頃と比べて「評価されたい」「認められたい」という強い想いを抱きながら日々仕事に向き合ってきたから、ようやく最初の
私が本当にやりたかった「人と向き合う仕事」の正体は、誰かの明日を守ること
共感性が高すぎるわたしみたいなタイプの人間は、マネージャーには向いていないのかもしれないなあ……。
たった1ヶ月前、ありがたいことに社内で「マネジメント力」が評価されたのにも関わらず、わたしはまたそんなことを真剣に悩んでいた。
マネージャーに向いていないかもしれないと思った理由は、共感性が高すぎるがゆえに(ストレングスファインダーでは3位)、人の感情を察知すると、感情がまるごと乗り移って、相手
「誰かに認められる」を諦めきれなくたっていいじゃないか
「自分には価値なんてない」と思うことが、定期的にある。正確には、誰かにそう言いたくなることが。
それはたぶん、「そんなことないよ」と相手に否定してほしいからだ。
自分には価値があるんだ、このままで大丈夫なんだ。
そんな風に安心したくて、身近な人に対して、そう口をすべらせてしまうことが、よくある。
最近は、「自分には価値がない」と口にしてしまうことは、以前よりもぐんと減った。
けれど、その
何度も上書きしながら描く、わたしの理想の"10年計画"
ここしばらく、すっかり無気力な状態が続いていた。
周りにはたぶん気づかれていないくらい。その程度。
だけど自分にとっては、確かに何かが違う。身体のどこかに違和感がある。
まるで自分の中からやる気というものがすっぽり抜けて、どこかに落としてきてしまったような「足りない感覚」を、ずっと抱いていた。
転職して2年間、朝から晩まで組織の中での「評価」を得るために全力で走り続けてきたわたしは、ありがた
何度心を失ったって、"わたし本位" で生きていく。
人生で2度目の過呼吸になって、はじめて自分がこんなにもぎりぎりのところまできていたんだということを知った。
これは、つい2週間前のこと。
あの夜、わたしは "過呼吸" という状態になるまで、自分の心の状態に全く気づいていなかった。
むしろ「最近はうまくいっているなあ」なんて悠長なことを考えながら日々を過ごしていた。
夜眠りにつく前に、今日は少し疲れているなと感じることはあったけれど、年が明