作家・志賀内泰弘

著書に「№1トヨタ レクサス星が丘の奇跡」「なぜ、あの人の周りに人が集まるのか?」共に…

作家・志賀内泰弘

著書に「№1トヨタ レクサス星が丘の奇跡」「なぜ、あの人の周りに人が集まるのか?」共にPHP研究所、「なぜそうじをすると人生が変わるのか?」ダイヤモンド社等多数。小説は有名私立中学の入試問題に採用。PHP増刊号に小説、毎日新聞等にエッセイを連載中。

記事一覧

京都祇園甲部・「一力亭」さんで、舞妓さんと思わぬ再会

 もう30年も祇園甲部で「お茶屋遊び」をしているという友人のお供で、歴史あるお茶屋「一力亭」を訪ねました。  なんと! 芸妓・舞妓さんが六人も!  さすが懐具合が温…

祇園のお茶屋の女将(おかあ)さんに教えてもらった喫茶店の玉子サンド

 世の中には美味しいものがたくさんあります。  でも、人によって好みはいろいろ。  朝食にパン派VSごはん派  白みそVS赤みそ  粒あんVSこしあん  コロッケに…

フランチャイズと侮るなかれ、京都の上島珈琲店には枯山水庭がある

 京都の街をぶらぶらしていて、ちょっと一服という時、「京都ならでは」というお店を探します。  庭を愛でつつ、お抹茶を振る舞っていただけるお寺もあります。  鴨川を…

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大混雑。京都・城南宮の落ち椿に、素直な生き方を学ぶ

   人混みが苦手です。  なので、花見の時期になっても、いわゆる桜の名所へは出掛けたことがありませんでした。  でも、自分ではわかっていました。  ただ、混雑が嫌…

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京都・城南宮で忘れてはならない期間限定・松甫堂の「椿餅」

よく、「三度目からの京都」なる類のタイトルの雑誌を見かけます。 まず一度目は、修学旅行で行く清水寺、東寺、二条城、金閣寺、伏見稲荷など。 二度目は・・・詩仙堂に東…

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かつて、父親が願いを果たせなかった祇園のお茶屋遊び

  京都が好きです。 おそらく五百回くらいは訪ねています。 よく言われます。 「そんなに好きなら、引っ越せばいいのに」 真剣にそう思い、物件を探したこともあります。 …

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京都・祇園甲部「吉うた」が火災に。女将の生き様に心震えました

「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズを書くにあたって、版元のPHP研究所さんから紹介いただき、まずはお茶屋や遊びを体験することから始めました。 お世話になっ…

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学生時代の「大文字の送り火」の苦くせつなく、淋しい思い出

 拙著、「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズの第1巻で、8月16日の「京都五山送り火」にまつわるこんなシーンがあります。 室町時代創業の和菓子店「風神堂」の社長…

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「京都五山の送り火」日帰り15分滞在弾丸ツアー

  8月16日は、京都では特別な日です。  お盆の精霊を送る伝統行事「京都五山送り火」があるからです。 東山の「大の字」、松ケ崎の「妙・法」、西賀茂の「船形」、大北…

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祇園祭が始まった~!と気分が盛り上がる大丸京都店の『のれん』

  祇園祭が近づくと、街のあちらこちらから「待ちきれない」という声が聴こえてくるような気がします。  例えば、京都駅の新幹線コンコースに、  コンコンチキチン コ…

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憧れの祇園祭宵山デートで、苦い目に遭った思い出

  おかげさまで、拙著「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズは、第9巻までお話を重ねることができました。どの巻も、京都の名所旧跡やスイーツとともに、春夏秋冬の…

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祇園祭の「鉾建て」を、時間を忘れて見入ってしまう

 祇園祭が好きです。  学生時代に、初めて山鉾巡行を見に来た時には、「雅さ」と「荘厳さ」に圧倒されて感激してしまいました。 ところが、その時は、祇園祭というと、そ…

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お御籤で「吉」よりも、「凶」が引きたいと願っても、なかなか出ないものです

 おかげさまで、拙著「京都祇園もも吉庵のあまから帖」の第9巻が発売になりました。  この第5話のプロローグでは、「お御籤」が重要なポイントになります。   初詣に行…

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京都は梅雨時でも花とスイーツで楽しめる

  雨が似合う花といえば、ダントツ、紫陽花でしょう。  京都で紫陽花といえば、なんといっても三室戸寺。  その数、2万株というから、圧倒されます。 そして、善峯寺に…

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京都では6月30日に水無月を食べるのが習わし

  遥か昔のことです。  忘れもしない6月の30日。  梅雨の晴れ間でした。  仕事で京都を訪ねた際、帰り道に乗ったタクシーのドライバーさんから、  「いいお寺がある…

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言うは易し、行うは難しの京都のお寺の掲示板

 人生で、三度、とてつもなく辛い目に遭ったことがあります。  一度目は、35歳の時。  上司のパワハラに遭って、耐えに耐えたあげく、内臓が爆発するかのように大量出血…

