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熱狂/ザ・モンキーズ旋風.60’洋楽アイドル
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ170枚目
![](https://assets.st-note.com/img/1673762753492-I73ISr9u1b.jpg?width=800)
1967年の秋、テレビからある新番組が生まれた。
この非常にインパクトのあるイントロと共に、、、
「Here we come~~~🎶」
僕の頭はぶっ飛んだ。
『なんて、素敵な曲だろう!』
当時中学生だった僕が、翌朝学校へ行くと教室で皆が騒いでいた。
「昨日、あのテレビ見た?!」
「見た〜〜〜〜!!!」
と。
口ずさんでいる仲間もいた。
「Here we come~~~🎶」
と。
みんな、同じ番組を見た興奮に酔っていた。
作られたバンド
60’sの洋楽シーンでモンキーズは忘れられないバンドだ。
1966年にアメリカ版ビートルズを目指して企画され、オーディションの末に集められたのがモンキーズの4人だった。それが、テレビの新コメディ番組「ザ・モンキーズショー」となり、テレビと連動してレコードが売り出された。謂わばメディアミックスの走りでもあった。
この企画は大成功し、モンキーズはあっという間に人気グループになった。
それも只の人気グループではない、超人気グループだ。
デビューアルバム「恋の終列車 (The Monkees)」は、テレビとの相乗効果により500万枚を売上げる大ヒット。
デイビー・ジョーンズの甘いマスクも手伝って、モンキーズは瞬く間に世界を席巻した。
「デイドリーム・ビリーバー」などの優れた楽曲にも恵まれた。
他にも「恋の終列車」、「すてきなバレリ」、「D・W・ウォッシュバーン」などのヒット曲が次々と街角に流れた。世界中のティーンエイジャーが夢中になってレコードを買った。僕もLpを一枚買ったのを覚えている。
だが、ブームはあっという間に去った。
あまりの楽器演奏の不味さ(レコードやテレビの演奏はスタジオミュージシャンによるものだった)や自分達の作った楽曲を歌いたいと願う彼らとプロデューサーとの軋轢、肝心のテレビ番組の脚本の不味さも失笑を呼んだ。こうして、ファンの期待を裏切り、テレビ番組「ザ・モンキーズショー」は1968年3月に終了してしまう。誕生してわずか1年半余りの事だった。
日本でも武道館コンサートでの大失敗を機に人気は一気に凋落。ロックバンドなのに演奏ができないことが露呈してしまったのだ。
けれど、、、
けれど、僕はやっぱりあのモンキーズのイントロを初めてテレビで聞いた最初の夜が忘れられない。
「Here we come~~~🎶」
「デイドリーム」も「バレリ」も皆いい曲だった。
色々あったけれど、あの4人組が僕らの青春の1ページを彩ってくれたのは確かな事だ。そうして、彼らは竜巻のように去っていったのだ。
ミッキー・ドレンツは、本当に甘くていい声をしていた。
*楽曲を自分達で作るビートルズやストーンズのような本格的なロックバンドではなく、既成の作詞/作曲家が作った曲を歌うという意味ではモンキーズ
は多くの日本のグループサウンズに似ていた。モンキーズの時代は日本のGSブームとピタリと重なる。
*ザ・モンキーズショー
テレビ・シリーズ=米国NBC系列1966年から.日本ではTBS系列1967年から。
デイビー・ジョーンズ、ピーター・トーク、マイク・ネスミス、ミッキー・ドレンツの4人組。1970年解散後もメンバーを変えながら何度も再結成され、オールドファンを楽しませた。
*デイビー・ジョーンズは2012年死去。他の2人もすでに亡くなり、ミッキー・ドレンツだけが存命中。
*<©2023もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2023 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)
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