あなたと一緒に、仕事がしたい。"働く理由" はそれしかなかった。




「みなさんに、退職のご報告があります。」




部長の口からその言葉が飛び出したとき、辞めるのは彼ではないと知っていたはずなのに、大きく心臓が波打った。

実際は、部下の退職報告を代わりにしたというだけの話だ。けれどわたしはそのとき、不意をつかれて思わず息を呑んだ。


そして、考えた。



もし、彼が今、本当に会社を辞めてしまったら。
わたしは一体、どうするのだろう?



しばらくの間、放心状態になってしまうかもしれない。この会社に入った意味を、見失ってしまうかもしれない。なんなら後を追って、自分も会社を辞めてしまうことだってあり得るかもしれない。

冷静に考えたら、たぶんそこまで衝動的な判断はしない。だけど、自分の感情のことだけを考えたら、そういう行動を取ったとしても、全くおかしくないなと思った。




まだ音が鳴り止まない心臓を小さな深呼吸で落ち着かせながら、画面越しに話す彼をぼんやりと眺める。


そのときわたしは、はっきりと思い出していた。



わたしは、この人と一緒に働きたくて、この会社に戻ってきたのだ。



思えばわたしの社会人人生は、ほとんど彼によって成り立っていたと言っても過言ではない。

仕事ではじめて成果を出して喜びに満ち溢れた瞬間も、生きることすらしんどくなって全てから逃げ出したくなったときも。

いつもわたしの向かう先には、彼の大きな背中があった。


1. 邂逅:始まりは、あの夏の一通だった


はじめて彼に出会ったのは、大学一年生の夏だった。

憧れていた大学生活では自分の居場所が見つからず、何か頑張りたいのに、これだと思うものに出会えない。

サークルの新歓には行き尽くし、興味のある講義は片っ端から受講した。

それでも「なんか違うなあ」と思いながら、不完全燃焼のまま、長い長い夏休みに突入することになった。


ある日偶然、そのとき登録していたメルマガから「海外経験を生かせる長期インターン」という触れ込みで、インターンシップの募集が流れてきた。

「これだ!!!」と思ったわたしは、その場で選考に応募する。

その面接で出会ったのが、今の部長であり、当時はチームマネージャーの彼だったのだ。



熱い想いと勢いだけで面接に挑んだ大学一年生のわたしは、見事、その面接に落ちた。

後から彼に理由を聞いたら、

「話し方が、全くロジカルじゃなかったから。」

とさらっと言われて、

「ロジカルになってやる…!」

と、闘志を燃やしたことまで、鮮明に覚えている。



けれど、ここで話が終わってしまったら、今のわたしは存在しない。

この話には続きがあって、当時のわたしは「どうしても、何かスキルが身に付くバイトがしたい…」と諦めきれずに直近のメルマガを全て開封し、「面接官」のバイトの募集を見つけた。

