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アラブ世界の近現代美術に関する文献リストを公開します (逐次タイトルを追加)

19世紀末〜現代のアラブ世界、西アジア、イスラーム社会の視覚文化全般(主には近現代美術)に関わる勉強+旅を、アカデミアの世界とは関わらず一在野研究者として、いや、ディレッタントとしてひさしく続けています。その過程で接した書籍・論文・記事等から、書籍市場やオンライン書店、版元から比較的容易に入手可能なタイトルを選び、上のFacebookページで紹介しています。2024年5月から入力作業をはじめました。半年でおよそ300点を一区切りにと考えています。ただしこれは書評でも初学者にむけた基本文献リストでもなく、自身の忘備録であり私的なリポジトリにすぎません。関連のエッセイをnoteでいずれ公開する予定です。

アラビア語とペルシャ語の文献(芸術家によるマニフェストなど)を参考資料として一部に含みますが、英語とヨーロッパ諸語による記述が中心です。残念ながら、近現代のアラブ世界の視覚芸術に関してある程度のボリュームをもつ書籍や論文で、日本語で書かれたものは今のところ皆無です。各ポストにはタグを付しました。なお、Facebookの機能として、ページ内の全文検索?ができるようです ... ときに漏れがあるので、出力の確度は期待できないと思いますが。

凡例
整理番号にふった添字で以下のカテゴリーに区分しています。カテゴリーは今後において追加する可能性があります。
BOOK:フィジカルないしe-bookのかたちで市場流通する書籍。open acessやパブリックドメインとしての無償配布。internet archive-digital library等での無償閲覧を含む。
PAPER:ジャーナルに投稿された査読付き論文、雑誌メディア等での論文・エッセイ、ニュースアウトレットでの署名付論説など。学術論文についてはジャーナルのポータルやAcademia.com等の論文リポジトリから入手可能なものを中心に。REFERENCE:芸術運動など特定の主題を定めた年表、宣言書・書簡(日本語訳付)、歴史的意義のある写真とその解説、掲載許可を得た作品。
加えて、
EXTRA:アブストラクション、マニュスクリプト、非同盟主義、修復的司法、サウス=サウス運動、難民問題、フェミニズム、エコ=フェミニズム、ポスト=オイル、帝国主義、オリエンタリズム、ポストコロニアリズム、LGBTQ、グローバル・ライト[世界的右傾化]、ポピュリズム、新自由主義、アラブ/イスラーム嫌悪 ... 投稿者が個人的に抱えるいくつかの関心事や一般的主題については、アラブやイスラームの地域研究的・地政学的なフレームワークの外部での論考や資料を補足。

長文の内容解説や各種の引用を含む場合があります。しかし、Facebookページではイタリック体やボールドでの表示が叶わないために、書名や引用箇所の強調ができません(現在のところ引用符で括る手間をかけていません)。ご容赦ください。

たとえばこんな本。

Under the Skin: Feminist Art and Art Histories from the Middle East and North Africa Today
Ceren Özpınar (ed.), Mary Kelly (ed.)
Abstract: Through 12 chapters, Under the Skin brings together artistic practices and complex histories informed by feminism from diverse cultural and geographical contexts: Algeria, Egypt, Iran, Israel, Lebanon, Palestine, Saudi Arabia, Syria, Tunisia and Turkey. The aim is not to represent all of the countries from the Middle East and North Africa, but to present a cross-section that reflects the variety of nations, cultures, languages and identities across the area—including those of Berber, Mizrahi Jews, Kurdish, Muslim, Christian, Arab, Persian and Armenian peoples. It thus considers art informed by feminism through translocal and transnational lenses of diverse ethnic, linguistic and religious groups not solely as a manifestation of multiple and complex social constructions, but also as a crucial subject of analysis in the project of decolonising art history and contemporary visual culture.
※キャプション、おかしいでしょう?左揃えやイタリック(本文も)ができるようにしてほしいな haha

Facebookページのカバーには、この写真を「停戦」まで掲げることにします。

出典: https://www.aa.com.tr/en/middle-east/-israel-destroyed-central-archives-of-gaza-city-head-of-gaza-municipality/3068555?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR0Ei7aiF-xYPjZhbrowi8IrsAR5TZ_cLt4ZN07Z1Gh6Y926vvpeeV-TwdI_aem_AZNq1Ns3YWlwuViz7uXRY_rHE5KU4Gk_qXHIk85-G-Lle0ICY02orvSM0rFcuwwF3xq1zGIhlRzFjOzYB1_96wLn

2023年11月の空爆で破壊されたガザ・中央公文書館の無惨な姿です。150年遡及できる貴重なパレスチナ史の資料と公文書がほぼ一瞬にして消えた。その目的は民族の綴られた歴史を抹消すること。1948年の「建国の大義」を他者の民族誌アーカイブの破壊によって完成させること。ガザの全ての図書館と大学がすでに瓦礫と化しました。東京空襲の米軍でさえ、国家の歴史を戦後に綴り継ぐための公文書館や議会図書館に爆弾や焼夷弾は落とさなかった。その中東史の欠落をほんの一部でよいから修復したい ... そんな想いが私にはあります。