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京都祇園甲部・「一力亭」さんで、舞妓さんと思わぬ再会

京都祇園甲部・「一力亭」さんで、舞妓さんと思わぬ再会

 もう30年も祇園甲部で「お茶屋遊び」をしているという友人のお供で、歴史あるお茶屋「一力亭」を訪ねました。
 なんと!
芸妓・舞妓さんが六人も!
 さすが懐具合が温かい友人のこと、お大尽です。
 (その後、彼から届いた請求書を見て目の玉が飛び出しそうに・・・)
 
 さて、宴席が始まってからずっと私の隣で相手をしてくれたのが、「亜佐子」さんでした。宴もたけなわの頃になって、ようやく名刺を交わしたと

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祇園のお茶屋の女将(おかあ)さんに教えてもらった喫茶店の玉子サンド

祇園のお茶屋の女将(おかあ)さんに教えてもらった喫茶店の玉子サンド

 世の中には美味しいものがたくさんあります。
 でも、人によって好みはいろいろ。
 朝食にパン派VSごはん派
 白みそVS赤みそ
 粒あんVSこしあん
 コロッケにソースVSしょうゆ
 コーヒーVS紅茶
 
 私は幼い頃から玉子サンドといえば、潰した茹で玉子をマヨネーズで合えたものだと思い込んでいました。それが、ある日、厚焼き玉子をはさんだ玉子サンドを食べて、「こんな玉子サンドがあったんだ」とびっ

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フランチャイズと侮るなかれ、京都の上島珈琲店には枯山水庭がある

フランチャイズと侮るなかれ、京都の上島珈琲店には枯山水庭がある

 京都の街をぶらぶらしていて、ちょっと一服という時、「京都ならでは」というお店を探します。
 庭を愛でつつ、お抹茶を振る舞っていただけるお寺もあります。
 鴨川を眺めつついただくコーヒーやスイーツは格別です。
 「よし!今日は、スマート珈琲店で、ホットケーキを食べよう!!」
と決意して向かいました。
 ところが、です。
 寺町専門商店街を歩いていると、遥か遠くから行列が見えました。
 そうなんです

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大混雑。京都・城南宮の落ち椿に、素直な生き方を学ぶ

大混雑。京都・城南宮の落ち椿に、素直な生き方を学ぶ

   人混みが苦手です。
 なので、花見の時期になっても、いわゆる桜の名所へは出掛けたことがありませんでした。
 でも、自分ではわかっていました。
 ただ、混雑が嫌なだけではない。
 要するに「京都通」ぶって、
 「みんなが押し寄せるところには行きませんよ」
と、見栄を張っていたのです。
 ところが年を重ねると、「生きてるうちに、見ておきたい」と思うようになりました。
そうです、歳を取って少しは「

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京都・城南宮で忘れてはならない期間限定・松甫堂の「椿餅」

京都・城南宮で忘れてはならない期間限定・松甫堂の「椿餅」

よく、「三度目からの京都」なる類のタイトルの雑誌を見かけます。
まず一度目は、修学旅行で行く清水寺、東寺、二条城、金閣寺、伏見稲荷など。
二度目は・・・詩仙堂に東福寺、大徳寺に仁和寺というところでしょうか。
でも、三度目でも、なかなか城南宮を参拝する人は少ないに違いありません。
 
城南宮は、平安京が遷都された当時、都の南を守護し国の安泰を願って創建されました。引っ越しや工事、家相などの「方除(ほ

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かつて、父親が願いを果たせなかった祇園のお茶屋遊び

かつて、父親が願いを果たせなかった祇園のお茶屋遊び

  京都が好きです。
おそらく五百回くらいは訪ねています。
よく言われます。
「そんなに好きなら、引っ越せばいいのに」
真剣にそう思い、物件を探したこともあります。
でも、訪ねれば訪ねるほど、その歴史の重みを感じるととともに、とても風習や習わしについて行けないと、臆してしまうのです。
結局、自分は、生涯を「京都をこよなく愛する旅人」でありたいと思うのでした。
 
たしか小学六年生の時だったと思いま

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京都・祇園甲部「吉うた」が火災に。女将の生き様に心震えました

京都・祇園甲部「吉うた」が火災に。女将の生き様に心震えました

「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズを書くにあたって、版元のPHP研究所さんから紹介いただき、まずはお茶屋や遊びを体験することから始めました。
お世話になったのは「吉うた」。歌舞踊曲「祇園小唄」ゆかりのお店として知られ、アカデミー賞監督のフランシス・コッポラも訪れたことがあるという有名なお店です。
何度も通いつめるうち、「吉うた」の女将(花街では「お母さん」と呼ぶ)の「生き様」に惚れ込みました

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学生時代の「大文字の送り火」の苦くせつなく、淋しい思い出

学生時代の「大文字の送り火」の苦くせつなく、淋しい思い出

 拙著、「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズの第1巻で、8月16日の「京都五山送り火」にまつわるこんなシーンがあります。
室町時代創業の和菓子店「風神堂」の社長秘書のなった朱音と、京極社長の会話です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
「どうしたんだね、泣いてるのかい」
京極社長が、突然、移動のタクシーの中で話し掛けてきた。
「いいえ、なんでもありま