その面接は無事に合格し、晴れてわたしは「面接官」として、その会社で働くことになった。




そして、図らずもわたしは彼と再会することになる。


「面接官として、入りました。」


そう挨拶をしに行くと、


「ああ、あのときの!」


と、全く気まずくなさそうな笑顔で挨拶が返ってくる。

小さなことは気にしない人なんだろうなあ、と、直感で思った。

だけどそれは決して嫌な感じではなくて、むしろこちらの警戒心を全て解いてしまうような、安心感があるから不思議だった。


2. 憧憬:この人と一緒に、働いてみたい


アルバイトで出社するたび、彼には「事業の参考にしたいから」という理由で、わたしの海外滞在経験やそこで得た知識などについて、頻繁に聞かれるようになる。

それと引き換えに、彼からはマーケティングやビジネスの話を聞く機会が増えていった。

純粋に、そのときからビジネスに興味があったということもある。

けれどそれ以上に、こんなにも楽しそうに仕事をする人に出会うのははじめてで、彼という人間に、強く興味を惹かれた。



もっとこの人から、色んなことを学んでみたい。一緒に仕事をしてみたい。



気づくと、本業であるバイトの時間よりもその後に彼と仕事の話をする時間の方が楽しみになっていて、



「わたしはやっぱり、バイトじゃなくてインターン生として、この人と一緒に働いてみたい。」



そんな想いが、日に日に大きくなっていった。



その年の暮れ、彼からこんなお誘いが舞い込んでくる。


「またインターン生を募集するんだけど、よかったら、もう一回面接を受けてみない?」


ふたつ返事でその話を受け、今度は徹底的に準備をして、面接に臨む。

無事に合格通知が届いたときは、思わず飛び上がった。
今までもらった「合格」の中で、いちばん嬉しい2文字だった。


執念とも言えるほどの想いでようやく「インターン生」として働けるようになってから、日々は華やかに色づいていった。

大学3年生になるまで毎年サークルの新歓に通い続けるくらい、大学ではなかなか居場所が見つからなかったわたしにとって、ここが自分の居場所になった。

仕事のことはもちろん、勉強や趣味、恋愛から生き方まで、ここでの日々を通して、わたしはたくさんのことを学んだ。

大学生活が充実するようになってからもそれは変わらなくて、大学を卒業するぎりぎりまで、インターンを続けた。

大学を卒業することより、インターンを卒業することの方が、何倍も寂しかったくらいだ。




「社会人は、学生の頃の何倍も楽しいよ。俺は、今が一番楽しい。」

彼が口癖のようにそう言うものだから、わたしはその言葉を信じて疑わなかった。

実際に、卒業までの3年間、ここで働いていた時間は心の底から楽しくて、「もっともっと仕事をしたい!できることを増やしたい!」と、意気揚々と社会に出た。

社会人になったら、もっと世界が広がって、楽しい毎日が待っているんだろうなあ、と、新卒一年目を待ち遠しく思っていた。


3. 焦心:理想と現実、遠ざかる背中


弾むような心で社会人生活をスタートしたわたしは、配属後、わずか1ヶ月で大きく躓く。そして、人生のどん底時代が幕を開ける。

心身ともに人生で最も過酷な日々を過ごしていた当時のわたしは、正直なところ、毎日息を吸うだけで精一杯の状態になってしまった。

失敗続きで仕事は増え、毎日終電帰り。常に大きなミスをしていないか怯えて過ごし、上司が息を吸うときの空気の振動ですら、胃がぎゅうっと締め付けられる。

「仕事が楽しい」なんて、とてもじゃないけれど思えなかったし、「このままどこか遠い場所へ行ってしまおうかな…」と、毎日、会社の一つ前の駅に電車が停車するたび本気で思っていた。




その年の冬、「もうさすがに、このままだと自分が自分じゃなくなってしまうかもしれない」と疲弊しきったわたしは、思い切って彼に連絡を取った。

これからの働き方や、自分が進むべき道について相談できるのは、この人しかいない。

当時のわたしの頭に真っ先に浮かんだのは、わたしに「はたらく」を教えてくれた、彼だった。




そのときのことを思い返すと、今でも恥ずかしくて土の中に埋まってしまいたくなるくらい、浅はかだったなあと思わずにいられない。

そのとき自分が置かれていた環境への迷いや不安を口にすると、彼は豪快に笑って、



「今までの人生で、後悔したことって、ある?」



と言った。



想定外のところから飛んできた問いに一瞬とまどい、すぐに

「後悔は、ないかもしれないです。選んだ道を正解にしたいから…」

小さな声でそう返す。すると、



「でしょ。だから、大丈夫だよ。岡崎さんならきっと、どんな選択をしても、後悔しないから。」



相変わらず豪快な笑顔が、このときばかりは恨めしく思えた。相変わらず、彼は前しか見ていなかった。

「大丈夫」と言われて、嬉しかった。
と同時に、とても心細くなった。



彼の笑顔を、直視できなかった。



なんてちっぽけなことを相談してしまったのだろうと、自分の浅はかさを悔やんだ。明確なアドバイスをどこかで期待していた自分に気づいて、情けなくもなった。

そして何より、「だったらうちの会社においでよ」と言われるのを、どこかで期待していたのかもしれない、と気づいたとき、恥ずかしさでその場から消えてなくなってしまいたくなった。

