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文学系

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文学(特に小説)について、日頃から感じていることをつらつらと語ります。
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柴田勝家「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」にリベンジを挑む

柴田勝家「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」にリベンジを挑む

 いつもお疲れさまです。

 皆さんは柴田勝家という方をご存知でしょうか?

 と聞くと、織田信長に仕えた戦国武将を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、私は文学好きなので柴田勝家といえばSF作家の方を思い浮かべます(すっとぼけ)。

 柴田氏の代表作を挙げるならば、デビュー作にして第2回SFコンテスト大賞受賞作の『ニルヤの島』、第52回星雲賞の日本短編部門に選ばれた「アメリカン・ブッダ」といった

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これからの図書館の在り方について、司書見習いがアレコレ考えてみた

これからの図書館の在り方について、司書見習いがアレコレ考えてみた

 いつもお疲れさまです。

 久々に文学的な話をしましょう(唐突)。

 リコリコで百合の尊さを感じて、ガンダム水星の魔女12話目でガンダム初心者にとってえげつない洗礼を浴びて、何かとアニメ熱が高まる日々を過ごしてましたが、ちゃんと原点に立ち返ろうと思い至ったわけです。

 そう考えたきっかけは、Twitterのあるツイートでした。その時も、ROMりながらTwitterのTLを眺めていました。FG

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平和な国の住民にできることとは 〜米澤穂信『さよなら妖精』から読み解く〜

平和な国の住民にできることとは 〜米澤穂信『さよなら妖精』から読み解く〜

 いつもお疲れさまです。

 遅ればせながら、米澤穂信氏の『さよなら妖精』を読了しました。

 米澤氏の作品に関しては「古典部シリーズ」と短編集の『満願』ぐらいしか読んでおらず、もっと他の作品にも触れておきたいなと考えていました。

 数ある作品の中で『さよなら妖精』を選んだのは、この物語が今は無きユーゴスラヴィアを題材にしており、その背景には戦争が関わっているからです。

 2022年の2月ごろ

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杜乃日熊の文学論、その源流

杜乃日熊の文学論、その源流

 いつもお疲れさまです。

 最近、拙稿の「現代文学の行く末は何処へ」を、今でも「スキ」していただいてます。1年半ほど前に書いた記事であるにも関わらず、読んでくださる方がいらっしゃることは大変嬉しい限りです。

 この記事では、柄谷行人氏の『近代文学の終り』を出発点にして、日本文学は衰退しているのかという問いを投げかけて、最後には文学とは「教え(教訓)」を内包した言語芸術なのだ、という持論を展開し

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「スナックカルチャー論」延長戦 〜文学かぶれが語る雑多な所感〜

「スナックカルチャー論」延長戦 〜文学かぶれが語る雑多な所感〜

*2022年1月13日に一部修正しました。

 いつもお疲れさまです。

 現実という名の土中に潜るモグラと化していたここ最近は、ある記事について執筆していました。それが「蓼食う本の虫」さんに寄稿させていただいた『物語を消費せよ──「動物の時代」の文学論』という記事です。

 これまでに「蓼食う本の虫」さんでは三度寄稿させていただきまして、今回はそれよりも4倍ほど長い文章になります。想定の文字数を

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映画原作の「円弧」を目的で購入したケン・リュウの『もののあはれ』ですが、「良い狩りを」の方に衝撃を受けました。

この作品で描かれた、妖怪変化が実在する世界で描かれる近代社会の縮図。

ラストの“飛翔”は、現代人が忘れかけている原風景の復活を期待させてくれます。

伊藤計劃原作のアニメ『ハーモニー』『虐殺器官』を再視聴。

初めて観た時は分からなかったけれど、伊藤計劃はこんなにも「言葉」や「物語」に関心を抱いていたのかと遅ればせながら気がつきました。

そして、そのテーマが何よりも私好みだったわけです。原作の方も再読しておかねばっ。

内沼晋太郎氏の「これからの本屋読本」を近所で即買い。

この本には、本と本屋に対する愛がめいっぱい込められています。

ネットが普及していく中でも、リアルの本、リアルの本屋はこれからも必要とされるだろうという希望が見出せたように思います。

『動物化するポストモダン』『物語消費論』って予言書のようだ。
何故なら、物語マーケティングはますます展開しているし、物語コンテンツの大量生産は苛烈化しているから。
芥川vs谷崎論争の中でも芸術の大量生産について言及されていて、この問題はずいぶんと根深いなぁと思う今日この頃です。

芥川vs谷崎論争について改めて読んでみると、論争の主軸である「話の筋のない小説」以外にも学ばされる話題が豊富にあるのを感じました。
「芸術さえ大量生産を要求している」という芥川の一文などは、まさに今の商業主義的な創作界隈を物語っているかのようです。

『推し、燃ゆ』読了しました。
「推しを取り込むことは自分を呼び覚ますこと」という一文には、何故だか強く惹かれました。
好きなモノを好きと言う行為は、得てして自分の心の糧となる。そのことを再認識させてくれました。

何より、ここ数年の芥川賞にあった「アク」がなかったのも好印象です。

中島敦の『文字禍』を読んで、言葉というツールが持つ無限に等しい可能性を垣間見たように思います。
文字が人の人生に侵蝕するという発想は、「0」と「1」から構成される電子空間と共存して生きる現代においても通じるものがあるのではないでしょうか。

現代文学の行く末は何処へ

現代文学の行く末は何処へ

 いつもお疲れさまです。

 ↑のやつを恒例の挨拶文にしようかと思います。誰に求められたわけでもなく、ほんの思いつきです。

 さて、今回のテーマは「文学の現状」についてです。こんなに文学の在り方について真剣に考える人間は、果たして私の年代で何人いることか……。愚痴はここまでにします。

 日本を代表する文芸評論家に、柄谷行人という方がいらっしゃいます。
 この方は著作『近代文学の終り』(2005

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江國香織「前進、もしくは前進と思われるもの」を読む

江國香織「前進、もしくは前進と思われるもの」を読む

*この記事は、私が2019年に大学の文芸部に所属していた頃に執筆したものをそのまま掲載しています。今読んでみると、とても痛々しくて火傷してしまいそうな文章になっていますが、自分が考えた内容については今でも十分に通用するものだと考えています。
ですので、基本的には修正せず原文のまま載せています。温かい目で読んでくだされば幸いです。

 二〇一九年七月二八日、大阪府中央区南船場にある文学バー「Lise

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