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むるめ辞典–日々−

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2020年5月の記事一覧

むるめ辞典

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■貢士

[読]こうし

貢の士

[例文]
体育会系のしきたりだとか、年功序列の政治的世界に浸った人達と一緒にいるのがいやさで入ったつもりのアパレル業界なのに、大企業で、そんな連中とそっくりなのが出世したりしている。

これまで個人で顧客を作っていく高単価のメーカーから転職してきた私にとって、驚くほど無駄にしか思えないことに、みんなが気を配っている。

とうとう年貢の納めどきがきた気がした。これ

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■別離

[読]べつり

別つ離

[例文]
気がつけば隣にいて何でも気兼ねなく話せる上に心の深いところから敬意の湧き立つような友人がいた。

磁石に引き付けられる鉄片のように引き付けられて出会い、見えない糸で繋がれたまま別れたような友人だった。

普段はできないことも、その人が近くにいれば乗り越えられる気がして実際に乗り越えた。

野をこえ山こえ海こえて見つけた1000人よりも私に力をくれた。

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■電話

[読]でんわ

携帯電話がなかったころの話

[例文]
あたりの闇にもしっとりと潤いを与える雨の夜に初めてできた恋人と電話をしていた。

付き合ったばかりの私たちには話すことがたくさんあった。何が好きなのか、誰と仲が良いか、今ほしいものは何か、目の前に何があるか、今日は何を食べたかとか。とにかく話題はなんでもよかった。私たちは毎晩のように長電話した。

彼女はサックスを欲しがっていた。

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■失敗

[読]しっぱい

失う敗

[例文]
私の受験は終わった。その夜カーテンは閉ざされて、雨夜のようにしっとりとした部屋は闇に濡れて薄暗かった。

美しいものはまるで無くなってしまい、あたりの気配は鋼鉄のように冷たくなっていた。小さな音でスピーカーから流れる父のクラシック音楽が氷のように部屋の冷たさを増していた。

これまで私が詰め込んできた知識と時間は無意味に死んでいきこの場で弔われている

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■背中

[読]せなか

背の中

[例文]
柔らかいシャーベットがスプーンにひとすくいされたように山はえぐられていて、そこから海までの間には日に焼かれたセメントと灰色のくたびれた鉄工場が横たわるように並んでいた。

広大な鉄鋼施設の中には運動広場や娯楽施設もあったが、海と陸の境目にあるすみっこの魚市場がいつも賑わいを見せていた。

潮で錆びた頼りない簡易テーブルの上に発泡スチロールを並べて、鯒や

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■離婚

[読]りこん

離れた婚

[例文]
男物の見知らぬ靴が律儀なリスの前歯みたいに固く玄関に並んでいるのをみて、生まれて初めて静寂のざわめきというものを耳にした。

遠雷が轟くように胸の奥に響いたあと黒くて重たいものが全身をかけまわり、頬は痺れて、時間をひどく長く感じさせた。

玄関に立ちすくんで静寂の後に聞こえてきたのは、ガラガラと音を立てて崩れていく未来であり、これまでにないほど頭がク

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■進化

[読]しんか

進む化学

[例文]
その国道はトラックの排気ガスや工場の黒煙が太陽に徐々に焼かれながらアスファルトをはね返り周辺いっぱいに淀んでいた。

信号を左折して山道に入る。麓にはゴルフの練習場と野球用のコートがあった。勾配が急になってくると、道はクネクネと曲がりそこで視界に入るのは、白い岩肌が剥き出しにされた崖と海に沈もうとする金色の太陽だった。

山の中腹には病院があった。こ

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■帰路

[読]きろ

帰り路

[例文]
学校からの帰り道、彼女と手を繋いで歩いていたら路上に赤いボルボが駐車されているのを見つけた。

カッコよかった。

畑に囲まれた路上に流れる血のように赤いVOLVO‘V70に向かってゆっくりと近づいた私は、彼女の手を離して車内を覗きこんだ。

後部座席で寝そべっていた男と目があい、しまった、と私は思った。パッと視線を外して彼女の手を取り直し、少し遠い向こ

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■空洞

[読]くうどう

空の洞

[例文]
帰省していても落ち着かなくて、この連休が明けて実行しなければならない仕事の不快さが、じんわりと薄い影になって私のそばから離れなかった。

黒い恐怖に常に押し込まれていて、まんじりともせず、頬が痺れているのをそのままにしておいた。

そういうわけで今そこにあるはずのない緊張を抱えたまま帰省中の時間を過ごした。私を安心させたのは両親が元気そうだということ

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■同僚

[読]どうりょう

同じ僚

[例文]
同僚は優秀でパソコンに詰め込まれた仕事を手際よく整理していく。いつもコーヒーは冷めていて、土砂崩れの跡みたいに茶色の筋を拡げたコップが二つ、汚れたまま置かれている。

その横には来客用の紙コップホルダーが二つ並んでいて、一つは会社用の携帯電話、もう一つは自分のスマートフォンを差し込んでスタンド代わりにしている。

マナーモードに設定した会社携帯が緑

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悪馬

[読]あくば

悪い馬

[例文]
子供用のおもちゃ売り場で娘が遊んでいると、髪の長い上品な少女がフラッと近くにやってきた。

私は娘のすぐ後ろに立っていたので、その少女がラルフローレンの馬の絵のかかれた靴の踵の部分で娘の足をグッと踏んづけたのを見た。娘はパッと足を一歩引いた。

それでその少女はこちらを一度も見ずに娘がいた場所にグイッと入り込んで遊び始めた。子供も大人もやることは一緒だな

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