今の自分が必要とされることなんてないと、最初からわかっていたのに。なんて甘えた期待をしていたのだろう。


彼はその後、すぐに新しい事業の話や組織の文化醸成の取り組み、今後の野望について、心底楽しそうに話しはじめた。

「いいですね、これからが楽しみですね。」

わたしは無理に笑顔をつくって頷くことしかできなくて、そんな自分が嫌になった。

一年ほど前まで一緒に働いていたはずの彼の背中が、このときはただ、ひたすら遠く感じられた。

社会人として、彼と自分の間にますます距離が開いてしまったことを、思い知らされた瞬間だった。



全身にじりじりと痛みが広がって、このまま引き裂かれてしまいそうだった。


真冬なのに、薄着で軽快に歩く彼の背中を見つめながら、


本当は、今すぐにでもこの環境から抜け出したい。だけど、このままの自分じゃだめだ……」

と、涙を堪えるしかなかった。


4. 成就:ずっと言われてみたかった言葉


それから、10ヶ月後のことだった。


「岡崎さんに、ちょっと相談したいことがあります。どこかでご飯でも行きませんか?」


突然の彼からの連絡に、なんだろう、と思いながら食事の日程を決める。

社会人1年目の終わり、わたしが「これからのキャリアについて、悩んでいる」と相談を持ちかけ、苦い想いを噛み締めたときの記憶が、ぼんやりと蘇る。




社会人2年目、秋。

その頃は、ようやく会社でも少しずつできることが増えてきて、働く環境もよくなって、心身ともに回復し、徐々に自信を取り戻しつつある時期だった。

当時、マネージャーから部長に昇格していた彼からの連絡に、「新しい事業や組織のことについて、何か相談があるのかな?」くらいの軽い気持ちで、わたしは約束のお店に向かった。


ざっとお互いの近況報告をしたあと、「そういえば、相談したいことなんだけど」と、まるで天気の話でもするみたいに、彼はさらっとこんなことを口にした。



「岡崎さんに、うちの会社にきてほしいんだ。」



最初は、副業で手伝ってほしい、という話かなと思った。けれどよくよく聞いてみると、どうやら正社員として、入社してほしい、という話だった。



何かの冗談かと思った。



いつかまた、この人と一緒に働きたい。だけどそのときは、この人に、一緒に働きたいと言われたときだ。そうなる日まで、自分に力をつけよう。

そう思って、学生インターンを卒業して、一から就職活動をして、全く新しい環境に飛び込んだ。


一緒に働きたい人に、「一緒に働きたい」と思われること。


憧れの人に、「あなたの力が必要なんだ」と言われること。


たった、それだけのため。

そう断言してもいいくらい、この気持ちは社会人2年間、ぼろぼろになりながらも諦めずに前に進み続けられた、たしかな理由だった。

だから、正直このときは夢でも見ているかのようで、目の前が滲んだ。




けれどこのときのわたしは、そんな嬉しさを悟られないように、笑ってごまかしたような気がする。

「突然のことで、びっくりしました……。ちょっと、考えさせてもらってもいいですか?」

わたしがそう言うと、



「突然なんかじゃないよ。俺は、ずっと前から考えてたんだから。」




そんな力強くまっすぐな返事が返ってきたことに、また涙腺が緩んでしまう。




まさか、こんな日がくるなんて。

思ったよりも早かった嬉しい便りに、内心、踊り出したいくらい溢れる喜びを抑えて、


「1ヶ月以内には、お返事します。」


と約束して、お店を後にした。


5. 動揺: "人"を理由にすることのリスク


そこから面接を受け、入社が決まり、当時働いていた会社に退職を告げるまでの数週間は、あっという間だった。

「1ヶ月以内」とは言ったものの、帰り道の時点で、もうわたしの心は8割がた決まっていたのだ。

転職活動すらしていなかったわたしは、同期に「こんな華麗な退職の仕方、はじめて見た。」と目を丸くされたくらい、物事はとんとん拍子で進んでいった。




仕事内容、そこで得られるスキル、会社の風土、働く環境、お給料、自宅からの距離…

色々な要素を並べて比較してみたり、人生のパターンをいくつも考えてみたり、考えうる人には手当たり次第に相談をした。

だけど結局、「いつかまた、一緒に働きたいと思っていた人と、働きたい」という強い想いが、全てに勝ってしまって、途中から頭で考えるのをやめた。

結論はあまりにも早く出てしまって、「相談したい」と会う約束をしていた何人かには、「相談じゃなくて、報告になっちゃいました」と言ったら、笑われた。




退職する直前、当時の部長との面談の場で、こんなことを言われた。


「もし、その人が会社を辞めてしまったら、どうするの?一緒に働きたいっていう気持ちは素敵だけど、モチベーションが"人"っていう、自分でコントロールできないところにあるのは、リスクが高いんじゃないかな?