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「京都五山の送り火」日帰り15分滞在弾丸ツアー

「京都五山の送り火」日帰り15分滞在弾丸ツアー

  8月16日は、京都では特別な日です。
 お盆の精霊を送る伝統行事「京都五山送り火」があるからです。
東山の「大の字」、松ケ崎の「妙・法」、西賀茂の「船形」、大北山の「左大文字」、そして、嵯峨の「鳥居形」と、午後8時頃から5分ごとに順々に火が灯ります。
5つの送り火はすべて京都市登録無形民俗文化財です。
拙著、「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズでも、「京都五山送り火」を物語の舞台に取り上げ

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祇園祭が始まった~!と気分が盛り上がる大丸京都店の『のれん』

祇園祭が始まった~!と気分が盛り上がる大丸京都店の『のれん』

  祇園祭が近づくと、街のあちらこちらから「待ちきれない」という声が聴こえてくるような気がします。
 例えば、京都駅の新幹線コンコースに、
 コンコンチキチン コンチキチン
と、祇園囃子の音が流れます。
 
 四条大通では、ショーウィンドーに山鉾のミニュチュアがずらりと飾られたり、山鉾のある町内の中学校では先生や生徒が浴衣で通学したり、と「ハレ」の雰囲気が町中に漂います。
 
 そんな中、目を引く

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憧れの祇園祭宵山デートで、苦い目に遭った思い出

憧れの祇園祭宵山デートで、苦い目に遭った思い出

  おかげさまで、拙著「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズは、第9巻までお話を重ねることができました。どの巻も、京都の名所旧跡やスイーツとともに、春夏秋冬の四季の移ろいを5つのストーリーの中に編みこんでいます。
 
 そんな中、もっとも登場回数の多いのが祇園祭です。
 期間中、洛中をぶらぶらするだけで、心が躍ってしまいます。
 特に、私が好きなのは、山鉾巡行の前夜の「宵山」です。
夕ぐれどきに

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祇園祭の「鉾建て」を、時間を忘れて見入ってしまう

祇園祭の「鉾建て」を、時間を忘れて見入ってしまう

 祇園祭が好きです。
 学生時代に、初めて山鉾巡行を見に来た時には、「雅さ」と「荘厳さ」に圧倒されて感激してしまいました。
ところが、その時は、祇園祭というと、その山鉾巡行のことをいうのだと勘違いしていました。
 
祇園祭は、7月の1日から始まります。1日は長刀鉾町のお千度という、その年の神様のお使いであるお稚児さんが八坂神社に神事の無事を祈って参拝する行事があります。それから5日の稚児舞披露、5

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お御籤で「吉」よりも、「凶」が引きたいと願っても、なかなか出ないものです

お御籤で「吉」よりも、「凶」が引きたいと願っても、なかなか出ないものです

 おかげさまで、拙著「京都祇園もも吉庵のあまから帖」の第9巻が発売になりました。
 この第5話のプロローグでは、「お御籤」が重要なポイントになります。
 
初詣に行って、「凶」を二回続けて引いてしまった新聞記者の勇が、どうしようもなく落ち込んでしまうシーンで、主人公のもも吉が、こう諫める一方で励まします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「勇さん、あんた間違う

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京都は梅雨時でも花とスイーツで楽しめる

京都は梅雨時でも花とスイーツで楽しめる

  雨が似合う花といえば、ダントツ、紫陽花でしょう。
 京都で紫陽花といえば、なんといっても三室戸寺。
 その数、2万株というから、圧倒されます。
そして、善峯寺に楊谷寺、三千院が有名ですが、どこも京都駅から遠いところが難点です。
 
そこで!
オススメなのが桔梗です。
拙著、「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズの第3巻では、「桔梗流」という茶道の家元が登場します。もちろん架空の名前です。その

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京都では6月30日に水無月を食べるのが習わし

京都では6月30日に水無月を食べるのが習わし

  遥か昔のことです。
 忘れもしない6月の30日。
 梅雨の晴れ間でした。
 仕事で京都を訪ねた際、帰り道に乗ったタクシーのドライバーさんから、
 「いいお寺があるから、寄って行かれませんか?」
と勧められたのが源光庵でした。紅葉の名所です。
「紅葉の時期じゃないし・・・」
と言うと、
「こういう空いている時期が一番ええんですよ」
と。
たしかに、紅葉狩りに出掛けても、混雑に疲れてしまうこともし

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言うは易し、行うは難しの京都のお寺の掲示板

言うは易し、行うは難しの京都のお寺の掲示板

 人生で、三度、とてつもなく辛い目に遭ったことがあります。
 一度目は、35歳の時。
 上司のパワハラに遭って、耐えに耐えたあげく、内臓が爆発するかのように大量出血して生死を彷徨いました。
 二度目が、45歳の時。
 ほぼ同時に両親が病に倒れて、仕事と看病の両立に疲れ果てた末、心身共に限界となり、会社を辞めました。
 そして、三度目が、51歳の時でした。
 愛する妻が、末期のがんに罹っていることが

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