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沢山の支えがあるからこそサッカーはできる。

3/6、とあるJリーグの試合の担架をやらせていただく機会があった。

そして担架を90分務めた後、改めてサッカーっていうスポーツの楽しさや面白さを感じた。

そして、またある1つのことを強く感じた。

そう、それは。


・1試合のために多くの人間が携わっている。


このことを今回、担架という運営する立場を経験してみて再認識させられた。



担架は試合中、ピッチのそばで待機している。プロの選手たちのプレーを目の前で見られる絶好のポジションだ。

その一方で、ふとピッチ以外の周りを見るとお互いのチームスタッフや審判、運営とあらゆる人の姿も見える。

この両者の姿を見られるのは担架の位置だけだろう。

観客席からではピッチはよく見えても、どんな人間がどんな運営をしているかは見えることはない。


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それにしても運営する人たちは一体何人くらいいたのか。数えてはないが、僕の勝手な推測だと100~150人くらいはいたのではないか。

担架をはじめ、ボールパーソン、アテンド、放送席の実況と解説、カメラマン、記者、審判の補佐、選手を乗せたバスの運転手、警備員、会場に電力を供給する電源車、運営責任者などなど。


これはJリーグにおいての話だが、他のリーグ戦、学生サッカー、社会人サッカーも、1試合のために数多くの人が支えてくれていることは何ら変わりはない。


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僕はいつもプレーする側だ。

105×68の長方形のピッチを走り回っている。


僕らは試合に勝利するために、仲間と喜びを分かち合うために、もっと上手くなるために、日々の練習に一生懸命に励んでいる。

だからこそ、試合に勝利した瞬間は喜びは爆発するし、このチームで良かった、最高!!って気持ちになる。


この醍醐味があるからこそサッカーが楽しい、面白い、まだ続けたいと思わさせてくれる。


でも、サッカーができるのは多くの人間が関係しているからだということを忘れずにプレーしていきたい。

どんな人間が携わっているかともっと細かく言えば、ボールを作る方や、人工芝・天然芝を手入れしてくれるグランドキーパーの方、照明を提供してくれる電力会社、スパイク・すねあてなど道具を作ってくれる人などなど。

挙げればきりがない。


しかし、これだけ多くの人間が支えてくれているからこそ、僕は僕たちはサッカーという世界中で人気のスポーツをプレーすることができる。


沢山の方の支えがあるからことに感謝しなければならない。

この気持ちを忘れずにこれからもサッカーを続けていきたい。

というか、この気持ちを忘れたらサッカー選手の前に一人間として失格、身を滅ぼすだろう。

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社会人でもサッカーを続ける理由


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