たぶん、自分でも薄々気にしていたことを言われたから、心が揺さぶられたのだと思う。




この言葉を、わたしは最近、ふと思い出すことがあった。

今の会社で働いていて、「この人と一緒に働くのが、楽しい」と感じる瞬間が増えて、「やっぱり自分は、一緒に働く人が大事なんだなあ」と、しみじみ思ったときだった。


このとき、わたしは気づいたのだ。

入社した当初は、「彼と一緒に働きたい」という気持ちが、たしかに強かった。けれど、今では彼以外にも、「この人と働きたい」と思える人を、見つけることができている。社内でも、社外でも。

だとしたら、自分のモチベーションの源泉が"人"であることは変わらずに、その対象が変わったり増えたりしながら、どこへ行っても働き続けるのではないだろうか。

かかわる人や、具体的な仕事内容は変わるかもしれない。だけど、自分の「はたらく」への根本の想いは、変わらない。

どんなにリスクだと言われても、これがわたしの本心だし、手放そうと思っても、簡単に手放せるような感情ではない。




たぶんこれから先も、わたしは働く理由を"人" に見出し続けるのだろう。

その人と自分だからこそできること、つくれるもの、見える景色を、生み出したい。

その人じゃなきゃだめだし、自分じゃなきゃ、だめなこと。そんなことを、してみたい。


開き直り、とも言えるかもしれない。

だけどわたしにとっては、あのときのぼんやりとした想いに、すっと一筋の柱が立った、そんな感覚だった。


6. 過去:これまでも、"人" が理由だった


思い返すとわたしは、いつだって"人"を行動の理由にしてきた。

最終的に入社を決めた前の会社も、ずっとお世話になっていた人事の人と「一緒に働きたい!」と思ったからだった。

会社に入ってから、自分を面白がってくれる人、いいねと言ってくれる人を見つけるために、部署や年次、役職問わず70人の先輩方とランチに行き続けたのも、「一緒に働きたい」と思う人と、出会いたかったからだ。


そして今は、まだまだ雲の上の存在だけれど、「いつかこの人と一緒に働きたい」と強く想う、憧れの人がいる。

その人と一緒に働けるようになるために、仕事も含めて、企画メシやシーライクスで、スキルを身につけようと日々邁進している。

結局わたしは"人"で働き方を選んできたし、それはこれからも、変わらないのだろうなと思う。




「モチベーションを、他人に置くのはリスクが高い。」


と言う人がいる。

たしかに、裏切られてもその人のせいにはできないし、する権利も、自分にはない。


「"誰と一緒に働くか"よりも、"何をするのか、何ができるのか"を考えた方がいい。」


と言う人がいる。

仕事は価値を生み出さないといけないものだし、感情ではどうにもならないこともある、と言われたら、たしかにその通りだと思う。




だけど、わたしの「この人と一緒に働きたい」という気持ちは、自分で思っていたよりもずっとずっと執念深かったし、いちばん長く自分の中に生き続けている、心の燃料だ。

それによって生まれた価値や、それまでは見たこともなかった風景、宝物のような人たちとの出会いも、たくさんある。

この想いがあったからこそ、色々なことを成し遂げられた。だから、これは決して、ひとりよがりじゃない。きっと。


7. 未来:あなたと一緒に、働きたくて


社会人4年目の未熟な自分が、「はたらく」ということについて文章を綴るのは、正直少し、躊躇った。

だけど、自分の「はたらく」への向き合い方や想いを振り返ったときに、いま感じているこの気持ちを書き留めておきたい、と強く思ったから、言葉にしてみることにした。

いつか自分が「わたしは何のために働いているのだろう」と思ったときに、読み返して前向きな気持ちになってくれたらいいなあ、と願って。



これからどんな人と一緒に、見たことのない風景に出会うことができるのだろう。



どんな人と一緒に、心が動く瞬間を生み出せるのだろう。



「あなたと一緒に、働きたい。」



その言葉を1日でも早く、あなたの口から聞くことができますように。



明日もわたしはそんな日を夢みて、一歩一歩、前に進んでゆこうと思う。



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