本の物語をひとつだけ。欧米中心の世界美術史には登場するはずもありません。とはいえ、これは日本の中東外交史や現代美術史とも接続します。1978年春、レバノンのベイルートでパレスチナ解放機構PLOの造形美術部門による国際展「パレスチナ国際美術展」が開催されました。有名どころではチリ出身のシュルレアリスム画家、ロベルト・マッタ(ゴードン・マッタクラークの父)が。日本人の美術家も数名出品しています。展覧会カタログが下です。そして、美術評論家の針生一郎を中心とする交流組織が、同年夏に上野の東京都美術館でパレスチナの画家の作品を展示。しかし、ベイルートでさらなる国際巡回展を待っていた作品のすべてが、1982年6月のイスラエル軍レバノン侵攻によって、保管していた建物もろとも焼き尽くされてしまったのです。上の公文書館にもこの図録が所蔵されていた事は目録で数年前に確認しました。なんという暴力の連鎖でしょうか。
レバノンの2人の若い研究者ラシャ・サルティとクリスティン・クーリは、50人以上のインタビューを含む数年の調査活動のすえ、この失われた第三世界巡回展の構想と思想の全貌を明らかにしました。同時に1960 年代から 1980 年代にかけてチリ他の3つの大陸の都市で反帝国主義の連帯運動に関連した博物館学的実践の紹介と交差させたかたちで、アーカイブと資料による展覧会「Past Disquiet 過去の不穏」をキュレーションし各国を巡回しました。同名の大冊の資料・論考集が刊行されています。
当時、自民党の大平正芳首相がパレスチナの国家主権と領土の整合を認める答弁を国会でするほどパレスチナと日本の関係は接近していましたが、美術史家でありキュレーターでもある彼女らは、西側同盟諸国の一角から非同盟主義の第三世界セクターと美学的連帯を試みた針生の努力を高く評価しています。
ところが、ガザ侵攻が半年を迎えた2024年4月、パリのパレ・ド・トーキョーに巡回したPast Disquiet展は、それが反ユダヤ主義的であるとして在仏の親イスラエル系組織から抗議を受けたのです。政治学的美学に基づくひとつの抵抗表現をめぐる暴力と不審と再生と可能性の因果は、45年の時をこえてなお不幸なビリヤードを生んでしまいました。ヤーセル・アラファトPLO議長のメッセージも載ったこの図録は、今回の書誌目録にすでに登録してあります。

日本国内では東京都現代美術館・美術図書室と国立新美術館・アートライブラリーが閉架で蔵書しており所定手続きを経て閲覧できます。
Past Disquiet展の詳細については、例えばこちらを、
https://themarkaz.org/past-disquiet-at-the-palais-de-tokyo-in-paris/

武力や抵抗の威力がバランスしない「非対称紛争」(米製の精密ミサイル vs 道端の石)の外部性に賭した人文学的なアライアンス、連帯、絆とはそういうこと。暴力によって失われた書物の鎮魂としての書誌の再建というものがあってもよいはずです。その語の最も広い意味での「緊急性=今だから」という時制を読者や観客の生の現在に向けて放たないテキストも作品も、反語的に聞こえるやもしれませんが、老いた私にはもう関心がありません(この春72歳になりました)。私達一人ひとりの経歴や専門性やスキルを起点に、パレスチナの主権の主張の歴史と70年以上今日まで続く危機を訴えるすべは他にもいろいろあるはずです。

さて、このポストの見出し画像は、1977年にマネジャーの勧進でクウェートでの個展開催と石油富豪への「営業」に渋々赴いたアンディ・ウォーホール。この前には、当時はアメリカの傀儡国とも呼ばれたパフラヴィー朝イランを訪問し、 シャーと王妃の肖像画制作のオーダーを受けました。テヘランの現代美術館には、ホメイニ革命以前にオイルマネーで買った5000億円相当と言われるアメリカとヨーロッパの現代美術作品コレクションが公開の制限(禁止ではない)を受けて眠っています。理由はヒジャブを強制する法の根拠と同じ。
とはいうものの、モロッコの旅で自らのインスピレーションに新しい深層を得たロバート・ラウシェンバーグとサイ・トゥオンブリ、あるいはアルジェリアのパウル・クレーとはちがい、ついでに言えば現在の大半の日本人と同じで、ウォーホルはアラブとペルシャの歴史や風土、そして石油の時代に突入する特異なモダニティには全く関心を示しませんでした。せいぜいラクダとペルシャ湾岸の真珠採り。そこも日本社会に似ています。